チワ

統合失調症持ち。右足の麻痺持ち。 音楽と読書が好きです。

チワ

統合失調症持ち。右足の麻痺持ち。 音楽と読書が好きです。

最近の記事

他人との距離感

お友達からお題をもらったので、今日は私の人との距離の取り方、逆に取らなささ?について書こうと思います。 まず私は自分の他人との距離感に対して自覚がありません。 近いのか、遠いのかわからないのでなんとも言えないところがあります。 そんなことを言ったらこの記事はここで終わりになってしまうので、もう少し考えてみようとおもいます。 私は他人に期待する方です。と言いながら期待していないのかもしれなくて、基準がないのでわからない。だからいつもフラフラしてる感じがあります。 私的に、

    • 人に期待するなというけれど

      人にはそれぞれの自由があるよね。 人に期待していると、他人の自由を許せなくなるところはある。 なんであんなことを言うんだろう、とか、嫌われたかもしれない、とか、こうしてくれないなんて、とか。 それが苦しいから、そして果ては苦しみのあまり他人の自由を侵害し始めてしまうから、人に期待はするな、という。距離を保てという。 今そういう考え方を広めている人は多い。 昔からこういう考え方があったのかは知らないけど、私はこの考え方に半分賛成で半分反対だ。 賛成なのは、この考え方で他人を

      • わたしはのろわれています

        ※スピリチュアルな話ではないです 人は生きていないと、誰かに優しさをあげることも貰うこともできないと思う。主体が消えては何もできないので。 確かに死ぬことで贖えることもあるかもしれない、思い知らせることもできるかもしれない。死なれて初めて優しさに気づくこともあるかもしれない。 でも人はすぐ忘れていく。生き続けなければ忘れられる。 そういう意味では、死ぬことで救われることもある。忘れることで断ち切ることもできる。 逆にいえば、生き続けることで呪うこともできる。 救われること

        • ”ガワ”を痛めると思うこと

          こんばんは。チワです。 ただいま腰を痛めています。腰から足に痛みがいっています。もうこれで何度目かと言う腰椎椎間板ヘルニアと診断されていて、硬膜外ブロック注射も受けたんですが、すぐ効き目が切れてしまい、足の激痛に苛まれる毎日です。 身体に痛みがあると、どうしても自分の存在の中の外側について考えることが多くなってしまいます。何でこんなに身体弱いんだろう、とか、もっと痩せてたら違うんだろうなあとか、先天性の脊柱管狭窄がなかったらなあとか。 昔は自分の身体の中の腰の存在すら気にし

        他人との距離感

          痛みがない時、人は痛みを思い出せない

          こんにちは、チワです。 大絶賛・腰椎ヘルニア悪化中です。叫ぶほどの激痛と共に生きてます。 今日病院に行って、ツートラムという薬を処方して貰いました。 強い痛み止めだそうで、これを飲むとかなり楽です。 精神の調子が良くなったと思ったらヘルニアに悩まされ、ヘルニアが良くなったら精神病に振り回され……という、かなり辛い人生を生きております。 いつも思うのは、痛みがない時って快適に過ごしていると同時に痛みを忘れているんですよね。だから痛みのない「今」のありがたさに気づけない。 痛

          痛みがない時、人は痛みを思い出せない

          Vlogのすすめ

          みなさんYoutubeって観ますか? 私は最近よく観ます。特に「Vlog」系をよく観ます。 VlogというのはVideo+Blogのことで、映像を使って生活や遊び、食事などのライフスタイルを発信していく形の動画です。 これの亜種?としてモーニング(ナイト)ルーティンやGet Ready With Me とか What's in my bagとかもあってよく観ます。 特に女の子のおしゃれな生活を見るのが好きで、それに加えてゲームをしてたりガチャを引いたりゲーミングデスクの模

          Vlogのすすめ

          東京旅行

          4泊5日で東京旅行に行ってきました。 東京はなんでもあって、いろんな特色のある街がぎゅうぎゅう詰めになってて、いつ行ってもどこか変化しているなあ。 足が悪くなる前は東京の街を歩くのがとても楽しかった。でも今回行ってみて、しんどいなと感じた。 疲れがひどいです。そんなに歩いてないのに、こんなに疲れるとは思わなかった。 また普段から30分歩くのが限度な私の足には、東京散策はきつかったね。 でも谷根千とか行けて、金木犀も初めて見られて素敵な旅ではありました。 国立西洋美術館でたく

          東京旅行

          性自認に対する認識の揺らぎ

          最近自分の性自認はもしかして普通に女性だったのではないかと思い始めた。 私は20代からパンセクシュアルの性自認は両性だと感じるようになった。 でも自分の人生の歴史の中で女性を好きな時と気が狂っていた時だけ男性自認のような感じになっていただけで、実際のところ、結局のところ私は別に性自認に障害を抱えている訳ではなかった気がしてきた。 いま男性とお付き合いしていて、女性として幸せな瞬間がよくある。以前は「もし男性とお付き合いしているうちに性自認が男性に傾いたらどうしたらいいんだろ

          性自認に対する認識の揺らぎ

          早朝に思うこと

          死んだら心も失くすのかと思うと、なんで生きているのかと疑問になってしまう。 死後の世界なんて信じてる人は少なくなってきているだろうけれど、今の私は信じたいと思っている。だって何もかもを失くすのは怖いから。みんなどうやって心を保っているんだろう。 完全に死後なんて信じてなかった頃の自分は、大切なものなんて何もなかった。死んだって何もなくさないと思ってたし、それは何も持っていないからだった。 でも今の私はいろんな大切なものを持っている。それは、恵まれたからとかではない。元々持って

          早朝に思うこと

          ダン・ブラウン『オリジン』を読んで

          ネタバレ注意です。 この作品では、「われわれはどこから来たのか、われわれはどこへ行くのか」というゴーギャンの作品から、人間や命というものがどうやって出現したのか、そしてこれから人間はどうなっていくのかという難しい問いかけをしてくる。そしてそれに一つの答えを提示してくれる。 私は特に「我々はどこからきたのか」に興味を惹かれた。 この世の全てのものはエントロピーの法則によってバラバラになっていく。そのバラバラになろうとする力が効率を目指した結果、生命を作り出したという説だ。

          ダン・ブラウン『オリジン』を読んで

          なにやら

          この間ニトリでデスク用の椅子を買いました。 今使っている椅子はAmazonで買ったのですが、ロッキング機能をオフにしても右斜め後ろに倒れていってしまうので、とても座り心地が悪くて…… このままだとまた腰を痛めてしまうと思い、新しく買おうと決めました。 でも座って確かめられるお店がニトリくらいしかなくて、結局そんなにこだわった良い椅子を買うことはできませんでした。 でも評判より何より自分が座った時の座り心地が優先なので、まあ良いです。 取り寄せになってしまうみたいで、届くのは8

          なにやら

          “好き”が揺らぐ時

          私は好きな作品が貶されているのを見ると興奮します。 突然のちょっとした特殊性癖ですみません。 メチャクチャ好きな漫画や本や音楽のレビューでも、見てて一番楽しいのは星一つのものです。 それを見てて好きな気持ちが揺らぐことはありません。 でも、もし抽選に外れたり、好きな作品や推しと私が謎の解釈違いになってしまった時など(思ってたそれと違った場合)……私はショックから自分の心を守るために好きな気持ちの方を下げてしまう癖があります。 そんなに好きじゃなかったし別にいいもんね🥹などと

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          二次元の推しができなくなって

          私には物心ついた頃から二次元の推しがいた。 幼い頃は少年漫画の主人公だった。大学生の頃は青年漫画の悪役など、好きなキャラが必ずいたし、その時々で途切れることはなかった。 統合失調症を患って、それが突然いなくなった。 二次元の推しがいたからこそ絵が上手くなったし、あの仕事も任されるようになったと思う。私にとって好きな作品、好きなキャラは絵を描く動機の大きな一面だった。 今は、何を見ても描きたいとほとんど思わない。寂しいことだ。 また二次元の好きなキャラが現れることを祈って、

          二次元の推しができなくなって

          「楽しむ」という言葉の二つの意味

          みなさん「書類作成を楽しむ」という文を読んで、ん?と思いませんか? 私は違和感を感じます。 本来楽しくないであろうものに「楽しむ」という動詞を使うのは、この言葉の持つ役割の一つです。 例えば大多数の人が楽しいと思うディズニーランド、それを楽しむを言えば違和感はありません。「ディズニーランドを楽しむ」、つまり「楽しいものをそのまま楽しむ」という意味です。 でも、書類作成という大体の人がめんどくさがるであろう事に「楽しむ」をつける。 これは、「本来楽しくないものを楽しもうとする

          「楽しむ」という言葉の二つの意味

          残された人生の短さについて

          精神病院にぶち込まれるまで、私の希死念慮はかなり厄介な強さだった。 毎日のように死にたい、死にたいとSNSに書いては、こんなに死にたいのになぜ死ねないのかと嘆いていた。 本当に私は心の底から死にたくて、死ぬのが怖くて、本当は心の奥では生きたかったのだと気づくまで、かなりかかった。私は幸せになりたかった。 希死念慮からなんとか抜け出したと思われる今では、何もなくても幸せだと思える。ただ、ぐちゃぐちゃの心を持て余しているうちに、もう30代になってしまった。まだ30代だけれど、も

          残された人生の短さについて

          無限って怖い

          宇宙は巨大な誰かの体の中身なのではないかと思うことがある。星は電子や陽子の周りを回る中性子のようにくるくる回っている。 それなら私の中にも宇宙があるのではないか。それでマトリョーシカみたいに永遠に続いていたらどうしよう。怖い。 宇宙は人間にとって果てしなさすぎる。無限が存在するとして、それを数字にすれば例えば円周率のようなものになる。無限の数字の羅列の中には、無限回数同じ組み合わせが登場するという。 ならもし宇宙が無限だとして、地球に生きている私たちの組み合わせが宇宙には無

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