見出し画像

私の過去⑦~両親との衝突~



本当に、父親は、完璧に洗脳されきっている状態でした。
父親に、洗脳という言葉を投げかけると、ほかの宗教と一緒にするな!、と猛烈な勢いで暴言を吐いてきました。
頭の中が教義で凝り固まっている父親に、私が何を言っても、まったく通じませんでした。
そして、私が引き下がらず、行いを変えない事にまた怒り、私から悪影響が及ぶからと、妹に近づかないよう言ってきました。
私は ' 悪魔サタンの手中に落ちた者 ' 呼ばわりされ、妹との仲は引き裂かれました。



母親は、私がまったく折れないので戸惑っていました。父親の怒りを鎮めるため、母親が私を説得してきましたが、聞き入れませんでした。
母親に、そんなふうにいつも父親の顔色を伺って、言う通りにばかり振る舞って、母親の本当の気持ちはなんなのか、母親自身の意思はどこにあるのかと、聞きました。
母親は、この時は、自分は父親と同じ事を信じている、自分の意思でそうしている、と言っていました。



以前は夜に家族で団らんする時間もありました。
当初は、(私が宗教を辞めると言っても)宗教関係以外の会話であれば、家族とそれなりには話しが出来るのではないか、
両親もある程度は割り切って会話してくれるのではないか、と思っていましたが、私が宗教を辞めるという立場を示す事で、普通の日常会話はなくなりました。
毎日、必要最低限の声掛けのみになり、
両親の監視の目があったので、妹と気軽に話す事もなくなりました。
そうなるかもしれないと、覚悟はしていましたし、強い決意があったので、気持ちが変わる事はありませんでしたが、
日々父親から人格を否定される言葉を言われ、家庭内で孤立し、自室で1人になると泣きはらす事が増えました。



宗教とはなんだろうと思いました。
宗教は本来、人が幸せに生きるためにあるのではないか。
それなのに、宗教教義を信じる側と信じない側で、こんなにも関係性を分断してしまう。
たとえ親子であっても。家族であっても。

法律で、個人の信教の自由は保障されているのに。
どうしてただ自分の進路を決めたり、自分の気持ちを自由に主張するそんな当たり前の事で、こんなにも酷い仕打ちを受けないといけないのか。
両親の信じる宗教は闇だと思いました。
同じ教義を信じる人には、心を解き親身に接し、同じ教義を信じなくなった人には、手のひらを返し心を傷つけ攻撃する。
そんな差別的な事を行えてしまい、疑問を持たない。
宗教がこんなにも人を操り、縛り付けるものなら、
私は宗教は大嫌いだと思いました。




私が集会に行かなくなり、しばらく経つと、さすがにおかしいと認識されたのか、会衆の長老から呼び出しがありました。

長老からは、両親に伝言での呼び出しでした。
とりあえず、1度話しをしに集会に来るように、との事でした。
私はそれでも行きませんでした。
何があっても、もう宗教団体とは関わりたくないと思っていましたし、とにかく離れるには、もう一切関わるべきではないと思っていました。
呼び出しに応じない事で、長老から何か言われたのか、父親はいい加減にしろと怒り狂ったように言ってきました。


自分に恥をかかせて(長老から家庭内を円満に治めていないという評価を受けるため)楽しいか。
今までどんな思いで育ててきたと思っているんだ。そんな自分の好き勝手にやるような、バカ娘に育ててきた覚えはない!


長老の父親への評価など私にとっては論外でした。
私は今までずっと、父親の言う通りに、言う事を聞いてやってきた、と主張しました。
本当は小さい頃から、やりたい事がたくさんあったのに、あれもダメ、これもダメと、普通の家庭なら普通に当たり前に経験出来た事だって、うちでは全部ダメだと言われて、全部気持ちを無視され否定されて、言う事を聞かないとムチで叩かれて、ゲンコツが飛んできて、だから全部我慢するしかなかった!
言われたように、部活動も我慢した。言われたように、宣教活動もやってきた。ずっと自分の好き勝手になんか、1つもしていない! と言いました。

感情が爆発しました。悔しくて、そんな発言しかしない父親が情けなくて、私は泣きながら言い続けました。


我慢するしかなかったから、もう何も言えなくなって、親の顔色を伺って、親の喜ぶ事をして、親の喜ぶ顔を見るのは嬉しかったから、本当にそうしようと自分なりに思って頑張ってきたんだと。
でも、両親は、私の事なんか何も見てなく何も気づかず何もわかっていなかった。
今まで、1度でも、本当に私の気持ちを考えたり、気持ちをわかろうとしてくれた事があったのか。
体調不良の時に本当に助けて欲しかった時にさえ、宗教のほうが大事だった。本気で見て、本気で接しようとはしてくれなかった。
自分を止める事が出来ず、教義についても触れました。
私は、自分が万が一輸血が必要になった時、教義とは違う、輸血や必要な治療を受けて、生きていく。
そうやって、今ある命をしっかり生きていく事が大事だと思う。

将来の楽園で永遠に生きるとか、
そんな事を信じて、今の人生いろんな事を我慢して制限して何も楽しまず、喜びを感じずに生きるんだったら、私は楽園で永遠になんか生きたくない。
将来の楽園じゃなくて、今!
今、目の前の現実を見て、現実を生きていかないといけないんじゃないの?!
私はそう気づいて、自分でしっかり考えて、自分の進路は自分で決めてやっていこうとしている、その事の何が悪いの!?

何を言ってるー!生意気な事を言うな!平手が飛んでこようとしました。


もう叩かれたくない!と思い、父親の手を掴んで阻止しました。掴み合いになりかけました。
父親は興奮し、バカ娘が、バカ娘が、と連呼し歩き回っていました。


私も自分を抑えられませんでした。

それに、私は、自分達だけが生き残ってとか、信じる人だけが楽園に行くとか、違うと思う。
もしも本当に神様がいるんなら、誰1人残さず、すべての人、全員を楽園に連れて行くんじゃないの?!
信じる人だけ救うとか、信じない人は救いませんとか、そんな事を神様がするの??
信じる人は救われて、信じない人は救われない、
そんな教義おかしくない?!  おかしいでしょ!


黙れ、黙れー!


そういういろんな事、いろいろ全部、父親と母親は、自分の思うように青春時代を過ごして、自分で決めてきたでしょう?!
どうして私がそうしようとするのはダメなの?!
父親、母親は、いろいろ自分で見たり経験したりして考えて、それから自分で信じる物事、宗教を選んだんでしょう。
それならいいじゃない!
私にだって、いろいろ見て経験してそこから考えて、物事を決める、信じる物を決める権利がある!


わたしはお前のためを思って、お前のためを思って!


そんなの知らない、頼んでない、
私はお父さんの操り人形じゃないわ!
私はもう私が決めたようにするから!


勝手にしろ!!
その代わり、もう一切面倒は見ん!


真剣にどこかのドラマのようなセリフのやり取り、
肩で息をするように、壮絶でした。
私が、父親にこんなにも自分の感情をぶつけ、反抗した事は初めてでした。
体力気力を使い果たし、身も心も疲労困憊でした。
騒ぎを聞きつけて母親も妹もやって来ていました。


母親が謝ってきました。
体調不良の時はごめんと。
もっとちゃんと話しを聞いて、もっとわかってあげるべきだったと。
気持ちは伝わってきましたが、
私は、もう遅い... と答えました。



⑧に続きます。



お読み頂き、ありがとうございました。
記事の内容はあくまで私自身が体験し、その体験から感じた主観です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?