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節分を迎えるにあたって

考えてみると「節分」は伝統的な日本の行事にして、なんとかわいらしいイベントなのでしょう。鬼の面をかぶってあたりに大豆を撒き、歳の数だけ豆を食べることで厄を祓って無病息災を願う。中々他の文化では見ない不思議な光景です。

個人的な思い出になりますが、我が家では鬼の面をつけた親が家中に撒く落花生やお菓子を、兄弟で競って拾い集めるイベントになっていました。大豆が中々売っていない外国での出来事だったので、苦肉の策でそうしてくれていたのでしょうか。子供からしてみれば、おやつのお菓子を溜め込める第二のハロウィンのようなイベントだったので、不満は全くありませんでした。

フードロス・シーズン

さて、この節分の前後は何かと「フードロス問題」の話題を耳にする事が増える時期でもあります。一年の中でも、この季節ほどその言葉が日常的に飛び交う時期は他にありません。

ことの沿革はご存知の通り。数年前、恵方巻きが大量に廃棄されている画像がSNSで出回り、消費者の間で話題になりました。これがきっかけでフードロスについて知った人も多いでしょう。2018年にはヤマダストアーの「もうやめにしよう」という折込チラシも大きな反響を呼びました。この2018年はタイミングも合って「食品ロス元年」と呼ばれるほど、フードロス(食品ロス)削減を見据えた取り組みやビジネスが急激に増えた年でもありました。

こうして議論が盛り上がる中、満を持して迎える2019年の節分。多くのプレイヤーが「今年こそ」の気持ちで見守る中、農林水産省から「恵方巻きのシーズンを控えた小売業への呼びかけ」も発出されました。

入り交じる気持ち

議論の熱が最高潮に達するこの日をどう迎えようか、少し複雑な気持ちでいます。フードロスに関する議論が世の中で盛り上がっていること、大きなプレイヤーに向かって国や消費者が働きかけていること、とても喜ばしい傾向です。これをきっかけにより多くの人がフードロスを意識し、責任を持った生産や消費をすることを心から願っています。

しかしその一方で、どこか切ない気持ちもあります。恵方巻きに関して騒ぐことで、純粋に節分を楽める人が減ってしまっているのではないかという懸念です。「節分=恵方巻き=フードロス」の構造を補強することに、どうしても後ろ髪を引かれてしまいます。(この記事を書いている時点で、加担してしまったことになりますが。)

節分と恵方巻き

節分は、本当に古くからある日本の伝統的な文化です。季節の変わり目とされる立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日のことを「節分」と呼びます。中でも立春の前日の節分は、旧暦を使っていた頃は大晦日のように意識されていたおめでたい日でした。新しい年を迎えるために厄を払う「豆まき」も、少なくとも室町時代まで遡る文化です。「豆」を撒くことが「魔滅(まめ)」に通じ、鬼を払った状態で新しい年を迎えました。

節分のような日本の年中行事は「行事食」なしには語れません。行事食は郷土に根ざした物が多く、多様な料理や風習が地域ごとに存在します。恵方巻きも、もともとはこうした郷土文化の一つでした。詳細な起源については諸説ありますが、恵方を向いて巻き寿司を食べるのは、関西の一部地域で行われていた文化だったようです。本格的に普及したのはここ数十年ほどのことで、商業的な背景によって全国に広まっていきました。「恵方巻き」という名前も、その商戦の中でついた名前です。

「フードロスの象徴」になったとき

冒頭で少し話したとおり、今となっては「節分=恵方巻き=フードロス」といった関連付けが容易に成立してしまいます。スーパーマーケットやコンビニエンスストアで恵方巻きの告知がされているのを、純粋におめでたい気持ちで受け止める人も減っているかもしれません。恵方巻きの話をすると、「どうせ今年もたくさん捨てられる」だとか「そんなものは商業的につくられた文化で、日本の伝統なんかじゃない」といった種の拒絶反応が必ず返ってきます。

これでは縁起を担ぐどころの話ではありません。節分を盛り上げるための商戦が、節分のブランドを逆に傷つける事になってしまっている皮肉に、悲しみを覚えざるを得ません。

節分を楽しむ

フードロス問題に関して消費者の私たちにできることは、突き詰めれば「責任を持って消費すること」です。食の選択には伝統文化、経済性、衛生面、手間、時間など様々な要因が絡み合いますが、その中で、自分の価値基準やその日の状況と照らし合わせながら、総合的な判断を臨機応変に下す姿勢が大切です。何かを買う時、自分はそのお金でどういう人や会社を応援しているのか少し思考を挟むだけでも変わると思います。

節分の文脈に話を戻せば、私たちにできるのは「節分をきちんと楽しむこと」なのかもしれません。豆を撒き、歳の数だけ食べ、恵方巻き含め郷土ごとの行事食をつくって食べる。どんな文化も、時代の流れとともに移り変わります。「伝統文化じゃない」と拒絶するのは、あまり本質的ではありません。豆まきだって、大豆をそのまま撒くのは衛生的に良くないからと、(我が家がそうであったように)個包装された大豆や殻付きの落花生、あるいはお菓子を撒く家庭も最近は増えてきました。厄を除けておめでたい気分で季節の節目を迎える気持ちがあれば、かたちは時代に合わせて変化しても良いのかもしれません。

良くも悪くも、節分は食について考えるひとつのきっかけになります。問題の難しさについて認識しながらも、まずはきちんと年中行事を楽しむのが一番だと思います。

節分がすぎた後には、売れ残ってしまった大豆をレスキューして、料理して食べてみるのもおすすめですよー。

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