棋譜並べ日記#27 知識と知恵

2022/5/10

将棋は、高段者になればほとんど知識に差はないと感じている。
指摘されれば「あっ、そう言われたらそうだわ」と言っては、なぜそんな簡単な手が思いつかなかったのか後悔の念に駆られるのがよくある負け方だ。

といっても実際に対局している流れの中で簡単な手を見つけ出すというのは、ひどく難しい作業なのだ。
直感でわかると言っても、3手の読みをすれば何千通りもの局面が発生しているのだから、読み抜けがあっても仕方ない。いや、当然なのだ。

こう書いている途中で思ったのだが、やはり記憶というものに頼っているうちは秒読みで真価を発揮できない気がする。
タンスから引き出している間に10秒くらいロスしてしまうから。

考えることで記憶が定着し、体に馴染むとはよく言ったものだが、それは体が勝手に覚えているんじゃなくて、考えている間に何度もその局面を頭の中に投影して動かすから、記憶というタグが外れて脳の中に溶け込んでいくというか。もう忘れようとしても、溶け込んでしまったから、その感覚は上書きする以外どうしようもできないような。液状になったから収納スペースは無限ですね…って。
まあ、結果的にそれを指が勝手に動くと表現するのだが、意識しなくてもそれを知っている時点で読む/読まないの判断をしているので、気付いたら回避していてまるで実感が無い。気付いたら会得しているから、進行形で会得している状態を俯瞰しないことには観測できない。盲点には初めから気付かないのと同じで。

もう一度整理すると
「間違えた手を指摘されて気付いた状態」は、それを知っているのに指せなかったということだから「記憶のタグ状態」にあるか、もしくは「定着した大局観との齟齬」によるもの。
初めから候補手に上がっていたのに間違えたのなら、定着していた大局観に間違いがあるか、そのもう一つ先の手が「記憶のタグ状態」だったということになる。
候補手に上がっていなかったとしても、「指摘されたら分かった」のなら引き出しに時間がかかっていた証拠。その場合はその手自体が「タグ」。
どこが本当の原因なのかを分析して察知する必要が大いにある。

やっぱりそれなら反復が大事なのかもしれない。
ありったけの引き出しを引っ張った状態にしておいて、タンスの中身が脳内に溶け出すまで何回も繰り返す。
どこが本当の原因なのかを考える必要はあるが、それにしっかり意識を向けられたなら、少し引っ張れた証拠にはなるので、こればっかりは地道にやるしかない。

将棋の変化は膨大すぎて、常に1万くらいの引き出しを開け閉めしている気がする。
だから1日100個見聞きしている間に、90個くらいの引き出しがちょーっとだけ締まっていく。
表現が変だが、言うなればモグラたたき。10回は同じことを忘れるというのを前提に、数うちゃ当たるでいっぱい情報に触れていかないといけないのだと思う。
数打つでも、しっかり思考を伴わないとそれは完全に無意味だけど。

人間は忘れる生き物だ…。
それだけは心にとめておかないと、メンタルが持たない。


ということで、とてつもない前置きをしたが、それをテーマとして棋譜並べ。

ここで△7五歩▲同飛△7七角成▲同銀△7四歩▲7六飛△2八角で簡単に後手有利になるのだが…
やっぱりめちゃくちゃ強い人でも、見逃すんですね…。
もちろん△2八角はずっと考えているのだろうけど、この瞬間は見落としてしまったのか。

はたまた本譜の△6五桂からの攻めのように、大局観にミスがあったのか…

たしかに△6五桂▲3三角成なら2枚桂で大優勢だが、▲6六角が案外手ごわかったのかと思う。
言われてみれば▲6六角の局面はめちゃくちゃ危なそうだし、やってみたくなる気持ちもすごくわかる気がする。

難しいね、将棋は。

次はこの局面。
ここで△3八飛成なら後手有利だったが、本譜は飛車を逃げて混戦。

いやー、△3八飛成は直感的に指しにくいです。

▲7四角成△4九銀▲5九歩が堅く見えて、読むのを切ってしまいそう。
しかしそこで△2九竜が厳しいと見ているか。

ただ、▲6五桂でも結構怖い形に見える。しかし△5九角から追いかけていく。

△2六竜はいい手っぽいが、▲6六玉の局面は遁走されそう。
しかし△4六銀から捕まえる。

これで確保。

いや、言われてみたらそうだけど…
ここまでちゃんと寄せを読まないと△3八飛成が決行できないとしたら、上部に手厚そうな形を気付いてごまかした先手がうまかったという方が正しい。

もし反省するとしたら、後手玉が案外丈夫であることと、竜を活用することで玉を捕らえられる可能性が高かったということか。

いやぁ、、、ってなる。


次はこの局面。
先手がかなり細い攻めなので、後手は切らしたいという局面。

ここでは△7二歩が正着。▲同成桂なら△5五歩が好手となり、▲7四成桂なら△8一飛のときに▲7二銀が無いという素晴らしい一手。

しかし実戦心理を考えるとどうだろう。
まず、先手の攻めは細く、駒を渡さなければまず追い詰められないだろう。さらに歩切れである。よって歩を渡すのはやめておこう…▲5三歩もなんかありそうだし。

あと、飛車はつかまりにくそうである。
なので働いていない竜を使って△3五竜とするのは普通にセオリーの一手だ。

ここに潜んでいるのが視覚的な罠で、▲7四成桂△8一飛▲7二銀が痛打になる。

打たれてみると、案外飛車が逃げづらいように思う。
1段目ががら空きなので、あんまりそういう印象はもたなかったところだが。

△2一飛だと、▲2二歩の追撃が来る。

多分、指してる途中になんだかまずいな、うっかりしたな、という気持ちになる手順である。
意外と狭いというのは教訓だ。

正直、これで先手有利と言われてもピンとこないのだが、先手陣が堅すぎる故じっくり寄せていって問題ない。

(+500)ソフトの評価はご愛嬌だ。さすがに人間目には受けがありそうに見える。
金駒8枚を活かして勝つのだろう。


今回は本譜と全く関係ない順にばかり触れていったのだが、いかにも盲点になりそうなところをお互い通り過ぎて行ったという印象である。

ちょっと話をずらすが、やはり将棋指しは王道を通って強くなってきた人がたくさんいる。よって、盲点も共通しているという弱さがある。
奇抜な将棋を指す人がのし上がっていく例は、特にアマチュアに顕著だが、やはりB級というか外道的な力戦に弱いのはそこから説明できる。


基本的に自分の中にセオリーを持っていれば、大きく形勢を損ねることは無い。
よって、盲点を打ち消すのが一番大事な作業なのではないか。

そうすると、戦法の偏りがちな序盤は盲点の巣窟である。
序盤を強化するには色々な戦法を指してみるか、色々な棋譜に触れることが大切なように思う。序盤の考え方は基本皆同じである。好形というのは、見た目の美しさではなく実際の勝率で決まっているものだから、絶対的な目安である。

一方で終盤を強化する場合は、棋譜並べは役に立たないかもしれない。
自分の盲点を見つけるためにやるとすれば、どんどん読みが外れていく終盤戦で棋譜を並べていても段々作業になりがちである。「へぇー。強いな」で終わってしまう。知った気になっても、自分から離れた場所の知識なので、使う前に忘れてしまうだろう。
つまり、自分で指すことが一番の近道なのではないか。対局の数だけ終盤の局面があるから、知識が飽和することは無い。しっかりとした反省さえあれば、終盤の盲点は驚くべき速さで埋まっていくだろう。
まぁ、驚くべき速さで埋まろうとも、無限の可能性を一つずつ埋めていくだけなので、上達を非常に感じにくいというデメリットはあるが。それはさっき言った胆力でカバーしよう。

言うなれば、序盤はプロの手をそっくり真似しても問題ない。たくさんただ暗記してもいい。飛躍し放題なのだ。全く同じことをしていれば、全く同じ成果が得られるのだから。その調子で中盤以降も研究しようとすると、確実に痛い目を見るけれど。

序盤と終盤は完全に別のゲームだと思ってもいいかもしれない。
トライアスロンとかでもいい。別のゲームで後れを取ったから、今度は将棋で挽回しよう。みたいな。序盤の強さは将棋をやった時間に比例するだけで、中身の有無はそこからじゃわからない。


どんどん話が分離していってるので、この辺りで締めたいと思う。

まとめると

人間は忘れる生き物。
記憶だけじゃ太刀打ちできないのが本当の将棋(終盤)の世界。
強くなりたければ、全ての手筋が脳に溶け込むほどに再現すべく、記憶の引き出しを開けまくろう。

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