つい感傷に浸ってしまう「双曲線上のカルテ」

雪組「双曲線上のカルテ」をライブ配信で観ました。

(今回の感想は立場上どうしたって批判的にならざるを得ないのですが、最終的には肯定に向かいたいと努力しつつ書きます。)

お芝居が始まって1分で、これはたいへんだと思いました。
酷い。こんなのは嫌だ。
役者さんの熱演や美しい音楽や舞台装置にしばし気を取り直すも、数分ごとに「酷い」「こんなのは嫌だ」の大波が襲ってきては打ちのめされるの繰り返し。
せめて最後には何か救いがあるかと思いきや、主人公フェルナンド先生の壮絶なクズっぷりに圧倒されて終わってしまいました。

いやいやいやいや

自分は、この作品の原作が書かれた時代の価値観を内面化して育った。そしてこの作品の雰囲気がまだ残っていた頃の業界に職を得て、個人の権利と死生観と倫理の葛藤をみてきた。現場を支える人たちの闘いと変革にも触れてきた。自分にとってこの作品の世界観はリアルなディストピアであり、だからついフィクションなのを忘れて猛反発してしまうのだ。

でも実際は、この話は半世紀前の作家が書いたファンタジーにすぎない。血で血を洗ったフランス革命がいま美しいミュージカルとなって楽しまれているように、現在を生きる人たち(とくに女性)が過去のディストピアをエンターテインメントとして消化できるなら、時代の進歩の証となるかもしれない。

そう考えると、この作品にはフィクション性を担保する配慮がいくつも見られていたように思います。
まず、設定が海外に変更されていること。(これは初演からのようですね。)
現代的な医療監修を加えていないこと。
いまなら一発アウトな表現の数々を敢えて修正していないこと。
有線電話の呼び鈴がしばしば効果音に使われていること。
とくに電話の呼び鈴は、随所で「そうだこれはスマホと医療用PHSがない時代の話だった」と思い出させてくれて、頭を冷やしてくれる効果がありました。

そうした配慮の上で、フェルナンド先生を和希そらさんに演じさせたのは正解だったと思います。和希さんは宝塚で一番「自滅的なダメ男」役が似合うタカラジェンヌだと自分は思います。ちょうど「夢千鳥」を観たばかりだったので、夢二に続いてこれか、と最初ちょっと笑ってしまった。

大正解!
乱れた白衣最強!駆血帯を口にくわえて縛る仕草最強!メガネ最強!
(ダメ関係ない気もするが)

夏美ようさんの「ザ・医者」感が濃い院長と五峰亜季さんの奥方、自我を確立した女性ゆえに辛辣に描かれる院長令嬢の野々花ひまりさんと看護師長の愛すみれさん、真面目で融通が利かない(いやこれが普通)医師ランベルトの縣千さん、コメディカルらしく常に一歩下がってプロ意識を覗かせる診療放射線技師の久城あすさんらが、それぞれに「渡辺淳一ワールド」を体現されていてとても良きでした。

とくに、フィルムジャケットを小脇に抱えた久城さんが格好良かった。あーこういう技師いいよね!との安定・安心感がありました。ただスクラブと長袖インナーTの重ね着はちょっと今風すぎたかも。ケーシーのほうが時代っぽかったな。いやスクラブ久城さん最高だったからいいんですけど。

また野々花ひまりさんは「ライラックの夢路」に続いて今回も、自我が強く欲望に自覚的な令嬢の役どころでしたが、女性目線と男性目線ではこうも扱いが違うのかと感じて面白かった。女性目線だと「行き過ぎた自尊心」として描かれる自我の暴走行為が、男性目線だと「嫉妬(=劣等感)」と解釈されるんですね。ベクトル真逆やん。

いつか自分が、この作品を無感傷で観られる日がくるといいな、と願います。
















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