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『永い言い訳』

親元を離れ大学に入ってから、子供を産むまでの10年は、自分の好きなことをとことんやって、自分のためだけに生きた10年だったと思う。それは裏を返せば、自分が好きではないものに対して頑なに背をむけてきた時間だったということもできると思う。

西川美和『永い言い訳』を読んだのは、二人目の子供を産んで、復職して三ヶ月後ぐらいの時だった。そのとき私は、周囲から大きな変化を求められていた。でも当時の私はまだ、周りの環境の変化に合わせて自分を柔軟に対応させることができるほど人ができておらず、自分が好き勝手やってきたちっぽけな10年のキャリアにまだしがみつきたかった。そんな簡単に手放すことはできなかった。

そんなときに読んだ一冊だった。私は、明日も仕事があるというのに、子供を寝かしつけてからの深夜、読むのを途中で中断させることができなかった。そして、この本を読み切った後、机に突っ伏して泣いた。まだ夫が仕事から帰ってこない子供が寝ている静かな我が家で。

この本に書かれていることは、その当時の私のことだった。

「何にせよ、生きているうちの努力が肝心だ。時間には限りがあるということ、人は後悔する生き物だということを、頭の芯から理解しているはずなのに、最も身近な人間に、誠意を欠いてしまうのは、どういうわけなのだろう。

愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくない。別の人を代わりにまた愛せばいいというわけでもない。」

「『生きてるんだから、生きててよ』って、そんな簡単なもんかねと思うけど、案外そんなもんかもね。あのひとが居るから、くじけるわけにはいかんのだ、と思える『あのひと』が、誰にとっても必要だ。生きて行くために、想うことの出来る存在が。つくづく思うよ。他者のないところに人生なんて存在しないのだ。人生は他者だ。」

私は、その後人生を方向転換させた。

仕事を辞めたことを、仕事仲間だった人や知り合いに伝えると、「⚪︎⚪︎ちゃんにとって天職だと思ってたから、びっくり。」とか「あんなに没頭してやっていたことをスパッと辞めたから驚きました。」とか言われる度に、私もそう思うと心の中で頷いた。夫が自分の仕事を好きなだけやっている姿に嫉妬した。なんで私だけが周囲に合わせて、変化しなければならないのかと思った。

けれど、一年たち、模索していたライターの仕事で「これだ!」と思えるものに出会えた。1年前に営業をかけていたところから、時間がたってから連絡があり繋がったものだ。出産後、仕事で初めてアドレナリンがガンガン出た。

あんなに旅行嫌いだった私が、旅行に行くようになった。義両親やママ友に誘われていくようになったのがキッカケだ。夫と子供が始めた卓球に連れ立って行くようになった。母が好きではなかったので私も呪縛のようにあまり食べなかった牛肉を、夫と夫の家族が大好きなので食べるようになった。子供が絵本か何かを見て「桃の缶詰が食べたい」というので、買ってきて冷蔵庫で冷やしてから、みんなで食べた。「こんな美味しいものが世の中にあったなんて〜。お母さんありがとう!」と二人の子供は口を揃えて言った。果物の缶詰って、本当に美味しい。

私は、私の好きな人たちが好きなことを、自分に取り入れることができるようになってきた。そういうことも楽しめるほど、自分に余白をつくれるようになった。何もかも思ったようにはいかない。思ったようにはいかないことも、受け止められるほどではなくても、それと軽く向き合えるようになりたい。まだ、願望だけれども。

「ぼくらはね、そんなに自分の思う通りには世界を動かせないよ。だからもう自分を責めなくていい。だけど、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。みくびったり、おとしめたりしちゃいけない。そうしないと、ぼくみたいになる。ぼくみたいに、愛していいひとが、誰も居ない人生になる。簡単に、離れるわけないと思ってても、離れる時は一瞬だ。そうでしょ?」

写真を撮ることも撮られることも好きではなかったひねくれ者だったのだけれども、そんな機会がとても増えて、だんだん慣れてきた。今度、うちの両親が来た際に、義両親と私たち家族で、記念写真を撮るのも悪くないと思っている。自分なくしの旅は悪いものではない。

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