嗚呼絶景かな、「フリューゲル ー君がくれた翼ー」「万華鏡百景色」

月組「フリューゲル ー君がくれた翼ー」「万華鏡百景色」を宝塚大劇場で観ました。
祝・初遠征であります。いやあ、大劇場っていいですね。東京劇場にも別の良さがありますが、大劇場のキャッスル感が醸し出す非日常空間は別格だと思いました。

そして初遠征を大劇場が歓迎してくれたかのようなラッキーな出来事も。
星組のスターさんが観劇にいらっしゃってました。初めて見る素のタカラジェンヌのオーラに感動。自分はふだんタカラジェンヌを愛称では呼ばない主義(管理職の基本)ですが、この時ばかりはお隣のマダムと「○○ちゃんが!◯◯さんも!」と大盛り上がりさせていただきました。

ーーーー(以下ネタバレあり)ーーーー

 1.  ハッピーでもほろ苦い「フリューゲル ー君がくれた翼ー」

すごくよかったです。ベルリンの壁崩壊をテーマに、東西の隔たりを超えた人々の友愛を描くハートフルコメディ。
うまく言えないんですが、コンサートのようなお芝居だなと思いました。
月城かなとさんと海乃美月さんが奏でる「友情以上恋愛未満」の機微に酔い、月城さんと鳳月杏さんの掛け合いではジャズセッションのごとき緊張感を楽しみ、舞台を縦横無尽に走りながら煽る風間柚乃さんに乗せられて。心置きなく笑って泣いて、時にあっと驚く、極上の観劇体験でした。遠征してよかったと心から思いました。

風間さんのルイスやヨナスの部下4人組の演技に少し試行錯誤が感じられた(=振り切れてない感じ)のも、この先のさらなる進化を予感させてむしろ楽しみになりました。配信観よう!

ただ、ひとつだけ考え込んだこともあって。

終盤の衝撃のシーン。

崩れた壁のそこかしこで、歓喜の歌の余韻に包まれながら東西の人々が抱き合う中、鳳月さん演じるヘルムートがひとり、凍りついた表情で小銃をこめかみに当てる。

えっなんで?ちょっとまってやめてやめてやめて
心の中で悲鳴をあげるも虚しく、照明が真っ赤に変わり銃声が鳴り響いてしまうのでした…

帰途、このシーンの意味をずっと考えていました。


自分はこのお芝居を「西側の自由な思想が東側の悪政を倒し人々を救う」物語として観ていたのですが、そうではないのかもと思い始めました。

もしこのお話が「勧善懲悪」の物語であるならば、このシーンは必要なかったはずです。
なぜならヘルムートはシュタージとして人々を弾圧しテロを企てはしますが、彼自身もKGBに監視されている役人のひとりにすぎないからです。懲らしめられるべき「悪」の中心人物ではなく、失脚して罪を問われるなりで十分なはずでした。

ここで振り返って考えると、お芝居の中にいくつか「視点の転換」を示唆する表現があったように思います。

海乃美月さん演じるナディアを、月城かなとさんのヨナスが自家用の国産車「トラバント」に乗せて案内するシーン。走り出した車にルイスと菜々野ありさんのヘルガが並走する。「ふたりとも足速すぎ」と客席の笑いを誘っていましたが、あれって当時の「トラバント」がそれほど遅かった、それほど低性能だったということを表しているんですよね。
「ライラックの夢路」でドイツにもたらされた工業化が、東西分断と「カジノ・ロワイヤル」時代の冷戦を経て、西ドイツで先鋭化した一方で東ドイツは取り残されてしまった。

また当初のナディアが東ドイツの文化を「ダサい」と一蹴するシーン。笑える場面ですが、そういうナディアのトンチキ衣装や、ヨナスの部下たちが密かに楽しむ動画(オリビア・ニュートンジョン風のMV)とファッション(礼華はるさんのバンダナ)に象徴される「80年代西側ポップカルチャー」も、客観的にみれば相当ダサい。ヨナスの嫌悪感も理解できます。

先入観で見えないものが、少し視点をずらすと見えてくることがある。このお話は「ひとつの優れた価値観が劣った価値観を凌駕する」とか「違う価値観をひとつに融合する」物語ではなくて、「違う価値観を持つもの同士がその違いを認め合うことに希望を見出す」物語なんだなと理解しました。
その意味で、最終的に人々を突き動かすのがナディアの歌ではなく、「歓喜の歌」だったのが象徴的でした。
ここは泣けた。

では、ヘルムートの視点でこの物語を振り返ってみます。
(ここからは妄想全開になります)

ヘルムートは公安に属する身分で西側の情報に通じ、正しく分析もできていたと思われる。ならばヘルムート自身も、当時の自国の状況が理想的ではないとわかっていたはずです。なのにそれを頑なに守ることで、彼が防ごうとしたものは何だったのか。
もう本当に妄想全開になるんですが、
それは「ナチズムの再興とふたたびの戦禍」ではなかったかと思います。

敗戦後、東西分断という形でかろうじて生き延びたドイツ。ふたたびの戦禍にみまわれたら耐えきれる保証はありません。情報戦に長けていたであろうヘルムートは、西側におけるポピュリズムの台頭とそれに伴う極右化を正確に予見していたのではないか。
それが、テロという手段に訴えてまで「ポップスターによる自国の変革」を阻止しようとした理由なのかもしれない。

ヘルムートはたびたび、「愛国」の反対語として「非国」という言葉を使います。それは単なるプロパガンダではなく本気で国を愛していたのだと、鳳月杏さんのヘルムートからは感じました。
彼にとって、壁を叩き壊す「歓喜の歌」は絶望の歌に聴こえたであろうと妄想すると、心がとても痛くなりました。


※ (9/24 大劇場千秋楽配信を観て、記憶違いの箇所を書き直しました。)


2.  ああ絶景かな絶景かな「万華鏡百景色」

めっちゃよかった!!
アーティスティックな素晴らしいショーでした!
世界中の人にみてほしい!
お芝居がコンサートのようだったのに対してショーはお芝居のようで、月組ならではのショーだと思いました。選曲も世界観にも、お芝居との連続性が感じられた。エトワールが大階段の上にスタンバイした時には、終わってしまうんだと切なくなりました。

そして自分は体験してしまったのです、「客席降り」を。
幸運にも端席で。

… 月城かなとさんがさらりと舞台を降り … く、くる、来る、き、来たぁぁぁぁぁ!!
なんか人間離れした美しいものが横を駆け抜けていったぁぁぁぁぁぁぁ
そして間近で丁寧に目を合わせながら踊ってくださっているのは、白雪さち花様だぁぁぁぁ!顔ちっちゃ!肩甲骨バッキリくっきり!骨まで麗しすぎるぅぅぅぅ…

… … …

あと、「地獄変」で鳳月杏さんの芥川龍之介を観られたのが自分的には超ツボでした。
このショーの演出家である栗田優香さんが手がけた「夢千鳥」を観て以来、芥川か太宰を和希そらさんでやってくれないかなと夢想していたのですが、うわっ鳳月さんでキタ!!!と歓喜で飛び上がりそうになりました。
焼かれる娘が天紫珠季さんなのも、「応天の門」における業平と高子の関係性を思い出してエモい。
そして苦悩する良秀=芥川の背後で踊る女形の男役さんたちが、息をのむほど美しい。中央で率いる夢奈瑠音さんが驚異的で、たとえはアレかもですが名古屋のナナちゃん人形かと思ったです。

群舞では、下手端で空を切り裂いている人がいる…と注目したら佳城葵さんでした。か、かっこいい! あの高度な芝居センスは、男役としてのベースが仕上がった上に成り立ってるんだなと思いました。追い始めたらずっと目が離せなかったです。

蓮つかささんも輝いていた… これで退団は本当に残念です。


今回はじめて、同じ演目をもう一度客席で観たいと心から思いました。
たいていはBlu-ray買えばいいやとか思うんですが。
東京のチケットは無理そうだから、配信コンプリートする!
Blu-rayも絶対買う!

いやこれからBlu-ray何枚買うんだ自分???






















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