対局日記#574

2022/11/25

また良くない波が来てしまった予感がする。将棋イヤイヤ期。
自分の機嫌は自分で取らないといけない……。


ここでは△2三金とする手があった。
▲3一飛成△同角▲3二銀が気になるが、△2九飛が好判断。

角の方を取らせれば、ゆくゆくは△8九飛成ができるという仕組み。
▲3一銀成△8一飛▲3二成銀△2六歩▲3八銀△1九飛成▲7六歩△3一歩▲2一成銀△8九竜……と進めば後手良し。

この▲3一飛成の筋は成立しにくいとわかっていつつも、実際どういう対応があるのか良く知らなかった。


この局面、負けなのかなと思っていたら大優勢だったらしい。
△1九角成▲1一角成△4六香▲3三歩成△5五桂

そんなの知らないな。


ここが投了図みたいな感じなのだが、△7七歩成▲5七銀△8六飛で普通に勝ちである。
どうして見えなかったんだろう。原因はあるのだろうけど、こんな手が見えなかったことがショックだ。今日はそれを軽く笑って許せるような気持ちではなかった。


不調の時は好調な時の気持ちが分からないし、好調な時は不調な時の気持ちがわからない。両者は同じ自分であれど、他人のように全く違う価値観になるので話が通じない。
あえてここに、不調だと思う自分に巣食っている感情を書き残しておく。多分、調子が戻った後にこれを読んだら「またバカらしいこと言ってやがる」と一蹴してくれるだろう。

まずこの前の、おとといくらいまでの将棋が楽しかったという気持ちがどこかへ行ってしまった。序盤を構想して、中盤で優位に立っていて、終盤で突き放すみたいな将棋を指している全能感が楽しかったのだと思うけど、今はそんな感じではない。なんというか。
やはりいい将棋を指して勝つのは嬉しいと思う。しかし、今はどうもいい将棋が指せていない。まず序盤が全然見えなくなった。「見える、見えない」という感覚を非常に危惧していて、「ある日急に何も見えなくなったら?」という気持ちは常に持っている。そして今はそうなったというだけ。知識があるとか無いからとかではなくて、ある日急に左手が動かなくなったくらいの不可解さである。昨日まで無意識でできていたのに、今日はできない。いくら説明を読んだところで、肝心の神経が通っていかない。そういう感じ。
中盤にかけての構想をする上で、有利になる形を見つけた時、頭の中が弾けるような快感があったように思う。だからこそ色々と構想を練るのが楽しかった。しかし、あんまり快感が無いというか、別に快感のために将棋をやってるわけではないけど、すごく味気ない。アドレナリンに「出ろ!」と言っても出てこないのと同じで、出てこないときは出てこないのだ。だから、先の構想を練るのがものすごく億劫だし、やりたくない。要するにめんどくさいんだ。
面白いと思っていたものが急につまらなくなったという感じ。これは飽きなのだろうか。自分は将棋に飽きたから不調になって、またやりたくなったから好調になるんだろうか。それではあまりにも将棋に失礼だと思うが。
かといって、もはや将棋で勝つということに関しては普段から大した目的ではないから、ウォーズで早指しをたくさんやって勝って嬉しいかというとそういうことではない。そもそもあれは将棋ではないのでじゃんけんで勝った時と同じくらいの嬉しさしかない。だからこそ24をやるのだが、なんだか時間いっぱいに考える気分ではないというか。めんどくさい。だるい。考えたいことがたくさんあるから考えていたのに、今は「ノータイムで指してはいけない」という鎖に繋がれているから考えたフリをしているように思う。
適度に力を抜けないのが悪いのかもしれない。気分が乗らないときも万全の将棋をしようと思うから現実とのギャップに絶望してしまうのかもしれない。しかしどうやって力を抜いたらいいのかと聞かれると、力を抜いて指した将棋は全然面白くないので将棋したくないということになる。
こんな問答をしているのだが、別に誰かが慰めてくれるわけでもないし、誰かが棋力を補償してくれるわけでもないのだから、結局自分で機嫌を直さないといけないという現実があるし、それを意識するたびにこれから何度そういうことがあるのだろうと考えて肩を落としてしまう。だから自分はたまに将棋をやめたくなる。でも将棋をやめてもきっと同じことを繰り返すのだろうと思って、いやむしろ将棋以外であればもっと許せないのだろうと思って、結局将棋をしてごまかしているように思えてならない。
もう将棋と付き合って17年のはずなのだが、いまだに確立した調子の取り戻し方が分からない。いつも悪戦苦闘して、ずっと苦しくて、諦めかけた頃に突然好調に転じる。いつも原因はわからない。休んで戻ったこともあれば追い込んで戻ったこともある。解決策は一つではなく、何か複数の策があるが状況に応じてそのうちのどれかを選ばないといけないような、そういうめんどくさいものなのだろう。
またそれは不調に転じた原因からも考察できるかもしれない。大抵は将棋に対する何らかの嫌悪のような感情を抱いたときに起こっているからだ。きっと自分にはわからないような理性のブレーキがかかっていて、思ったように動けないから気持ちも沈んでいくのだろう。理想を追いかけすぎなのかもしれない。もっと将棋をやれていることだけに幸せを感じるべきなのかもしれない。でも、それを他人に言われたらそれはそれで腹が立つので、今は未来の自分へ語り掛けることしかできない。

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