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ぴちぴちチャプチャプらんらんらん!

愚かさとは、一旦捨ててもまた状況次第で拾ってくるような「我」のことです。
その「我」にはっきりと目覚めるということがないかぎり、本当に終止符を打つ、そこから離れることはありえないのでありましょう。

            池田勇諦


よく降るなぁ。

ベタベタを通り越して、空気感はベチャベチャって感じだ。

湿地帯なんかに行った感じだ。

で、心も引き摺られて落ちていくかというと、そうでもない。

わたしにしては、機嫌がいいほうかもしれない。
電話に出る自分の応対や声質でもそれは分かる。

なんでだろ?

特段いいことがあったわけでもない。
体調はいつもの通り、ここ何年間か変わらない、どこか疲れていて、だり〜っ、って感じだ。

それでも、機嫌が良かったりする。

もしかしたら、機嫌がいいわけではないかもしれない。
力が入らない。
怒る気力すらない、ってやつかもしれない。

わからない。

目に見えて、状況が変わった時に機嫌が良くなったり悪くなったりするのと違い、なんでもないのに機嫌が良くなると、自分でも自分ってもんがいよいよわからなくなる。

なんでもないのに機嫌が悪い時は、全てに苛立つので、神経がアッチャコッチャ研ぎ澄まされて、怒る原因を自ら求めるように過ごしているので、怒りの原因は探さなくともすぐ見つかる。

意味なくご機嫌がいい時はまったくわからん。

とはいっても、わらんご機嫌もわかったご機嫌も、実際に根っこにあるのは「我」でしかない。

ご機嫌がいい時は「我」はまったく感じられない。

ご機嫌が悪い時のほうが「我」を感じ、怒りながらも、当たりながらも、「我」に反省させられる。
情けなくなるし、コントロールできないものかと悩む。

ご機嫌がいい時のほうが「我」がない世界にいる。
つまり危険だ。

今日は、「我」がないだけに、一発、なにか発火するような出来事があれば、簡単に自らを見失い、まったく悪意もなく他を傷つけるような自分であるのかもしれない。

ビチャビチャな中、そんなことを思う。

さぁ、気をつけて、今日みたいな日であるからこそ、自分を信用することなく、疑って、お前は危険な状態にある!と言い聞かせてからコーヒーを買いに行こう。

今日の気分は、ドトールのブレンドだな。

毎日じゃん!😆!

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