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人に頼るという事②~いつかその時が来たら妹を~



今回は、1度気づきがあり、心が軽くなったと感じましたが、またすぐ翌日に、重くなり、再度の向き合いになりました。


私の心の中から浮かんできたのは、妹の事でした。
少し前に、妹に連絡し、メールのやり取りが出来て、伝えたい気持ちは伝えて、すっきりしたと思っていました。(note記事 妹に伝えた事~私なりに出来る事~)
でも、心の奥に、押し込めて、未完了にしていた感情がまだありました。
私が、高校を卒業して、1人実家を出た時から、その後の気持ち。
妹を置いて出てしまった、という気持ちでした。


思い出して、過去の当時の記憶と感情を、今の自分が深く感じていきました。感情が湧き上がってくるまで、少し時間が掛かりました。

「○○ちゃん、ごめん...、置いて出てしまって...。
私1人が、家を出てしまった...。その後、辛い思いをさせたかもしれないのに、私は何も出来なかった...。
あの頃、私は自分が生きて行く事で精一杯だった...。何も...出来なかった...、本当にごめんね... ごめん... ...。」

当時の感情を思い出し、再度体験すると自然に涙が溢れ、泣きながら言っていました。

先日、妹と連絡をやり取りした事、その時の言葉と、今の関係がある事に救われました。


幼い頃、家に誰も居ない時はいつも2人で留守番をしていました。
小学生の時、天然のくせ毛を気にしていた妹の事を男子がからかった時、友達が知らせに来てくれて、私が走って行って言い返して守っていました。喧嘩もよくしましたが、いつも一緒に遊んだ可愛い妹でした。私の中には、姉だからという責任感があったのだと思います。


私は姉なのに、妹の事は守らないといけないのに、守りたかったのに、私が高校3年の1年間と実家から出る頃は、父親の監視の目があり、会話もあまり出来なかった...、家から一緒に出る事は出来なかった...。
出た後も、私は妹を守ってやれなかった。妹には妹の自由な意思や気持ちがあったとしても、私は姉の責任を果たす事が出来なかった。
その気持ちは辛すぎて、私は、忘れてしまう程に、心の奥の奥に押し込めてしまっていたようです。そのうち、その感情の上に他の感情が覆いかぶさっていったのだと思います。
対人関係で、同じ事を繰り返していくうちに、責任を伴う事がとても苦手に感じました。
責任感は強かったほうなのに、その責任を果たせない自分、という事を繰り返し経験しました。
AC(アダルトチルドレン)が築く人間関係の特性に加えて、妹との事、未完了の感情(助けたかったのに助けられなかった)(私にはきっと出来ない、何も出来ない)が、潜在的に私に影響していたのかもしれないと思いました。

いつか、もしも必要になったら、私は妹の力になりたいと思っています。
それは、今はもう、妹に対する罪悪感や責任感からそう思っている訳ではありません。そうしなければいけない、という気持ちでもありません。
(向き合いの時に感じた感情は、当時、私が実家を出た数年後の頃に感じていて、どうする事も出来ずに、心の奥に押し込めてしまっていた、未完了にしていた感情です。この感情に、私はそう思っていたんだ...と気づいて、丁寧に感じきった事により、気持ちは動き、楽になり、変化しています。)
もしも、そういう状況が来て、妹が自分の意思で、そう望めば、もしも、妹が、今信仰している宗教を辞めたい、と言ってきたら、私は私に出来る事をしたいと思っています。
そのために、まずは私は自分自身を助けて回復しなければと、そして、自分が誰かに伝えられるように学んでおきたいと思いました。
妹がそうしたいと言ってくる可能性は、とても少ないかもしれません。
もしも、そう言ってきても、長い年月、自分を形作ってくれていた思考や感情を、自分で感じて気づいて変えていくのは、大変な辛さを伴う時があります。
それでも、妹自身が、本人の覚悟で、今までの自分の人生と、自分の感情と向き合うと決めるなら、私は私の経験をもとに、出来る事をして、手伝えるかもしれないと、そう思っています。


なので、迷ってきましたが、自分のために、
今(来月)1歩、人に頼る場、学びの場へと、行動してみようと思います。
行動してみて、引き返してもいい、道を変えてもいい、行ってみないとわからない、と思いました。
もしも妹が、生涯、そんな変化を望まなければ、それはそれで、妹の自由意志なので、私も尊重して、何も言う事は無いと思います。
妹は妹の、私は私の、生きたいように生きていいと思っています。私は私の信じる道を、焦る事なく、歩みたいと思っています。

あくまでも私の体験では、何かに気づく必要が来た時、心がモヤモヤして、気づきが来る感覚がわかります。
あぁ、また来た...と思い、避けようとしても、歩みは避けられず、気づきは近づいて来ます。
ただ、すぐにわかる訳ではなくて、その心のモヤモヤが何なのか、自分で考えたり、心に聴いたり、心とゆっくり対話して、心にある物をよく感じてみる。時には悶える時もあり、通過するまでのこの時間が、私は1番苦しく感じます。
夜明け前が1番暗いと言われるように、気づく前が1番辛い、と思います。
でも、ゆっくり向き合って、じっと受け入れ、そうやって時を過ごしていると、自然と(必然と)、自分の中から気づきがあったり、その時に必要だった情報、言葉、文章、映像などに出会う等して、そして、はっ ... と気づきます。
気づけた後は心が軽くなります。何かが残っていると、モヤモヤした気持ちがまたやってきます。


逆説的に、ある1段を越えるか、ある場所を通過して、そこへ(気づいた後の心理状態に)辿り着くと、
その気づく前には、自分には到底無理だと、難しいと思っていた事柄への距離が、なぜか少し近くなった感覚がしました。
自分には到底無理だと思っていた事柄に、挑戦してみようかな...とか、やってみようかな...とか、
そういう気持ちが、小さいけれど芽生えてくる。
いつも、気づいていく時、逆説的な気持ちの動き、心の動きがあると思いました。
逆説を辿って、自然に心が動いていく事で、自分の心の中に、その都度、何かを建設して、強度を造り、日々、(瞑想などで)自分の心の中を観察する事で、強度や耐震性を確かめているような感じがしました。
この、造っているものがもしかして'自分'かもしれないと思いました。




お読み頂き、ありがとうございました。




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