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NISHIGINZAの怪

「それはなぜなのだろうか」という理由を知りたがるのは人間の性なのであろう。
わからない部分があるにもかかわらず。
ある程度の分析で全部が分かったと思ってしまうことこそ問題で、そこにひょっとすると大きな落とし穴がありうることを知っていること、あるいはそれを覚悟していることが大切であろう。

            長尾 真


今朝、車に乗ると、毎朝の行事、カーナビが「本日は〇〇の日です」と今日も教えてくれた。

今日は「メンズバレンタインデー」だという。。。
なんじゃそれ?
そんなもんいつ制定されたんだ?

早速、出勤してパソコンを立ち上げ調べる。

なるほどね。

あ!そういやぁ、昔、一瞬、仲間内で話題になった事あった気がする。
「下着買いに行ってプレゼントって、ぜっていできねぇ!」
とか言っていいた。

で思い出した出来事。

メンバレとは関係なく、昔々、ある時、女友達(彼女ではない)3人と食事することになり有楽町へ。
で、待ち合わせ場所に行くと
「食事の前にちょっと買い物したいから付き合ってくれる?」
と。
で、連れられていったのが「NISHIGINZA」の地下2階。
エスカレーターで降りていきながら嫌な気が募りまくる。
降りきった瞬間、
「ゲゲッ!なんじゃここは!」
フロア全体が下着売り場、女性ものの。
若い女性で溢れている感満載。
その場をダッシュで逃げようと試みるも遮られる。
彼女たちはニヤリとして(そう見えただけだと思う。なんせ、余裕まったくなかったし)

A「いっしょに見て、選んでよ」
私「いやじゃ!」
B「なんで?買ってくれと言ったいるわけじゃないし、男性目線で教えてほしいの」
私「絶対イヤじゃ!」
C「じゃ、ここで待ってて」
私「なんでここで待たにゃならん!上の喫茶店で待つ!」
A・B・C 無視
A「これ持ってて、荷物に成るから」
カバンを預けられる。
B「その中にみんなのお財布入っているから」
C「いなくなって会計できなかったら、私たちの下着をもってレジに並ぶことに成るからね」
私「セクハラだ!」
無視

ま、結構脚色しているが、こんな感じだった。

待っているあいだじゅう、眼の置きどころがなく、下着ではなく寝間着を着けているマネキンを見つけ、ずっとそのマネキンと話をしていた。

普通に、「へぇ〜、女性の下着売り場ってこんな感じなんだぁ」ってのよか変質者ぽい、と笑われた。
下着売り場でマネキンと話すバカでかい男はヤバい、と。
言われてみりゃその通りだが。。。
普段、偉そうにして、怖いもの知らずぶっている本当は小心者のデカブツがどうなるかを見たかったらしい。

で、ご褒美ということで、
「今日買った下着見せてあげるよ」
「断る!」
見せようとするのを必死に止めた。
が、見せつけられた。

そんな淡い思い出が・・・。

ちなみのどういう友人かというと、ま、酒飲み友達だった。
普段は7〜8人で飲んでいたのが、どういう話の流れか忘れたが、4人で食事をする約束に成り、そうなった。
今、考えると、わたしをからかうためにアヤツラが画策して、それにまんまと乗せられた気もしないでもない。

この話をした時、
「良いじゃん!うらやましい」
と言ったやつもいたが
「じゃ、今度お前が行って来い!」
と言ったら
「やだよ。」
で終わった。

お化け屋敷とか怖いと思ったことがないが、「NISHIGINZA」の地下2階は未だに怖い。

何でもかんでも知りたがったり、見たがると、ヒデェ目に合うこともあるぞ!

いや、知りたがっても、見たがってもなかったし!

そうとう昔の話だ。

あの頃はまだ元気で、女性心理というものをわかろうと努力もしていたので、けっこう振り回されるのがわかっていても、そういういたずら好きな、かまってくれる女性とマメに遊んでもらっていたな。
で、結論としては、女性心理も男性心理もないね。
わかんないよ、他人が考えていることなんて。
それ言ったら、子供の、特に幼児と言われるくらいまでの子供の考えていることや行動なんてまったくわからんし。
バラバラだしね、みんな。

じゃ、年食って分かろうとするの止められたかというとそうはいかない。
やっぱ、関わった人間が何をどう捉え、どう考え、どう思い、どこに悩み、琴線はどこにあるか、そんなことを知らない内に探っている。
ただ、カテゴリで。女だから、男だから、何歳だから、どこの出身だから、そんなんで勝手に色分けはしないようにはなった。
いや、しないように注意している。
当然、思ってしまうのよ、最初は。
女性だな、男性だな、年寄だな、若いな、日本人だな、外国人だな、って。
で、それをなるべく打ち消してから話をするようにはなった。
そうした勝手なレッテル貼りが、人間関係をつまらなくしてしまうってのも覚えたし、相手の魅力を固定観念で激減させてしまうこともあるし、逆に、相手の醜悪が読み取れなく成ることもある。
なるべくフラットな状態で相対するように心がけたいなぁ〜、という願望だけは持つように努めている。

ま、「NISHIGINZA」も知らなかったから面白かった(?)のだろうし、知ってしまった今となっては避けるという技を繰り出せば済むことだし、万が一行ったとしても、あそこまでの緊張とおののきはもう無い気もする。

知りたい、分かりたいはやっぱ人間である以上は大事なのだろう。
それがないと、人間は本当に立っていられなく成る、歩めない。

だから、知ってしまわない、分かっちゃわないことは大事だと思う。



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