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【一幅のペナント物語#58】昭和30年代の女性が選ぶ観光地②「襟裳岬」

雑誌『旅』の1960年(昭和35年)9月号の特集「女性におくる」で紹介された「女性の好きな旅先24」というラインナップを元に、ペナントを紹介してみたい。


◉ペナント観察:メルヘンチックに晴れやかなタッチの"最果て"

白い不織布のベースに黒い縁どり、旗竿部分にはリボンと、ペナント黎明期の仕様の一幅。太平洋に向かって伸び行く岩礁の手前に青い灯台とピンクの花が描かれている。灯台は襟裳岬灯台、花はおそらくハマナス。実際の襟裳岬は"風極の地"という別称もあるくらい、毎日のように風速10m以上の風が吹き荒れる最果ての地で、とても「女性の好きな旅先」の候補に挙がりそうにもないイメージだが、このペナントでは全面晴れやかなスカイブルーで彩られているせいか、穏やかで清々しい印象だ。森進一が歌った「何も無い襟裳の春」とは、荒涼たる寂寥感ではなくて、スコーンと突き抜けた透き通った開放感のことなのかという錯覚を起こしそうだ。

"北海道の背骨"日高山脈が太平洋に沈むところ、と言われるとまた違う感動を覚える
(画像:「北海道style」HPより)

◉守り人のいらなくなった灯台

上の現在の写真を見ると、ペナントにあるような建物群は灯台の周囲に見当たらず、ただ灯台だけがポツンと立っている。調べてみると、2005年(平成17年)に無人化されていて、それに伴い有人時代の生活施設や種々の信号所や通報所の建物などが徐々に取り壊されてしまったようだ。日本各地の灯台の無人化は2006年(平成18年)に長崎・男女群島の女島灯台で完了したというから、襟裳岬の灯台はギリギリまで有人だったほうなのだろう。AI席巻を待たずとも、こんなふうに技術の進歩によって人知れず、ひっそりと無くなってしまった仕事は多いのかもしれない。

古い絵葉書のものと思われる襟裳岬灯台の画像。人の気配が感じられる

◉小さな岩ひとつひとつも名前を持つカムイなのだ

ペナントには岬の先、点々と並ぶ岩礁も描かれている。調べてみると、これら岩のひとつひとつにもアイヌの民はちゃんと名前を付け、そこに神が宿ると考えて尊んでいることが解った。ネーミングの法則はわりとシンプルだけれど、こんなふうに名付けられると、なんでもないように見える無機物が命を宿す存在のように見えるから不思議なものだ。

ペナントの右側に描かれているのはピンネシュマとマツネシュマの夫婦岩だろうか?
(えりも町「襟裳岬 オンネエンルム」HPより)

◉昭和50年、人気爆発した襟裳の今

当時「女性の好きな旅先」に選ばれた背景には、1961年(昭和36年)に島倉千代子さんが歌った『襟裳岬』の影響があるかもしれない。歌の描く世界に浸りにいく、そういう旅もロマンティックだ。その後、1974年(昭和49年)にお馴染みの森進一版『襟裳岬』のおかげで、一気に全国区の観光地になった襟裳岬。当時の様子を綴った記事を見つけた。

名曲『襟裳岬』が大ヒットし、近くにキャンプ場がオープンし、さらに当時日本中に巻き起こった離島ブームの影響などもあいまって、えりもに観光客が押し寄せた昭和50年ころに、お店の売り上げはピークを迎えます。スーパーと、近くの景勝地に出したレストハウスと合わせて、その額なんと年間1億5000万円以上! 「そのころは、もうお昼食べる時間もなかったもんね」と話されるように、範子さんと二人ではとても手がまわらず、社員2人、パート3人の7人体制で大忙しだったそうです。

「くらしごと」HP「85年の歴史に幕。えりも岬地区唯一のスーパーのお話です」より引用

ここで紹介されている、えりも岬地区唯一のスーパーマーケット、マルチュウ鈴木商店は事業継承者を探しているという。大勢の観光客でにぎわい活気に溢れていた町も、今や人口500人ほどの過疎集落になり(灯台守の家族が町を去っていった際に一気に30人も人口が減ったらしい)、ついに町の命綱ともいうべき店も世代交代を余儀なくされている(あくまで事業継承なので廃業ではないが)という事実に胸が痛くなる。コロナ禍もあって、日本中の観光地で同じようなことが起こっているのだろうが、特にえりも町のような最果ての観光地は、観光ブーム時とのギャップが激しいのかもしれない。

◉マルチュウ鈴木商店の後継者は見つかったか?

帝国データバンクによる全国27万社の「後継者不在率」調査で、北海道は全国4位(68.1%)だった、という記事を見かけて「じゃあTOP3はどこだ?」と気になって調べたら、最新の2023年度データが見つかった。なんと!我が地元がランクインしてるじゃないか・・・。昨年度よりは持ち直しているように見えるが、そもそも会社の母数が減っているだけなのかもしれず、安心してもいられない。データからは雪の多い日本海側ほど後継者不足に悩まされている、そんな傾向も見えてくる。特に東京や大阪などの都市圏との流通・交通網が脆弱な場所ほど後継者不足が進んでいるような気がするが・・・。

全国「後継者不在率」動向調査(2023 年)(帝国データバンク2023/11/21調べ)

昔は情報も限られていて「行ってみなければ分からない」ような観光地へ、実際に足を運んで「行ってきたど!」とばかりに友人に自慢することがひとつのステイタスだったが、今では部屋に居ながらにしてGoogleストリートビューやYouTubeの動画などで臨場感たっぷりに現地を目にすることができてしまう。辺境の地、最果ての地のロマンもモニター画面越しに素性がある程度知れてしまうのだ。そうなると、まだ見ぬ場所への憧れは薄れ、人は行動意欲を失ってしまう。ことさら襟裳岬のような"はじっこ"の観光地は、よほど強いモチベーションが生まれないと、人は動き出してくれなくなった。

観光客を呼び戻そうと、本来は襟裳漁師の天敵でもあるゼニガタアザラシにも力を借りて、「トッカリ焼き」なる新商品を開発するなどして頑張る若者の姿もあるが、果たして、マルチュウ鈴木商店を継いでやろう!という次世代は現れたのだろうか? 続報が気になるところだ。

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