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【一幅のペナント物語#67】昭和30年代の女性が選ぶ観光地⑥「男鹿半島」

雑誌『旅』の1960年(昭和35年)9月号の特集「女性におくる」で紹介された「女性の好きな旅先24」で選ばれた東北の観光地3選、最後の3つ目は「男鹿半島」ですが、「男鹿半島」は以前#2として採り上げているため、手元にあった「男鹿 入道崎」のペナントを紹介します。


◉ペナント観察:モフモフたてがみ仕様が珍しい海辺のナマハゲ

ビッグサイズになった昭和50年代頃の品だと思いますが、特徴的なのは周囲が紐ではなくフサフサの状態になっていて、まさにライオンのたてがみのような仕様になっているところ。僕の手元にあるペナントの中でもあまりみないタイプです。「男鹿 入道崎」の文字は民芸風の書体がいい感じです。メインの絵柄はブレずにナマハゲ2体。赤ナマハゲと水色ナマハゲ。背後に見える入道埼灯台は、本来は白黒の縞々ですがトラロープみたいなカラーリングになってますね。太めの黒い主線とビビッドなカラーで描かれた図案は躍動的で、ぱきっとした空のブルーも相まって、日本海らしからぬPOPな様相を呈しています。わりと好きかも、この図案。

◉男鹿半島の先っちょは超開放的な空間

空から見る入道崎(Wikipediaより 撮影者:らんで様)

「男鹿半島」の北の端にある「入道崎」は平たんな大地に青芝の広がるなかなか開放的なロケーションです。ランドマークにもなっている入道埼灯台は<日本の灯台50選>にも選ばれており、以前に紹介した島根の出雲日御碕灯台(#38)と同様に、国内にわずか16ヶ所しかない"登れる"灯台のひとつだとのこと。Googleマップを見てみると灯台の近くに、古き良き時代の香り漂う売店群があって、昔はこのお店のどこかでこのペナントも販売してたんだろうなあ、などと妄想が膨らみます。ちなみに地名は「入道崎」ですが灯台は「入道埼」と漢字が違うのは、陸軍・海軍それぞれの慣習に源流があるという説があるようで、灯台は海軍由来の「埼」を使うのだとか。ほんとうでしょうか。日御碕はこれまた「碕」で違うし、入道崎自体も「入道岬」と表記する場合もあるとか。ニホンゴムズカシイネ。

灯台付近の売店風景(Googleストリートビューより)

◉どこか昭和の残り香が漂う海底透視船

「入道崎」で調べていると面白い乗り物に遭遇しました。船の中から海の中を見ることができるという海底透視船です。日本各地に同じようなレジャー船がありますが、日本海側ってわりと珍しいのかも・・・と思いました。どんなふうに楽しむのかは、ちょうどYouTubeに紹介動画があったのでそちらを見てください。僕の感想は「めっちゃ地味!」でした(笑) 船とか船頭さんのガイドが悪いわけではないのです。そもそも日本海の魚たちが地味なんですよ。日本海側に暮らす僕が断言します。それ故に美味い魚が多い、とも言えるかもしれませんが。さすがにサザエとかイナダとか見せられてもなあ・・・。あと、男鹿名物の石焼料理に使う石とかを動画の中で紹介していて「海の中の石を紹介するのかよ」と思わず突っ込んでしまいましたが、実はこれ結構貴重な石のようです。

石焼料理の調理法に欠かせない「金石(かないし)」は、正式名称を溶結凝灰岩という高温の火山灰や火山礫が堆積して固まったものです。男鹿北部にある約7千万年前の地層より海中に崩れ落ち、長い年月をかけて丸く磨かれた金石は量が乏しく、いまではとても貴重な資源となっています。

男鹿なび「男鹿の石焼料理」紹介サイトから引用

昨今はこうしたアクティビティが日本各地でどんどん廃れていってしまうのを、ペナントたちに導かれながら痛感しているところなので、透視船という昭和から生きながらえてきたアクティビティの存在は、個人的には嬉しく思います。どうか不況に負けず継続していって欲しいものです。

◉ここにも観光仕掛け人!菅江真澄という紀行作家

最後にもうひとネタ。男鹿半島界隈を探っていくと、あちこちで名前を見かけるのが菅江真澄というお名前。「入道崎」にもその名を刻んだ標柱が立っているようなのですが、どうやら「菅江真澄の道」という周遊ルートが男鹿市内全域に整備されていて、その数83カ所にのぼるとか。標柱の場所は以下に詳しく紹介されています。

菅江真澄は愛知県生まれの旅行家・本草学者だそうで、名前から近代の人かと思ったら、江戸時代後期の方なんですね(本名は白井秀雄だそうで、ますます江戸時代っぽくない)。北海道や東北を中心に旅をしながら、その地の風景や文化を文や絵で残しているようで、30歳頃に初めて秋田を訪れ、東日本各地を旅したのち、50歳頃から秋田に住みついて当地での暮らしを遺しているようですね。こういう人たちがいて、その地域の誇る観光資源が後世で脚光を浴びる、そんなパターンがここでも。全国の観光地には必ず仕掛け人がいる、そんなことを最近思うようになりました。しかもその土地生まれでない人たちがすこぶる多い気がします。やはりエトランゼの視点が、観光資源としての可能性を見いだすのでしょうか。

男鹿県立博物館「菅江真澄ライブラリー」TOP画像



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