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129.NO OTHER LAND

NO OTHER LANDというドキュメンタリー映画を観に行った。
先週ぐらいからコペンハーゲンで国際ドキュメンタリー映画祭をやっていて、こちらに来てから初めて映画を観に行った。映画館は満員で、映画が終わってクレジットが流れる中で拍手が起こって、この映画と今世界で起こっていることに対する注目度の高さを感じられた。

NO OTHER LANDは、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区で暮らす人々の、2019年から武力衝突が起こる直後までの生活を淡々と記録したドキュメンタリー。先月のベルリン映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞し、監督2人の映画祭の受賞スピーチが「反ユダヤ主義的である」として非難を受けていた。ドイツ政府に対してイスラエルへの武器の供与をやめてほしいとか、アパルトヘイトが生む分断のこととか、停戦を求めるとか、スピーチの全てを聞いたをわけではないけれど、私にはごく当たり前のことを言っているようにしか聞こえなかった。

NO OTHER LANDは、パレスチナ人の活動家Baselとイスラエル人のジャーナリストYuvalの2人が監督した映画であるという点でとても象徴的だと思う。イスラエルとパレスチナという対立を越えて、もっと普遍的でシンプルな、誰もが当たり前に守られるべき衣食住と人権についての話だと思った。映画の中で、Yuvalは他のパレスチナ人たちと同じように普通に生活している。それでもイスラエル人であるということで住民たちの怒りの標的になったり、パレスチナ人たちにはない権利を持っていることに対する罪悪感で苦悩したりする様子が映されていた。(ただ、アラブ語を流暢に話せるということがYuvalがイスラエル軍の人々とは明確に違う存在として村の人たちに受け止められている理由のひとつなのではないだろうかと、言語の重要性を思った。)

2023年10月7日の遥かずっと前から、イスラエル軍はBaselとYuvalが暮らす村を侵略し続けてきた。何の予告もなくブルドーザーが突然やってきて、「今から家を壊すから出ていけ」と言って跡形もなく家をつぶして去って行く、そんなことを繰り返してきた。家を建て直しても壊され、再建するための道具も水も電気も奪われ、軍の訓練場が作られて、ついには学校も壊されて、ゆっくりと着実に土地が奪われ続けていた。抵抗すれば発砲され、村民が「なぜ住む場所を奪うのか、恥ずかしくないのか」と問えば軍は「我々は法律に従っているだけだ」と当たり前のように言い放つ。明らかにおかしいことが平気でまかり通っていて、見えている世界が全然違うのだということに愕然とする。住む場所を奪われた彼らに、他の居場所はない。

Baselは、軍に捕まる危険をおかしながら、村が侵略されていく過程をカメラに収め続けた。そして、カメラに収めることしかできないこと、どんなに発信しても状況は悪くなる一方であることにどんどん疲れていった。国家の力というのが強大で、それに比べてひとりの人間は小さな存在でしかなく、それでも活動し続ける彼らのタフさを思った。「映像や文章を発信して、世界中の人に見て知ってもらって、その後は…?」「自分たちに何ができる?」繰り返す日々の中で、何年も問い、もがき続けてきた彼らは、10月7日とその後のことをどんな思いで見ているのだろうと想像すると苦しくなる。

国が動くしかない、と思う。今すぐに停戦と解放を実現させられるのは国家しかない。それなのに、即時停戦を求める決議案にアメリカが繰り返し拒否権を行使したり、映画祭のスピーチを受けてベルリン市長がイスラエルを支持すると言ったりする。他の多くの国々も欧米諸国の顔色をうかがってなのか何なのか、明確に停戦に向けて動こうとしない。国単位の利益しか考えていないように見える。そこで暮らす人々のことが見えていないように見える。
この映画は、小さな村の中で懸命に生きようとしている人々の存在をはっきりと映し出していた。住む場所を奪われて、行き場を失った人々はどうすれば良い?彼らはIDがないせいで自由に国を移動することができない。道路を自由に通行することもできない。逃げる場所も行く当てもないのに居場所が奪われたらどうすることもできない。NO OTHER LAND、他に場所はないのに。

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