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自分のキャリア

最初に勤めた会社は農業関係でした。
大学3年生の時に就活サイトで見つけた会社でした。

本当は無農薬栽培とか、自然農法のことがしたかったのに、そのことでどうやってお金を稼いでいけばいいのかわからず、農関係、ということだけで決めたのでした。

当然、人生このままでいいんだろうかと、入社して1,2年で思い始め、アロマセラピー、カラーセラピー、アートセラピー、ホロスコープなど、とにかく興味のあったことを働きながら学んでみました。

いよいよ、もうこのまま働けない、となって会社を辞めて、次はどんな仕事をしようかと考えたときに、アートで子どもと関わったことが楽しかったので、子供と関わる仕事にしようと思い、学童の支援員に申し込みました。

学童では、子どもたちと関わることはとても楽しく、充実していたのですが、怒鳴って統率をとるやり方が合わず、森のようちえんや、シュタイナーなど、オルタナティブ教育について調べ始めました。そこでデモクラティックスクールというものに出会いました。

人は自ら学び育つことができる、という理念に大共感。自分のことは自分で決める、みんなのことはみんなで決める、ということを徹底的に取り組んでいて、子どもたちのことを深く理解し、見守る姿勢が素晴らしいASOVIVAに惚れ込んで、スタッフに申し込み、奇跡的なタイミングも重なって、スタッフの一員になったのでした。

夢だった古民家暮らしをすることもでき、畑でハーブや野菜を育てて、言うことなしの生活を続けてきましたが、2年半ほど経ち、ちょっとした違和感を感じ始めました。自分の得意を本当に活かせているのだろうか。本当にしたいことは何だったんだろうか。

改めて自分と向き合う時間が始まりました。

振り返ってみても、何とも主体性のない決め方。
好きなことや興味のあることに進んできたのはよかったんだろうけれど、結局、どんなことに貢献したくて、何を与えたくて、どんなふうに生きたいのか、全然はっきりしていない。

一旦、絶望です。

だけど、そんな人も多いのかもしれないなって。
使命を明確にして働いている人が、どれだけいるんだろうって。

子どもの頃は、自分の好きなことをしていればよかった。学校や習い事もそうして決めてきました。

だけど大学を卒業して、何をしてもいいよ、という自由を与えられたときに、本当に、迷子になりました。

そう、自主的には生きてきたんだと思います。学校では優等生していたし、与えられた枠の中でだったら自分のすべきこと、期待されていることが分かるから、それに応じていれば認められてきた。

その枠が一切なくなった時に、困り果てました。
これからどうやって生きていったらいいのかわからない。
それこそ絶望です。

それでも何とかつながった御縁を経て今ここにいます。

もし、子どもの時から主体的に生きることを練習できていたら。
もし、子どもの時から自分に自信をもてていて、自分には価値があると信じ、自分と人に与えることができていたら。こんなに遠回りすることなく、自分の使命にもっと早くから取り組み、たくさんの人を幸せにできたのではないか。

そんなことを考えます。

進路に悩む中学生の子たちの話を聴いていると、本当にもどかしく思います。自分の投影なんだと思います。

中学生のうちから将来の夢を決めて、それに向かうために進路を決めるって、簡単なことじゃないなって思います。何で食べていくか決めろって、酷じゃないですか。大人でもわからないのに。

主体性をもって、自分の好きなことや興味のあることに取り組んで、そのことで人に感謝されることや、自分が大切にしている価値観を見つけて、ようやく自分が本当にしたいことを見つけられるんじゃないのかなって思います。

どんな自分でも大丈夫、という安心感をもてていることは大前提。

わたしも言語化するまでもう一歩のところまで来ている気がしています。

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