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【パロディ】夢十夜(第十六夜)

 第十六夜

 棋聖天野宗歩が護国寺の山門で大橋宗珉と将棋を指していると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
 山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならないように、斜に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。江戸時代とも思われる。
 ところが見ているものは、みんな自分と同じく、令和の人間である。その中でもツイ廃が一番多い。リプ待ちをして退屈だから見ているに相違ない。
「固いもんだなあ」と云っている。
「急戦を仕掛けるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
 そうかと思うと、「へえ振り飛車だね。今でも穴熊に囲うのかね。へえそうかね。私ゃまた振り飛車はみんな古い美濃囲いばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも固いですね。なんだってえますぜ。昔からなにが固いって、穴熊ほど固い囲いあ無いって云いますぜ。何でも銀冠よりも固いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男はチェックのシャツをズボンに入れ、これでもかというほどきつくベルトを締めていた。よほど無教育な男と見える。
 宗歩は見物人の評判には委細頓着なく盤面を眺めている。いっこう振り向きもしない。時折、大きな駒音を立てて指して行く。
 宗歩は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで宗歩が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
 しかし宗歩の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に指している。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは宗歩だな。眼中に我々なしだ。天下の将棋指しはただ宗珉と我とあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの駒のさばき方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
 宗歩は穴熊に囲うと、大駒を片っ端から切って、宗珉の玉形が崩れたところを見逃さず、宗珉玉を追い込んでいった。宗珉は必死の粘りを見せるが、宗歩の駒の指し方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に指して、思うような手が指せるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは指し手を考えているんじゃない。初手から詰みの形まで知っているのを、ただ指すまでだ。指している時にも次に指す駒が光っているのだから、けっして間違うはずはない」と云った。
 自分はこの時始めて将棋とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も将棋が指してみたくなったから見物をやめてさっそく将棋連盟に向かった。
 強そうな相手を見つけて、勢いよく指してみたが、不幸にして、棋譜は頭に浮かばず、駒も光らなかった。その次にも運悪く思いつくことができなかった。三番目も思いつかなかった。自分は片っ端から対局したが、どれもこれも棋譜を思いつかず駒も光らず短手数で負けた。ついに令和の将棋駒は駒が光らないと悟った。それで宗歩が今日まで生きている理由もほぼ解った。




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