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小説 ちんちん短歌 第15話『地獄③――というか、前回までの2回分はなかったことにしてください』

 それで、その後もずっと地獄にいたので、建。
 でもっていうか、地獄に落ちていたーみたいな感じだったけど、別に全然そこ、地獄っていうか。地獄が、だから、それで、地獄が追いついていたというか。何言ってるかわかりますかね。混乱してますね今回。建、地獄に落ちたと思っていたけれど、なんですかね。ふつうに現世が気がつけば地獄だったという感じです。建。

 で、だから、ずっと普通に現世にいたのだ。だから、地獄に落ちたって言う、前回までの2回分のお話は、だから、なかったことにしてください。なかったことにしてください。というか、だから、ヤマト、700年代の、ヤマトは、もうずっと地獄だったの。ずっと前から地獄。だったんですよ。
 具体的に言うと、西暦536年やや過ぎあたり(仏教の倭国伝来/新羅による任那侵入)から第一地獄が入っていて、第二地獄(末法開始/前九年の役の本格始動)になる1052年まで、地獄がですね、ヤマトで続いていたんですよ。
 だから、700年代の現在、建のいる、今、ヤマト、まさに地獄の真っただ中にいて、落ちるまでもなかったんだ。ただ、そこに居て、ただ、ぶっ倒れているだけで、べつにそこは普通に地獄だった。

 で、建。
 気がつくと普通に沢の中でぶっ倒れていた。そこを、キイコに適当に発見される。
 そして特に何もせず、二人は帰宅した。帰宅したと言っても、キイコ、相変わらず飯を作ったりしない。別の男に抱かれてきて、そこで木の根を齧り夕露をなめてきたから今日はお腹いっぱいらしい。
 建は腹が減っていたけど、別にそういえば、そんなことずっと日常だったなと思って、水瓶の水を飲む。水、粘土の味がする。
 でも、もうずっとそう。こんなこと、ずっとそうだから。ふつうだから。慣れているから。

 飢饉は永遠に続いていた。
 西暦536年以降、ヤマトで言うと700年代中盤までずっと飢饉で、豊作の年はなかった。これはヤマトだけではない。全世界的な事だった。ずっと曇りで、ずっと寒く、なにも実らない。

 疫病も流行った。ヤマトだと疱瘡(天然痘)という感染症が猛威を振るった。韓土(新羅ルート)から疱瘡神がやってきて、あちこちで京観(死体で出来たタワー)を作り、特に735年。すっごい、パンデミックで、人口の5/8が死んだ。
 当時の権力者は伝染らないよう御簾の中に引きこもりリモートで会うのが礼儀とされ伝統化し、奴隷をはじめ農民庶民たちは貴族に一生交わることはなくなった。分断が進む。病は貧と困の2つにヤマト民族を分ける。分かれたまま。でも、なんか、みんな死んだ。農民も死んだし、権力者の頂点だった藤原4兄弟(仲麻呂の祖父代)も死んだ。
 センシティブな人間から死んでいった。
 愚鈍で丈夫で繊細ではなく、繊細さが無くても生きられるような文化つまらない人間だけが生存し、それが子をなした。体が丈夫で他人に気を遣えない死んだほうがいい人間が成長し、そいつらが、また無神経に女性にちんちんを使い、セックスし、子を作り、えらそうに子を教育した。

 こうしてヤマトは、がさつでつまらなくて、足が速い丈夫な人間が生きやすい世界になった。

 短歌はそんな中で生まれた。

 短歌は、飯を食わなくても作ることができた。体が苦しくて、寝たきりでも作ることができた。足が速くて体が丈夫グループにいない人間たちが、最後によりどころにしたのが、短歌作りだった。命をかけていた。何もないから、記録するような器具はなかったが、それでもせめて、頭の中に、無限に作る。短歌を。それを、静かに、ずっと繰り返す。いくらでも。いくらでも。
 そんな人は、表面上、この地獄に対して、何にもしていないように見える。ただ、頭の中で短歌を作ってるだけだから。
 そして、頭で短歌を思い浮かべながら、形にできず外に発表できず、それを聞くものがいないまま、何にもしないで死ぬ。

 歌はこうして、地獄の中に消えていった。

 「……消えたのだよ、建」と、巨大な鹿がぶっ倒れてた建の喉をぺろべーろと舐めていたのだと、キイコはいう。

「鹿、でかかったね。なにあの鹿。すごい短歌論語ってたよ。インテリっぽいね。くだらないね。鹿が鹿であることを放棄してて、いやだな、論、語る鹿」

 帰宅した建は寝台に寝かされていた。
 喉。
 喉に、疱瘡のつぶづふができていた、建。発症していたんだ。だからずっと、声が出せない。
 喉だけではなく、そこから、顔面に、胸のあたりに、つぶつぶができている。熱を持っている。熱い。
 キイコは手を水で濡らし、建が熱いと苦しんでいるところに、濡れ手で触る。冷やしてあげている。
 キイコは無事っぽい。
「幼少期ねー、疱瘡にかかってたけど、お父さんがお坊さん呼んでくれてお教で治したんだ」
 って笑う。
 だからキイコは死なない。
 疱瘡(天然痘)から回復したものは、強力な免疫をその体に残す。
 一度でも疱瘡に掛かると、2度とはかからない。
「でも、目と、指先がねー。感覚がねー」
 疱瘡の後遺症が残っていた。目と指の神経に。
 その手を伸ばす。
 その感覚のない指の先、建のちんちん。
「仏さまがねー。あえて、私は目が見えにくくして、指先の感覚をぼんやりさせたんだって。仏さまはねー。私は、いろんなものを見て、気にしちゃうから、だからきっと、目をぼんやりさせてね、指もね、指も、触ってもね、触っているのか、すぐにわかんないようにしたんじゃないかなって」
 死なない手が、ぐったりとしている建のちんちんを握り、上下する。大きくしようとする。
「余計なお世話だよね」
 ちんちん、大きくならない。建。それどころじゃないから。飯をろくに食べてないし、喉も痛い。とにかく喉が痛いんだ。声が出ないんだ。
 あの時飲んだ山羊の乳の、やばい感じが、喉の内側に張り付いている感じ。それが、取れない。取れないんだ。あれやっぱ、飲んじゃいけなかった奴じゃないか。あれ? あれって、夢っていうか、無かったことになっている話じゃなかったか。あれー?

 このまま、喉がおかしくなったら、建。
 2度と短歌が発せられなくなる。頭の中に入れた短歌、2度と、外に出すことは2度と。もう2度と。

「地獄だね」

 キイコが何度さわっても、建のちんちんは大きくならない。
 キイコの指はそれがわからない。疱瘡を生き延びたキイコの指には繊細さがない。ちんちんは何回も雑に擦られて、とっくに赤いし、痛い。

 キイコは建のちんちんを大きくするのをあきらめた。面倒くさくなったのだ。それで、またふらっと外へ出て行ってしまった。

 抱かれに行くのだ。キイコはお腹が空いたから。

 というか、しかし、キイコは建の疱瘡にまみれた体を触っている。キイコは保菌者である。

 だから、この村の、キイコを抱いていた男たちのネットワークはみんな、死滅するだろうなあと思う。みんな死ぬんだろうなと思う。
 疱瘡神となったキイコを抱いて、感染し、この山間の村の男たちは死ぬ。まもなく、数日のうちに、全滅するだろう。

 口分田もろくにないこの山間の村は、各地から徴税から逃げ、逃散してきた、だめ人間たちの村だ。そうでなければわざわざ水場から遠いこんなところに住まない。皆、働きたくなく、税を収めたくなく、不便な土地を選んで、他人や世間から離れて自分のためだけにただ生きる道を選んだ。

 そんな奴らが死ぬ。平等に死ぬ。
 短歌というカルチャーに誰一人として触れないまま死ぬ。やる気なく死ぬ。

 こんな時に、歌わなくてどうする、と建は思った。寝台から立ち上がる。でも、立てない。正しく立てない。喉も開かない。声が出ない。
 それでも出す。出さなきゃ。出ない。何を? 何を詠えばいい?

 キイコが力加減をあれしないで、乱暴に触ったちんちんが赤い。
 喉を中心とした胸のあたりが赤くて熱い。
 疱瘡にむしばまれ、熱が出て、空腹で、そのうえ、唯一のよりどころだった短歌は、発せられない。

 すごく悔しい。それが、すごく嫌だ。体全身が、熱い。
 多分、今度こそ、本当に死ぬんだろうなと思った。建。疱瘡。疱瘡は、死ぬ。なにもかも失って、残ったのは、セックスをさせてくれて、とりあえず、一時的に一緒にいてくれる、美しい女だけ。

 それで、いいのではないか。

 そう、思った時はあった。この幸せでいいと。
 でも、ちんちんが赤くて痛くて弱くなって今、疱瘡神となったキイコのことは、どうでもよかったという事に気づく。強姦しておいて、好きになっておいて、服までプレゼントしようとしておいて、なんだけど。

 短歌をしのぐほどの、大切さは、達しなかったという気持ちに気づいたんだ、建。

 だから、ここを、出ようと思った。この家を。この村を。地獄を。キイコから。希望も短歌もない、ここから。熱を持ったまま。病んだ体のまま。正しくない体のまま。短歌を詠えない体で。なにひとつ、クリエイティブになれないままで。

 大伴家持が待ってるし、建の短歌を。
 だから、行こう。
 行こうか?
 どこへ?

(つづく)


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