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【一幅のペナント物語#61】「鈴鹿」はニッポンが世界に誇る聖地

タイミングを逸してしまったけれど、今月5日から3日間の日程で開催されたF1日本GP。その会場になったのは三重県の鈴鹿サーキット。車のレース事情に詳しくない人でも一度は耳にしたことがあると思います。


◉ペナント観察:華やかで上品さを醸す仕上がり

まずはなによりチェッカーフラッグを背景に重なり合うレーシングマシンが目を惹きますね。余分なディティールを配した白・赤・黄の色の重なりも、レースの華やかさを感じさせます。テキスト要素は「INTERNATIONAL RACING COURSE」「SUZUKA CIRCUIT」の英文字のみで実にシンプルですが、その分、どこにでも飾りやすいデザインになっているかと。世界にあまねく知れ渡るカーレースの聖地ですから、記念に買って帰るファン、いやドライバーも含めていたかもしれません。右の先っちょ部分に描かれている糸ミミズみたいなのは鈴鹿サーキットのコース図です。派手な金モールなどはついていませんが、二重になった黄色の細いラインと旗竿部の合皮素材のタグが上品さを醸し出していますよね。

◉1960年代後半から70年代はじめのもの?

製作年代を推定するのに、クルマとコースの2つのアプローチを試みてみました。まずは描かれている車の形状から。おそらく、モチーフになっているのは1960年代~70年代前半頃のGPカーで、ライトやインテークの形状からすると白いのがポルシェ910、黄色がローラT70あたりかと思われます(赤は特定できず)。また、サーキットのコースは初期レイアウトのままのように見えます。1984年に左側のスプーンカーブが改修されているので、少なくともそれ以前の製作というのは間違いなさそうです。

1970年開催の全日本鈴鹿300kmレース大会のプログラム。ゼッケン28番の車が
(おそらく)1968年に生沢徹選手が日本GPで2位を獲った時のポルシェ910
TAMIYAのプラモデルパッケージから

◉1980年代からF1を追いかけて

僕が好きなもののひとつに「F1」があります。デビューはおそらく1989年シーズンで、中島悟選手がフル参戦して数年目かな? アイルトン・セナが伝説を打ち立てていく様子をリアルタイムで見ていた世代です。地上波放送が無くなってしまったこともあり、2000年代中盤からは一時離れてしまっていましたが、2010年代からDAZNで再び追っかけを再開しました。既に世はハミルトンとフェルスタッペンの時代になっていて、昔セナを脅かしたルーキー・シューマッハですらレジェンドということで隔世の感がありましたが、時代とともにドライバーやチーム、テクノロジーが変わっても、やはりレースは萌えますね。あ、これ以上書くとマニアックな方向にいってしまいそうなので、この辺で(笑) そうそう、鈴鹿には何度か足を運びました。近鉄・白子の駅を降りた瞬間からアドレナリンが出ちゃうような、そんな若き日の思い出です。

▲1991年シーズンの鈴鹿。セナがワールドチャンピオンを決めた時のフジTV映像を見付けました。当時の番組EDで流れていたロビン・ザンダーの「In This Country」は本当に大好きな曲で、約2時間のレースを視聴した後の気だるさと癒して心地良い余韻を味わわせてくれました。

◉秋から春へ。桜の季節へ引っ越した日本GPは大正解

実は今年の日本GPは歴史上はじめての春開催でした。それまでは10月頃の秋シーズンが定番になっていて、ここ数年は温暖化のせいなのかなんなのか、台風にぶつかったり天候に振り回されることも多くなっていましたが、より効率よくコストをかけずに世界を転戦するために開催順が見直され、日本GPは開幕してすぐの時期に引っ越しとなったのです。もともとF1ファン人口が目減りしている中、コロナ禍で中止になったこともあって、集客に不安を感じる向きもありましたが、日本人ドライバー・角田裕毅の世界的な人気も後押しして、3日間合計で22万9000人の来場。決勝日(日曜日)10万2000人といずれも昨年から微増、という嬉しい結果でした。最もピークだった2006年(平成18年)の36万1000人には及びませんが、右肩上がりの数字はファンの端くれとしても嬉しいことです。

日本が世界に誇れる場所のひとつ「鈴鹿サーキット」、たくさんの熱いドラマと、夢が眠る聖地。昔、馬力の無いレンタルカートでコース一周体験しましたが、それでもその日は興奮覚めやらず・・・でした。併設のサーキットパークにあるカートでは、A級ライセンスまでゲットしました。今とはコースレイアウトとか目標タイムとか変わってると思いますがお薦めですよ! 僕も体が元気なうちに、もう一回乗りにいきたい!! 


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