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【一幅のペナント物語#16】ちょっと行ってみたくなった「天理」

◉信徒でも宗教研究家でもない僕の場合、こういう機会でもなければ深入りすることもないだろう天理教の世界。天理と聞いて最初に思い浮かべるのがスタミナラーメンという、その程度の理解しかなかったので、そもそも天理市自体が宗教都市宣言をし、宗教に由来を持って誕生した日本で唯一の街だということも知らなかった(知ってました?)。なので最初にペナントを見たときに「天理市のペナントには天理教の建物がドーン!と描かれちゃうんだ。他にもアピールする観光スポットあるでしょ?」と思ってしまったわけだが、それは“天理市が発祥の地だから天理教という名前になった”という誤解から生まれた愚問で、天理市だからこそ、このモチーフなのだった。いやほんとにお恥ずかしい。

◉白地に黒い縁取りで「おやさと 天理」の文字の左右に建物の絵柄を配したペナント。旗竿部分に施された装飾がエキゾチックだ。右の建物は並んだ千鳥破風から「おやさとやかた」と呼ばれる建物群の一部だとわかったが、左の梅の木に乗っかった扇型の中に描き込まれたほうの建物は、特定に少々苦労した。屋根の形状から、現在の教会本部にある北礼拝場(きた・らいはいじょう)のように思ったがどうも細部が違うのだ。調べてみると、これは北礼拝場の初期の姿ではないかと思われる。

画像の中央やや右寄り、右に向かって階段のあるのが現在の北礼拝場(天理教HPより)
1934年(昭和9年)の「天理教昭和造営記念」絵葉書(所蔵:奈良県立図書情報館)にある
「神殿全景」。これが南礼拝場が完成した時の北礼拝場で、この後、他の礼拝場が増築されていく

北礼拝場が完成したのは現在の祖霊殿と同時期の1914年(大正3年)らしいので、上の北礼拝場は、南礼拝場と東西の回廊が竣工した頃の様子だろうか。このあたりのことはこちらのブログを参考にした。

つまり、ペナントに描かれているのは、北礼拝場だけだった時代の様子ではないかと推測した。確証は持てないけど「今は見ることのできないアングル」の可能性は高い。

◉天理教については、その成り立ちからして興味深くて、調べ出すと戻れない深みにハマってしまいそうなので、浅瀬で踏みとどまっておくのだけど、ペナントに描かれていた「おやさと」についてだけ掘ってみる。「おやさと」とは天理大学附属おやさと研究所のHPによれば、

「おやさと」とは、人間が生まれ出された“もと”であり、またそれを目指して帰るもと・ふるさとなのです。そこは、人間創造の元の親神がいまし、たすけの親の教祖(おやさま)がおられるところです。

天理大学付属おやさと研究所 https://www.tenri-u.ac.jp/oyaken/

とのこと。・・・具体的な場所ではなく、概念的なものなのかな、と思うんだけども、天理教関連のHPを見に行くと、

「ぢば」一帯は「親里(おやさと)」と呼び親しまれ、「ぢば」を訪れることを「おぢばがえり」と言い、ぢばに帰って来た人たちを「ようこそおかえり」とお迎えしています。
日本国奈良県天理市にある天理教教会本部神殿の中心に「ぢば」があります。

天理教の教え https://www.tenrikyo.or.jp/eng/word-jp/

とあるので、物理的には協会本部が「おやさと」ということっぽい。まあペナントはそれを説明しているということになる。

◉冒頭で礼拝場の増築について触れたが、今回それ以上に驚かされたのは、ペナント右側に控えめに描かれている「おやさとやかた」のほうだ。実はこの「おやさとやかた」、「ぢば」と呼ばれる聖地を中心に周囲3.5kmを5~8階建ての建築で繋ごうという壮大な建築プロジェクトだった。もちろん、まだまだ未完成だが、ウィンチェスター・ハウスやサグラダ・ファミリアなど比較にならないスケールである(気になる方は以下のブログをご覧いただきたい)。天理教も信者減に苦心しているというので、いつ完成するのかは分からないが、完成したらさぞかし壮観な眺めになるのだろう。

◉今回は、結局調べるのにめちゃくちゃパワーがかかってしまったけれど、楽しませてもらった。教会本部は信者でなくてもウェルカムのようなので、いつか行ってみたいものだ。


【補足】実際のペナントは「天理」の文字や、梅の花や梅の紋、おやさとやかたの一部が目の覚めるような蛍光レッドなのだが、スキャンではうまく読み取れていないので、こちらで撮影したものを残しておく。

スキャナの弱点みたいだね。知らなかった

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