対局日記#343 脳内将棋盤と読み

2022/5/31

たくさん対局するのは良いのですが、反省時間も比例して伸びるので、根気が要りますね…。のんびりやっていきます。やることが大事。こうやって前書きを綴れているのも心の余裕の証であります。
やっておけば、不安の解消と、悔いなく次の将棋が指せるという、精神的なメリットがあるのでとても大きいです。
おかげで実際、「1時間後に大会あります!」と言われても、常時悔いなく調整できている感はありますしね…。

さて、「脳内将棋盤がどれくらいクリアか?」という問題を少し考えてみたいと思う。
ここで▲6四桂と行けるのか?という問題で、実際に読んでいた。
△7七成桂▲同桂△6四金▲4三と△同銀▲同銀成△同飛▲3二飛成△6三飛

ここで芳しい攻めが思いつかなかったので読みを切ってしまったのだが、ここで▲5六桂があって先手優勢である。

さて、全く見えていなかった。
この局面を目の当たりにすれば絶対に先手優勢を意識するはずだ。
しかし、頭の中でそれを判断できなかった。なぜか?
良く考えてみよう。

まずは
「持ち駒に桂があることに気付かなかった」
これは一つの原因である。
△7七成桂に▲同桂というのは、自然発生的な手であり、▲6四桂や▲4三同銀成という意思を持って取った駒とは違う。
それにより、頭の中で持ち駒の桂の影が薄かった気がする。

後はもう一つ、目の向く場所である。

再掲するが、この時点で頭の中では主に
「敵陣に直接攻め入る手」を中心に考えている。
なので▲5二銀や▲4一角、▲9五歩などは見えているが、▲5六桂という遠回りな手はちょっと見えにくい。少し視点を引けば気付く手にも、無意識のうちに近眼になっていて見えていないというのが表現として良いだろうか。

やはり深く読むうえで、読みを狭めるという作業は必須である。
しかし、形勢判断の軸までどんどん狭窄している感覚がある。”攻めが繋がるか否か”、くらい極端だったように思う。

これに関しては、脳内将棋盤がどれだけクリアであったとしても意識を向ける場所の問題なので、敵玉だけ見ていたら▲5六桂には気付けなかったと思う。
よって、意識的に俯瞰して考えるべきだと思う。それが難しくても「一つ違う方針の手を考える」「無理に手を読まずに形勢判断をしてみる」など、色々なアプローチをすることで手に気付くことができるかも知れない。


詰め将棋による読みの技術向上という話があるが、今回の分析によって少しわかった気がする。

読みの技術は複数あり、
①単純に脳内で駒を動かす能力。再現性や明瞭さ。
②読み筋を比較し、それぞれの形勢を評価する能力。
③想像した局面へ近づけるための逆算的思考と理由付けの能力。
④それらを素早く行う能力。
⑤同じ読みの繰り返しや、手のない局面を考え続ける思考停止を防ぐ発想の転換力。(思考の癖を意識的に排除する)
全体をパーツごとに分割して思考する能力

などなど、勝手に区分したがまだまだ考えようはあると思う。
⑥の能力に関しては今回発見した部分で、①に似ているようで少し異なる能力だと思う。
言葉にするのは難しいが、「戦場と、非戦場を分けて考える」という感じ。
読みの本線となる筋を深く読むことと、読みを本線から外れる曲線的な読みを意識的に分けるという感じか。ちょっとまだ感覚が掴み切れていない。

いわゆる詰め将棋で鍛えられる部分は、
①・③・④・⑤で、やはり実戦とは使う筋肉が違うという気がする。
4つも鍛えられる、というよりは、①と⑤は十分効果があるが、他はまあ使ってるだけみたいな感じ。全然足りない。

雑な結論になるのだが、とりあえずこの分析はまた今後やるとして、使っている筋肉を意識して脳トレしようということである。


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