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【一幅のペナント物語#22】30年で1500万人減。スキーヤーはどこへ行った?

◉観光地のお土産ペナントの源泉が登山(山)にあるとしたら、スキー場をモチーフにしたものは源流部に相当する存在といえそうだ。僕の手元にもいくつかスキー場のペナントがあるが、これはそのひとつで質素なつくりと変色度合い(タバコのヤニ汚れかな?)からして、かなり古い一品。競技選手を思わせるゼッケンをつけたスキーヤーのイラストに「SIGAKŌGEN」「高天ヶ原」のロゴから「志賀高原 高天ヶ原スキー場」のペナントだと思われる。高天ヶ原スキー場が開業したのは、記録によれば1960年(昭和35年)のこと。この年に志賀高原で第1回ジャイアントスラローム大会が開催されたそうで、イラストのスキーヤーはその様子を描いているとすれば、このペナントの出自は60年代までさかのぼることができそうだ。

高天ヶ原マンモススキー場は志賀高原の中央エリアに位置する

◉それにしても「マンモス」というワードセレクトにも昭和を感じるなー。最近はデカいことを「マンモス」とか形容しないから。それはもう昭和末期にのりピーと一緒に絶滅してしまったと思う。のりピー語はともかく、スキー人口も1998年をピークに減り続けているそうだし(スノボも減っているというのはちょっと意外だ)、家族揃ってスキーだった昭和から平成へ経て、若者たちの間でウィンタースポーツそのものが馴染みのないものになっているのは、雪山へのアクセスに必要な自家用車(しかも四駆)所持者も減っているというのもあるのだろうか。都心で今年も降雪!なんていうニュースを聴くことが増える一方で、スキー人口は減り、雪の苦手な人たちが増えていく。なんだかマンモスの名前にアイロニーすら感じるのであった。

日本のスキー人口の推移(出典:「レジャー白書」公益財団法人日本生産性本部)


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