「楽しむ」という言葉の二つの意味

みなさん「書類作成を楽しむ」という文を読んで、ん?と思いませんか?
私は違和感を感じます。

本来楽しくないであろうものに「楽しむ」という動詞を使うのは、この言葉の持つ役割の一つです。
例えば大多数の人が楽しいと思うディズニーランド、それを楽しむを言えば違和感はありません。「ディズニーランドを楽しむ」、つまり「楽しいものをそのまま楽しむ」という意味です。
でも、書類作成という大体の人がめんどくさがるであろう事に「楽しむ」をつける。
これは、「本来楽しくないものを楽しもうとする」という意味です。
私はこの用法に違和感を感じてしまうのです。
多分、「楽しい」という言葉の持つ圧倒的な"楽しさ"に反した使われ方だからだと思います。

他には、子供の頃「痛む」とか「苦しむ」「悲しむ」という言葉が気持ち悪いと感じていました。それと同じような感情を想起させたのは、首を晒して空を見上げる仕草でした。なんかかっこつけてるみたいで嫌だったんだと思います。もしかしたら前世首を切られて死んだのかもしれません笑
それらは今別になんとも思わなくなりました。

話がそれましたが、私は楽しむという言葉の持つ力に絶大な信頼を置いているのだと思います。だから、無理矢理というか、工夫して「◯◯(本来楽しくないであろうもの)を楽しむ」という使い方に疑問を感じるのだと思います。

この感情はなんとも言い表せません。最近発見した、私の考える名前のつけられない感情の一つです。特に、避けたい感情ではあります。

感情を楽しむというのもなんだか変ですね。でも、私にはそういう面があります。
みなさんはどうですか?

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