見出し画像

一年ちょい、何を書いてきたか整理してみようかな、と思っただけで終わった。

私を問うことは社会を問うことです。
社会を問うことは私を問うことです。
それらを切り離すことはできません。
私の存在は私という個人があるのではなく、つながりとしてあるからです。
私の問題は世界の問題です。
世界の問題は私の問題です。

            尾畑文正


何を書こうかなぁ。

ネタ、ないかなぁ。

と、思っていて、そういやぁ、どのネタを書いて、どのネタは書いてないか、わからなくなっている自分にいまさら気づいた。

ネタ帳のようなものを作っておけばいいのだろうが、そこまでマメに何かができるタチではない。

でも、同じネタを書かないようにしなければ、という、どこかで見栄が働く。

「おじいちゃん、その話、もう5回目だよ!」

そんな風になりたくない、いまはまだ。

いちど、最初の投稿から見直すべ。

とも一瞬思ったのだが、300本以上書いてるものを、それも上手な文章、面白い話ならいいが、我ながら凄まじく文才どころか、中身のない文章をいまさら読み返したくもない。

どうすりゃいいのさ思案橋だぜ。

今起きていること、今日あったこと、それを書けばいいのだろうが、どうやら観察眼も感受性もあまりないようで、そこに来てこのクソ暑さ、暑さに慣れていない現状では何をする気も起こらず、自分から外に出る気にも成れず、うだっているので、いよいよなんも浮かばないし、目が行かない。

もう年なんだから、過去のことをうだうだと何回でも書いていいんだよ、って、開き直ることはできない自分ももどかしい。

臆病者なんだよ。

入管のことや、LGBTへの差別解消の法案のことや、ハンセン病患者への差別のことや、東京五輪のことや、当然コロナのことも含めて、社会事象に目を向ければいいたいことはたくさんあるのだが、全く纏まらない、ことばが出てこない。

簡単な言葉は出てくる。

馬鹿やってんじゃねぇ!
ふざけんな!
もの考えろ!

そんな言葉しか出てこない。
ちょっとまとめてみようと頭の中でこねてみたが、一瞬にして頭の中がグッチャグッチャになってしまい、何をどう考えて良いのかがわからんように成っている。

ま、全体的に言えるのは、なんで差別をなくしましょう、人権をちゃんと確立しましょう、みんなで仲良くやっていきましょう、ってそんな住みやすい社会を作る動きに反対するのか不思議でたまらん。

ま、差別解消に関しては被差別者のためだけ、人権確立も人権侵害を受けている人のためだけ、壁のない社会(バリアフリー、ダイバーシティ)の創造は障害者のためだけ、こんな風な勘違いをしているんだろう。

差別がないってことは、自分も差別されないし、上から上意下達で無茶を言われないってことに繋がる。出身地や学歴を評価するのでなく、人を適正に評価するような社会にしましょう、ってことでもある。

人権の確立ってのは、持ち物や能力で人を評価するのはアホがすることですよ。仕事は仕事、それは仕事の上で評価すれば良いことで、仕事=人でも、学歴=人でも、金=人でもなく、人は人でしかないですよ。そんな風に互いに認めあえる社会のほうが暮らしやすいから、それを作るよう互いに気をつけましょ。ってだけのことだ。自分自身に対しても、いるだけでいいよ、意味だの価値だのそんなもんはいらないよ、と言える社会にしましょ、ってことで、誰も困らないし、みんながお気楽に肩の力を抜ける場をつくることなんだな。

バリアフリーにしてもダイバーシティにしても、単純に道路整備や建物の構造の整備くらいにしか考えていないかもだが、これは誰でもが暮らしやすい地域社会にする一つの例であり、基本的にあるのは、生きやすい社会環境を作りましょう、ってこと。互いに、睨み合って、あいつ盗人じゃねぇか、あいつ殺人者じゃねぇか、そんな風に横目で疑いながら生きるよりか、古い言葉で言えば向こう三軒両隣り、理想でしかなく成ってしまったけどさ、バス待っている時に大雨が降ってきて、そこに車が停まって「どこまで行くの?良かったら近くか、せめて雨宿りできるとこまで送ってくよ」って知らない人に声かけられて、互いに安心して、乗せられる、乗れる、そんな社会にしましょうよ、ってことを目指しましょ、って話。

ま、どれも、そう簡単にできるもんでもないし、そうとうな時間を掛けてインフラも含めて、信頼関係を構築していかねければならないものだし、現状の日本社会を見ると夢物語のような話に思えるのも事実だけど、これを目指そう、という運動や政策を邪魔する人間の思考回路が全く理解できない。

そんなに上下関係、差別が好きなのかね。

弱者を叩いて喜んでいるみたいだけど、強者にはしっぽを振って、おもねいて、卑屈に笑いながら忖度するのが気持ちいいのだろうか?

社会が真っ平らに成れば、わたしも安心して暮らせるし、そっちのほうが良いな。

そのためにはもう少し、わたし自身も平らかな自分であるよう努めにゃなぁ。

はっきり言います。

わたしは全く平らかではないです、まだまだ。

わたしの価値基準に縛られまくり、それを軸に選びまくって生きてます。


この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?