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弟の自死と祖父の戦争トラウマ

本日2月25日は、17歳で自ら命を絶った私の弟の誕生日で、もし生きていれば彼は43歳になるだろう。

彼は私とは異なり、華奢で可愛らしい容姿をしていたため、今頃はスリムな「イケおじ」の枠に収まっていたかもしれない。

実は弟の誕生日と私の祖父の命日が近いこともあり、この時期になると、二人の故人の思い出がよみがえってくる。
少し思うところがあったので、弟の自死と祖父の戦争トラウマについて綴ってみた

弟が亡くなった日、親族たちは皆、悲しみに打ちひしがれていたが、その中で、普段無口な祖父が弟の亡骸の前で突然「俺は戦争で人を殺したんだ」と呟いたのだ。

私にとっては、初めて祖父から直接戦争のエピソードを聞いた瞬間であった。それまで親族たちから聞いた話を総合すると、祖父は軍隊で階級が高く、帰還後に祖母と結婚したこと、そして帰還後にマラリアの影響で夏なのに「寒い、寒い」と体を震わせていたことしか知らなかった。

この話は今から26年前、戦後50年以上が経過した頃の話であり、当時は弟の死の衝撃の方が大きかったため、祖父の呟きには「戦争だから仕方ないよ」という程度の受け止め方しかできなかった。

その後、歳月が経ち、私は結婚して父親になり、弟の7回忌を忘れていたぐらい、忙しい日々を送っていて、弟の死も祖父の発言も、過去の記憶として封印されていた。

そんな感じで時が過ぎていたが4年前のある時、何気に息子が弟が自ら命を絶った年齢になったことに気付いてしまった。

その瞬間、弟の死の光景が思い出され、同時に「息子も弟と同じように突然いなくなったらどうしよう」という理不尽な恐怖心に囚われてしまった。

このようなフラッシュバックが重なり、私は自分の内に秘められた「傷つきの経験」を探求し始め、多くの「複雑性PTSD」に関する資料を読み漁った。

その中で、「戦争や軍隊は複雑性PTSD的な現象を生み出しやすい」という一文に出会ったとき、祖父の呟きの真意が推測できるようになった。

おそらく祖父にとって、「戦争で人を殺した」ということは、非常にトラウマティックな経験であり、彼は常に自責の念にとらわれていたのだと思われる。(ちなみに祖父は熱心な曹洞宗の信仰心があり、とても敬虔な人であった印象がある)

彼が弟の自死に触れて「俺は人を殺したんだ」と呟いたのは、自らの罪悪感から生まれた発言だったのかもしれない。これはあくまで推測の域を出ないが、今になって考えると、祖父が抱えていた戦争のトラウマの深さが、あの瞬間に蘇ったのではないか、と思うようになった。

私の現在の関心事は、主として「複雑性PTSD」と「トラウマインフォームドケア」にある。私が経験してきた弟の自死と祖父の発言の意味は、いまだにはっきりとした答えを見つけることができず、それどころか、永遠に分からない可能性の方が高いように思える。

だが、私にとってこれらのエピソードは、今後の対人援助の職業生活において重要なものであることは間違いない。今年で50歳になる私は、今後の人生において、「複雑性PTSD」の温床となりうる「小児期の逆境体験」「差別」「戦争・軍隊」に自分で出来る範囲で抗いながら、その後遺症を抱える人々に何らかの支援を提供できるような人生を歩みたいと思っている。



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