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113.アウシュビッツ・ビルケナウ(2024/1/30)

昨日まで約4日間、チェコとポーランドに旅行に行っていた。
チェコのプラハは中世の街並みがそのまま残っていて、一部の地区が歴史地区として丸ごと世界遺産に登録されているような場所なので、タイムスリップしたような感覚になった。ハリーポッターやロードオブザリングの世界観を思い出して楽しく観光した。


今回の旅行の一番の目的はアウシュビッツ強制収容所に行くことだった。プラハから寝台列車に乗って約9時間、ポーランドのクラクフという街で降りて、ガイドツアーに参加した。

数年前に「夜と霧」を読んだくらいで、正直ホロコーストに関する知識はあまりなく、ユダヤ人たちがものすごく悲惨な目にあった、かわいそう、ぐらいの認識しかなかった。1月27日が「国際ホロコースト記念日」というアウシュビッツ強制収容所から人々が解放された記念日だということも知らず、偶然27日のツアーに申し込んでいて驚いた。それぐらい無知だった。天気は悪くて寒かったけれどすごく混んでいて、テレビ局の人たちもたくさんいて、式典の準備がされていた。たまたまとはいえ、記念すべき日に来られて良かった。

ガイドの人の説明を聞きながら、写真や展示物、実際に使われていた居室やガス室を見て回った。収容所に連れてこられた人たちから奪った靴や鞄、刈り取られた髪の毛が山積みになって展示されていた。収容されたひとりひとりのプロフィールが書かれた顔写真がずらりと並ぶ中で、たまたま目に入った男性の誕生日が自分と同じ日でなんだかどきっとした。ほとんどすべてのプロフィールには死亡日が書かれていて、祈るような気持ちで生存者を探してしまったけれど、生き残って良かったのかと言われると一概にそうとも言えない。収容所の中で、全く人間として扱われず、尊厳を完全に奪われてもなお生き続けることの苦しみは想像を絶する。

約3時間のツアーの間、ずっと鳥肌が止まらなかった。寒さだけが理由では決してない。人間が人間をこんなにも残虐に扱ってしまえるのだということに寒気が止まらなかった。子ども、高齢者、妊婦は、収容所に連れてこられた最初期の段階で、収容所内に入ることもなく殺された。お前はこっち、お前はあっち、と何を基準に決められているのかも知らないまま、命を選別され、殺されていった人たちがいる。
でも考えてみれば、人間がその人の所属や性質のみによって人権を軽んじられることはいつの時代にもどこでも起こっている。コロナ禍では高齢者を治療から排除することについて議論されていた。決して遠い話ではない。

アウシュビッツに実際に行って、ユダヤ人かわいそう、という私が持っていた漠然としたイメージでとどまっていてはいけないと感じた。そんな表面的な話のためにあの場所がああして保存されているわけではない。
ユダヤ人だとかどこの国や地域の人だとか、そういうものを超越して、人間が・・・虐殺された、という事実を見つめる場所であるべきなのだと思う。ユダヤ人であるというだけで「人間が」虐殺された、ということを強調しなければならない。それは、私が私であるというだけの理由で殺される可能性を暗に意味する。「ユダヤ人が」殺されたという理解が先行してしまうことで自分から遠い話のように感じてしまうけれど、ユダヤ人以外にも、ポーランド人などナチスが占領した国の人たち、シンティ・ロマ人、セクシャルマイノリティの人たち、障害者たちも収容されていた。たまたまユダヤ人が多かったというだけで、全ての人間が標的になり得た。

ホロコーストについてやっと知り始めて考えることは、やはりパレスチナのことだ。ホロコーストの歴史ゆえに、イスラエルを非難することが反ユダヤ主義と結びつけられてしまうことがあるらしい。そのロジックは短絡的すぎると思う。
国際ホロコースト記念日のセレモニーが開かれる場所にあったモニターに、#WeRememberと書かれていた。覚えているなら、今パレスチナで起こっていることを何とかしようよ、と言いたくなった。ユダヤ人がユダヤ人であるというだけの理由で殺された事実を覚えているのなら、なぜ今パレスチナ人がパレスチナ人であるというだけの理由で迫害されているのか、なぜそれを国際社会が真剣に止めようとしないのか、わからない。

アウシュビッツが伝えていることは、何人とかの区分を超えた、もっと普遍的でシンプルな訴えなのだと思う。人間が人間を殺してはいけない、ただそれだけだと思う。

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