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生まれてきてくれてありがとう

最近目の前に現れていた課題。
「役に立てていないわたしに存在価値はない」
という思い込み。

「存在するだけで意味がある」
「あなたは必要とされている」
ということを言葉でガツンと浴びせてもらって
ちょっとだけ信じられるようになった。

人間って本当に思い込みで生きているんだと思う。
自分をどう扱うか、自分のことをどう思っているのか、
セルフイメージによって人生はつくりだされているのだと実感する。

もしかしたらそうかもしれない、とちょっとでも肯定的に思えたら、
こっちのものなのかもしれない。
だけど微塵も思えなかったら、やっぱり信じられないというか、
納得がいかないというか。
あなたがいてくれてよかったよ、という素敵な言葉も、
素直にそう思えない人からすると、受けとられなかったりする。
何で?どういったところで?と具体的な説明を求めてしまう。

ーーー

両親ともに、人を頼るのが下手だなぁ、と実感した正月だった。
ちょっと一言、事前に言っておいてくれたら、
そのつもりで帰省するし、準備もするのになぁ。

わたしも人を頼るのは苦手だけど、この両親のもとに生まれたら、
そりゃそうなるよなぁ、と一人で納得しつつも、不甲斐なさを感じていた。

無意識下では、頼られるほどの力がないと思われているのかなぁ、
この家族というチームに必要とされていないんだ、
という思い込みを強めていた。

少し経って、同じような出来事が全然別のことで起きた。
その時はもう、こんなにもか?!というくらいに腹が立って、
心狭いなぁ、なんて思いながらも、
今は感情を受けとめることが最優先!と言い聞かせて、
とにかく言葉を吐き出した。

何で?!こっちの都合もあるのに?!
嫌だ嫌だ、自分の予定が崩れるの本当に嫌だ。
先に言っておいてほしかった。。。
わたしの意味なくね???
とブツブツつぶやいた。

その最中も、正論で言い聞かせようとする自分の声も聞こえたけど、
そんなんわかってる!と、一旦無視して、
モヤモヤが治まるまでひとしきりつぶやいた。

そしたら知らぬ間に忘れていた。
後で振り返っても、もう何も思わなかった。

自分の気持ちを受けとめる、ということを
ようやくできるようになってきたのだと思う。

わかってほしい、と誰かに思っている自分がいるな。
でもそれはつまり、
一番自分に受けとめてほしいということなんだな、と理解。
モヤモヤ感を感じているだけのところから、
感情を言葉にして、そう感じている自分がいることを受け入れて。
何年もかかっているけど、自分としては成長してることも認める。

その後、ふと気になったアダルトチルドレンの動画。
責任を背負い込むタイプ。
親を頼れなかったので何でも一人でやってきた。
良い成績をとるなど、子どもなりに成果を出して親を慰めてきた。
大人になっても責任感が強く、完全主義。
しっかりした子と呼ばれていたが、実際はかなり無理をしているので
情が育っていない。人を心から信用できず、気持ちを伝えるのが苦手。
相手の気持ちを理解できず、思いやりに欠けるところがある。
仕事でも家庭でも、自分のやり方を押し付けようとする。
良き理解者と出会わない限り孤独。
物事を効率優先、結果優先に考えがち。
無駄と思えることに時間やお金を使うことも人生には必要。

その動画の説明の中で、このタイプが一番当てはまった。
これまでも動画や本、ネットなどでアダルトチルドレンについて
向き合ってきたつもりだったが、またしてもここで出会う。
まだ解消できていないものがあるらしい。
もういい加減、やめにしたいと思った。
健全な人間関係を構築したい。。。
一旦絶望を味わって。

でも、愛されずに育ってきたわけではないと思った。
「条件付きの愛」だけじゃなかったと思う。
両親なりに愛してくれていた。それは今感じる。

じゃあ結局、何がほしかったんだろう、と思った時に、
「役に立たなくても、生まれてきてよかった?」
という言葉が浮かんだ。涙も出た。
昨年自分から出てきた
「生まれてきてくれてありがとう」
という言葉。
それを一番ほしがっているのは自分だった。

誰もが自分の鏡すぎてびっくりする。

何もできなくても、
ただ生まれてきただけでよかったのだと
信じたいのは自分だった。

こんな根本的なことにようやく気づいた。
いろんなことが重なって、
わたしは、今、だったんだなぁ。

こうなってくると、脳裏に浮かぶ声も
肯定的なものばかりになってくる。
いろんなことが、自分の妄想だったのだなぁと思う。

ただただ、その存在を認める。
シンプルなそのことが本当に簡単でなかった。
出会った人全員に感謝を伝えたくなる。
幸せです。ありがとう。

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