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猛烈にごんぎつねの続きが書きたくなってしまった。

今、「ごんぎつね」が熱い。

こんなニュースを見た。

 このニュース。ちょっと面白かったのは「鍋で母親が煮られている」という解釈が真剣に出てきた、というのがとても面白いなあと思っていたが、あとでこのニュースを纏められているトゥゲッターを見たら、なるほどと思った。

 この中で「読解力の低下というより、文章があまりに古代文明の描写すぎる問題」という指摘があり。
 つまり文章を素読するだけでは「鍋で何が煮られているか」は、わからない。「日本の村の葬式」という常識がないと、鍋で何が煮られているか。前後にあまりにもノーヒントで、だから「死んだ母を煮て、消毒している」という答えが出てくるのも、前後のキーワードから推測すると、そう答えが導き出せるという事だった。

 ほわー! こういうの、とても面白い!

 他に、ごんぎつねの話聞きたい! と思っていたら、さらにこんなトゥゲッターまとめを見た。

 これもおもしろい。そうか、「続き」を考えさせるという授業があったのか。
 そして「3割がごんを生き返らせ、3割が兵十を自殺させる」というのが興味深い。

 俺だったらどうするかなあ……と思っているうちに、猛烈にごんぎつねの続きを書きたくなってきた。
 だめだ、とまらない。
 気が付けば青空文庫を検索し、ごんぎつねを読み返してみると、本当、ひっかかるポイントがすごくある。
 この歳になったからそう思うんだろうか。例えば、兵十。家の納屋へ行って、納屋から自分の家の戸口に向けて発砲している。

 銃の所持を許可されている身で、そんな銃の運用、するだろうか?
 まして、時代はきっと、いまより少しややこしかったんじゃないだろうか。集落内で、自分の家とはいえ、人家に向けて発砲って。何か、よほどのことがない限り、発砲しないんじゃないか……など。

 そう思ってたら、もうだめだ。書きたい。書きたくなった。書きたくなったので、わたしも小学校の授業よろしく、続きを書いてみました。
 あー、二次創作って楽しいなあ。勢いだなああ。

ごんぎつね、続き

 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

 ここまで語り、茂平おじいさんは不意に言葉をとめました。
 そしてしばらく黙ったのち、

「もう、いいだろう。この話はこれでおしまいだ」
 そういうと、どこかへ行きました。

 しかしわたしは、まだ茂平おじいさんが、何か話したりないような、そんな気がしました。

・・・・・・・・

 それからしばらくたち、わたしは村で職を得て働くことになり、また村の娘と結婚をすることになりました。
 茂平おじいさんをはじめ、村の人たちもまるで家族のようにわたしの結婚を祝ってくれます。

 祝言が終わり、村の寄り合いで酒盛りが始まりました。
 わたしは一人一人にお礼を告げながら、酒をお酌してあいさつしに行きます。
 やがて、茂平おじいさんに礼を言う段になりました。
 茂平おじいさんは上機嫌でわたしのお礼の言葉を聞いています。

 ふと、わたしは、子供のころ、茂平おじいさんが語った、あの「ごんぎつね」の話が気になり、そのことをおじいさんに話しました。
 すると、茂平と一緒にいた村の老人集の顔が、スッと変わります。
 そして、黙りました。

「わたしは、あの話がずっと心に残っていて、いまでも思い出すんですよ。」

 しかし茂平は顔をうつむき、周りの老人たちもばつの悪い顔をしています。
 やがて茂平の隣にいた、茂平のおじろくが目くばせすると、茂平は溜息をついて語りだしました。

 ここからは、わたしが大きくなって、茂平おじいさんからきいたお話です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 中山の集落では昔から凶作になると、家族の中でもっと愚かで、おじろくにもならないごくつぶしの子を、山に返すならわしがありました。
 
 そして、ごんの家の家族はみな体の調子が悪く、一人として一人前に働くことはできませんでした。

 ごんの家の家長はもとより心のありどころが良くなく、夜になると一人で山林に分け入り、獣のようなうめき声をあげることがあったそうです。

 やがて、ごんは山へ返されました。捨てられたのです。歳のころは5歳だったといいます。
 村の人々は哀れとも思いましたが、ごんの家の家長が、中山のならわしにのっとって決めたことでもあり、誰も何も言いませんでした。

 ごんは、山へ返された後、どうしたらいいかわからず、しばらくは集落と山の中を行き来しておりました。
 ある時、家に帰ってきたごんは、父親から噛みつかれ、殺されかけました。

 「お前は山のけものだ」

 と強い調子で言われると、ごんは2度と我が家に近寄ることはなくなりました。

 こうしてごんは、人前で言葉を発するのをやめ、しだのいっぱい茂った森の中に穴を掘って住むようになったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・

「兵十。ぬっさが撃ったあごづ、人ではあらね、きつねづ。きつねづ。げんも保ろうことはなか。」

 村人の一人が、兵十にやさしく語りかけます。

「そうづそうづ。ぬっさ、しこぐるわんわが、あれよ神(かむ)さの差配。じんぐるそうじゅがらあらんねがや」

 中山の寄り合いでは、兵十の話になりました。
 兵十は、勘違いから、ごんを撃ってしまいました。
 兵十は端的に村人たちに説明し、ごんの遺骸はすでに山の墓地に埋め、弔ったと話すと、それからずっと黙っています。

 ごんは、きつねではなく、山に返した人間の子であることは、村人たちはみんな知っていました。
 だけども村の人々は、ごんは「きつね」だった、と口々に、まるで自分に言い聞かすように、兵十に声をかけるのでした。

 問題はそこではありませんでした。

 猟銃を、自宅とはいえ、集落内で撃ったことが問題となったのです。
 猟師は、集落の中で銃に火薬を込めてはならなかったのです。
 というのも、中山の集落ではかつてもめごとが起きたとき、猟銃が使われ、殺傷沙汰になったことがあったからです。
 以来、中山のしきたりとして、銃に弾込め、火薬を詰めるときは、猟に出る仲間たちと一緒に、集落の外の猟部屋で弾を込めなくてはならないしきたりがあったのです。

「兵十。ぬっさ、つねからこん村で、ワッつ思うたしゅんさ、たれか殺しちょう思わっててたと違うか。」

 集落の請負(うけおい)と呼ばれる者が、兵十に静かに詰問します。

「そが、問題ちょうの」

 兵十は目を床に伏せ、黙っています。

「ぬっさが母ァなくしちょうぼんさら、ぬっさン様、心やぐれず、白羽蝶の廻るやがづ。
 仁なるがや。やごいぞ、いっそカッちゅうなり、誰(た)がを撃ち殺していたと違うか。兵十。
 なあ、違うか、兵十よ。
 たまたま、”きつね”子じゃ、死そ。
 たが、ぬっさが殺しちょうは、こぬ中山の……いや、もっと深い。
 この万世の中に生うる、「そもそものもの」ではなかったか。」

 兵十は何も言いませんでした。

 兵十が「きつね」を撃った罪は問われませんでした。
 ただ集落の中で銃を使った咎のため、しばらく猟師の資格を失い、銃の個人所有を停止されました。
 そして兵十は猟師ではなくなりました。
 畑を持っているわけでもない兵十は、自分の食べる分の食を得ることにも困り始めました。

 困窮する兵十でしたが、中山の人はしかし、しだいに「あの”きつね”を殺した兵十だ」と、付き合いを避けるようになりました。

 兵十は、ただ黙っていました。

 やがて兵十は村から消えました。隣村で乞食をし、陽に病むと田畑に入り、そのまま亡くなったと聞きますが、詳しいことはわかりません。

 兵十を知る加助は時々この事を思い出すと、「万事、神さの差配よなあ」と、小さくつぶやくのでした。

・・・・・・・・・

 茂平のおじいさんはこの話をした1年後、亡くなりました。
 茂平おじさんがなぜわたしにこの話をしてくれたのか。
 今のわたしには、少しだけ、わかるような気がしました。

(了)

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