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不燃状態

一社会の中にいる個人が各充分に活動してその天分を発揮してこそ、始めて社会が進歩するのである。
個人を無視した社会は決して健全なる社会といわれぬ。

           西田幾多郎


今日はロックの日だそうだ。

ガンガンに陽が肌を突き刺して、オレのハートにも火を点けやがる。
オレのハートもロックだぜ!

とはいかない。

暑さにめげて、意気消沈、燃え尽きた灰ならまだカッコもつくが、湿気によってブスブスとくすぶって、異臭を放つ大気を汚染する煙を放っているような今だ😅

ロックな気分になれないっす。

ロックもジャズも無理、フュージョンもポップスも無理、フォークも演歌も無理。

今の気分は。。。そっとしておいて・・・って感じだ。

もう少し待ってくれ、7月盆明けには暑さに慣れて、ロッケンロールな夏を過ごせるように成っているから。

え?誰に待っってくれって言ってるのかって?
誰も始めから待ってないって?

うんなもん、自分で自分に言ってるんだよ。

くすぶり続けるこのハートに、いまにガソリンを打ち込んで、燃え上がらせてみせようぜ兄弟、って、ダサい台詞を自分に吐いて、なんとか今を乗り切ろうという苦肉の策だ。

ともかくロックの日だからこそ気づいた、燃えないハート。

ま、燃えなきゃいけないわけもなく、熱いハートってのが正しいわけでもなく、何にも燃えない興味を持てない、クールというのではなくただ冷めきっている、なにもできないしたくない、ただ構われずにじっとしていたい。
そんな人間でも、そこにいていいよ、と、存在を肯定するのが本来の社会の役目だな。
人間が社会を構成するのは、個で生きられない弱い者同士、相身互いで助け合うためであり、どのような個であろうと、その個を否定するような社会は健全ではない。

だし、矛盾だけど、人間には健全な社会は作れないのかもしれない。

個よりも、個と個の「間」を大事にするのが人間だから。

「間」ってのは「社会」だ。

「社会」が「個」よりも大事であって、その社会の中で「個」を第一義とする、というのはとんでもない矛盾だ。

だからこそ、「社会」は「個」によって成り立ち、「個」を尊重できない社会は不完全で歪なものでしかない、と言い続け、それを目指さなければならない。

そうでないと、「個」は必要がなくなる。

ということで、頑なに個を排除しようとする社会に抗い、集まって徒党を組むことが安心だと勘違いしている世相をぶち壊していこう。

Rock!!!




ダメだ。

なんとか、火を点けようと思ったけど、やっぱ、まだしんどいっす😅

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