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まだ人間界で生きてます


(カバー写真:カレーリーフの花)

 文章を書くことに向き合うとき、自分の凡庸さに打ちのめされる。でもまあ、のんびり書いてみようと思います。気楽にお付き合いいただければ幸いです。

1.カレーリーフとポテトマサラ


 私は33歳で、非正規雇用で雇われていて、今のところ独身だった。(今のところ、という言葉には“そうでなくなりたい”という心情が含まれている。)今の職場で雇ってもらっていることに本当に感謝している一方で、収入面などに悩むこともあるという、ふたつの気持ちを持っていた。前の仕事の契約が終わって新しい仕事を探していたとき、世界は新型コロナウイルスの蔓延真っ只中で、ハローワークにはたくさんの人がいた。仕事のない人がこんなにいるんだ、みんな大変なんだ、と思った。今の時代はあらゆる選択肢や情報があふれていて、確かに昔より自由になったのかもしれない。だけど実際多くの人が、日々を生きるのに必死だ。

 休日。電気をつけないまま、薄明りの中で目が覚める。昨日の夜泣きっぱなしだったので顔の皮膚がよれよれしている。枕元に甘い匂いが届く。部屋に置いている、カレーリーフの花の匂いだ。カレーリーフというのは、知っている人も多いとは思うが、インド料理などの食材として使われる植物だ。カレーを作るのが好きで生の葉がほしいと思い育て始めたのだが、今ではすっかり愛着がわいて、かわいい家族の一員である。植物は、いわゆる人間の言葉は話さないけど、いつも見ているとなんとなく調子が分かるし、「つかれたよ」とか「げんきだよ!」とか教えてくれる。そんな風にして一緒に暮らしていたら、花が咲くようになったのだ。小さくて白っぽい花。観賞用のような目立つ花ではないけど、いい匂いがする。幹や葉っぱもきらきらだ。植物のエネルギーをもらえる感じがした。そのまま少し寝転がりながら、今日は葉を少しもらってポテトマサラを作ろうかな、と思った。

 どうせまためそめそモードになるのは分かっているが、いったん台所に立つことにする。カレーリーフから葉を少しもらい、がちゃがちゃと調理道具を用意する。今日作るのはこれ一品でいいか。米に芋を乗せて食べればいい。コロッケごはんみたいにね。
 ポテトマサラというとかっこいい響きだが、私が作るのは要するにじゃがいも炒めのようなものだ。じゃがいもをゆでる。「目が痛い」という永遠のテーマを抱えつつ玉ねぎを薄切りにする。にんにくとしょうがは細かく切る。フライパンにサラダ油を熱し、赤唐辛子とブラックペッパーとマスタードシードを入れる。少し経つとスパイスが火の通った香ばしい匂いになってくるから、そこで玉ねぎとにんにくとしょうがを入れて炒め、カレーリーフも入れる。カレーリーフはちぎっていれると味がよく出る気がしていい。これはインド料理の本を参考にしたのだが、こんなふうにスパイスと野菜を炒める時には油をちょっと多めにして、心持ち揚げるくらいのイメージでやるといいそうだ。
 野菜によく火が通ったら、刻んだトマトと塩、ターメリックやコリアンダーといった粉のスパイスを入れる。熱したトマトから水が出て、全体がちょっとペーストっぽくなればいい感じだ。焦げないように少しトマトジュースを入れてゆでた芋を投入し、水分を蒸発させながら混ぜてなじませる。芋の形を残しつつ、ちょっと崩れてとろっとしているのも私は好きだ。最後にお好みでバターを和えてできあがり。
 じゃがいもっておいしいな。農家の皆様に感謝。カレーリーフやスパイスなど、いろんな味がするのもおいしい。南の国のイメージだ。同時にこのジャポニカ米にもよく合う。
 カレーリーフは日本名では「オオバゲッキツ」というらしい。「キツ」は柑橘の橘で、ミカンの仲間だ。青っぽい爽やかな香りと、柑橘の葉らしい風味がある。インドの植物なので暑さと乾燥には強い。しかし近年の東京の夏では、長いこと直射日光にあたると焦げてしまう。基本的には室内に置き、気候のいい時に外に出して水をやっている。比較的育てやすい植物なので、うちでもわさわさ茂っています。

 仕事の行き帰りにしんどい気持ちになるとき、つい下を見てしまう。そこで最近では、下を見ると同時にコンクリートのせまい隙間に生えている草を見てる。私はちっちゃい草、ちっちゃい草、自分なりに生きる場所を探して、踏まれても一生懸命生きてるよ…草にしてみれば迷惑なことだろうが、そんなふうに考えてみる。もともと私は動物や植物が好きなので、こうすると自分が「生き物」って感じがしてちょっとだけ元気になれるのだ。

ちっちゃい草。よく見るといろんな種類がある。


 非正規雇用で働きながら不安を抱えている人が私以外にもいるというのは最近知った。自分のこと責めちゃうよね。もちろん、やれることをやっているというだけでもえらいし、犯罪もせず真面目に生きているというだけでもえらすぎる。職場の方々も良くしてくれる。しかしそれとは別に、この先どうなるんだろうとか、もっと稼げる自分だったらいいのにとか、色々考えてしまう。今は少し気持ちが落ち着いていて、そういう時に文章を書いておくというのも悪くないかなと思う。また悲しくなったときに読み返して、落ち着いているときもちゃんとあるからね、と思い出すことができるから。
 最近はもう、なるようにしかならないなと思っている。なるようにしかならないし、もしかしたら自分にとっていいかんじに、なるようになるかもしれない。楽観的でいるのも大切だと教わったのだ。いいかんじにならなかったとしても、とりあえず生きて、死んだらもう生まれ変わらない、輪廻から解脱します。輪廻を解脱するのには結構徳を積まないといけないらしいけど、自分から死なずに生を全うしただけで、徳を積んだということにしてほしい。
 ありがたいことに、心優しい人がお話相手になってくれることもあり、本当に恵まれていると思う。自分の状況などを聞いていただけるのも助かるし、相手のお話を聞いて相手について知ったり、他愛ないことを話したりできるのも、とてもうれしい。これを読んでくれている人たちにも、そういう人がいたらいいなと思う。どんな関係性の人でもいい。誰もいなかったら、インターネットで好きな文章などを探して、それを読むことでおしゃべりしているような気持ちになったっていい。友達がいないときに読書を通して「本は友達」という気持ちになるのと同じやり方だ。インターネットには私自身色々と思い入れがあり、これについても少し書いてみようと思う。後半につづく…

 

2.お茶の時間と秋田のおみやげ


お茶をしたお店のきれいな窓辺


 テクノロジーに詳しい方ではないので、黎明期からインターネットを使っていたというわけではない。しかし多くの人と同じように、今となっては長いことインターネットにお世話になっている。最近は心理学や精神医学に関するウェブサイトの記事を読み漁って学ばせていただいたり、みんな大好き「ちいかわ」の漫画にはまって単行本まで揃えたりしている。(マレーグマの漫画もかわいい。)また多くの人と同じように、私も作品とは少し違う日記のようなものを読むのも好きだった。
 薄暗い性格も手伝って、あれこれ読む時期が長く続き、ありがたいことにインターネットで知り合った友達ができた。私にとってはもうとっくの前から、「インターネットの人」ではなく「友達」だった。そしてその日は友達に会える、あたたかく晴れやかな日だった。

 少し話はそれるが、インターネットを通じて人と知り合うことに不安を感じる人もいると思う。特に昨今では利用者が増えて犯罪などのケースも目立つようになったから、そう感じるのはごく自然なことだ。役に立つかは分からないが、トラブルに巻き込まれないための個人的なポイントを二つ記しておく。
 一つ目は、インターネットで人と知り合うのは人生において必須のことではない、ということだ。人とつながる手段というのは何でも良く、インターネットはたくさんある手段のうちのひとつ。もしインターネット以外で仲の良い人を見つけられたなら、それが自分にとって大切な人なのだ。これを頭に入れておくと、よっぽど気が合った人でなければ交流しなくてもいいかという気持ちになれるので、結果的に気の合う人と仲良くなれることもある。そうなったらラッキーだなと思いつつ、そうならなくても特に気にすることはない。
 二つ目は、やはりいわゆる「儲かる方法」みたいなものは避けた方がいい。この種の事柄については様々な意見があると思うので多くは言及しないが、私の中ではひとつのポイントになっている。

 友達との一日に話を戻そう。この日は秋田に住んでいる友達が私の住んでいる東京に来てくれるというので、もう一人の東京に住んでいる友達と一緒に三人で会った。ここでは秋田の子をあき子ちゃん、東京の子をとう子ちゃんと呼ぶ。
 とう子ちゃんが教えてくれた紀尾井町のお店でお茶の時間を過ごすことになった。確か私は東京に30年くらい住んでいると思うのだが、紀尾井町って初めて来た…かも…?少なくともこのお店には初めて来た。私が住んでいるのは東京の23区外なので、頻繁には都会のほうまで行かないのだ。
 お店は古い洋館をそのまま使っているらしく、中もとても美しかった。私たちは白くやわらかい色調の、窓辺のある席に通してもらった。窓の向こうには緑がきらきら光っていた。
 いただいたものはどれもおいしかった。ブルーベリーのショートケーキというものがあり、甘くてふわふわだった。スポンジの間には紫色のクリームがはさんであり、これはワイルドベリーのクリームなのだそうだ。上にはブルーベリーがきれいに飾ってあった。
 実は私の住んでいる東京都小平市もブルーベリーを推しており、ぶるべーというゆるキャラの人形が市役所に置いてあるという話をしたところ、二人ともややウケてくれた。あき子ちゃんはすぐに携帯で検索し、「割と細かく設定作ってるよ、趣味は光合成だって」と言った。とう子ちゃんもそれを見て「好きな場所は畑」と読み上げた。ぶるべーの設定などこの世で最もどうでもいいことのひとつだが、話題にしてくれるなんて二人とも優しい。しかし畑でとれたブルーベリーが近所で買えたり、なんだかんだで長く住まわせてもらっている小平市には感謝しているので、自虐をこめながらもつい話してしまうのだ。
 あき子ちゃんの住んでいる秋田の話にもなった。とう子ちゃんが「秋田と言えば美人が多いイメージだよね、秋田美人という言葉があるくらいだもん」と言うので、私は本当にそうだと言った。あき子ちゃんが言うには、「最近は秋田犬をアピールしている」とのことだ。あちこちに贈られている秋田犬が大事にされているといいねと、私たちは秋田犬の元気な行く末を願った。

 秋田にはおいしいものもたくさんある。秋田美人の名を冠するお米の「あきたこまち」や山菜、あき子ちゃんがおみやげにくれた「いぶりがっこタルタルソース」もそのひとつだ。いぶりがっことタルタルソースの組み合わせは最初意外に感じるが、不思議なことにこれがおいしい。ちょっと出汁の味もして和食にも合う。

伊藤漬物本舗のものがおすすめとのこと


 使い方は、家でよく使う卵のタルタルソースと同じでいいと思う。フライにつけてもいいし、クラッカーなどにつけてもいいかもしれない。私はタラの切り身を焼いたものにつけて食べるのが好きだ。タラの切り身は、塩味がついていなければ薄く塩をふって粉をまぶす。小麦粉でも、米粉や片栗粉でもいい。あとはそのまま好みの油をしいたフライパンで焼くだけ。冷蔵庫にある野菜も添えて「がっこタルタル」をつければ、立派な主菜になる。親がこのいぶりがっこタルタルソースを好きになり、「がっこタルタル」と呼んでいる。

 素敵なお茶の時間を過ごしながら、私たちは色々な話をした。二人が「さかなちゃんはがんばってるよ」と言ってくれて、とてもうれしかった。実際は大してがんばっていないかもしれないが、優しい二人のお言葉に甘えて、がんばっているということにする。もちろん二人だってとてもがんばっている。こんなふうにお互いをねぎらう時間は大切だと感じた。
 帰りに三人で、お店の前に咲いているばらを見て回った。何種類ものばらが咲いていた。「いいにおいがするね」「一口にばら色と言っても、いろんな色があるんだね」と話しながら歩いた。あき子ちゃんは翌日の飛行機で秋田に戻るそうだ。あき子ちゃんもとう子ちゃんも、次会うときまで元気でいてくれたらうれしい。
 ということは…私も一応死なずにいたほうがいいということか…明日からもまた、とりあえずぼちぼちやっていこうと思う。とりあえず願いとかも捨てずに持っておこうと思う。まだ人間界で生きてます。

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