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最近「ポジティブハラスメント」って言葉を耳にして驚愕していたんですが、よくよく思えば今昔物語にも多分出てくるであろうポジティブハラスメント。つまりは相手との関係性を鑑みない発言が、さらなる関係性のひずみをもたらす場合の態度・言葉・行動を指すのでしょう。

こんな歌があるんだーって感心しました。気持ちは、分かる気もするし、夢とか言っちゃってwwwって言いたくなる時だって私もあった気するし。(昨日そんな記事を書いたもんだから尚更です)

結局コミュニケーションは100%他者評価。

その認識の食い違いを諦めちゃったら、コミュニケーションは全てハラスメントになりかねない。反面、行動レベルを変えることは、無意識領域であればあるほど難しい・・・というのが、私が担当している領域の話で、私自身もそれは日々痛切に感じます。ほんとに。

職業柄コーチングとかファシリテーターのことを書きますが、絶対正解解が無いこの領域で、いつだって最善のことをやれているとは思わない(それは思い上がりにすぎる)からこそ、セッション中の自分の行動・言動の振り返りをすればするほど奈落の底に落ちていくことがあります。ほんとに。

自分の不甲斐なさ(伸びしろとも言えますが)最上志向の高い私は自分への厳しいフィードバックを緩めることをしないと、本当にズブズブ海溝の底へ沈みっぱなります。誰かに客観的に見てもらうとか、内省モードを緩ませる、というスキルは、年をとって身につけられたと思います。

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私はポジティブであることは人が生き抜くために必要な資質の一つだと考えています。逆を言えば、死なないための回避策としてポジティブがある、のだとも思います。そんなことをずっと考えて生きてきたので、どうせネガティブなのならばポジティブでいないと勿体なくない?と反転させて考えるのが常日頃です。こう書くと、全然ポジティブなんかじゃないじゃん!って思いますね(笑)そう、私ぜんぜんポジティブなんかじゃないんですよ。

・・・って、自分で自分のことを思っていることと、他者から思われていることは、切り離していいのだと思います。他者がそんなふうに思って「くれている」ことをそのまま受け入れたらいい話。そしてそれがどのように「ハッピーな方面で役立つか?」が分かっていたらいい。一致してたらジョハリの信頼の窓は大きくなるけど、一致していなくっても、それを聞いて「そっかー」って分かるだけでジョハリの窓は大きくなる。

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すくなくとも私は、夢とか希望とかって霞食べて生きていける人種ではなくって、自分が得た知識や人との交流で何かを助けたいし支えたいしハッピーにしたいし自分もそうでありたい。

目の前にいる人達や、その人達が織りなす人生や、それに関わっている「今」という世界、そして、その先につづく「未来という世界」がハッピーに明るく笑顔により満ちた場所になることを願っているだけの一市民にすぎず、生きている間にそれにちょっとでも貢献できたらいいなと思っています。

っていう思考形態のことはポジティブとも言えるなのかもしれない。

ストレングスファインダー1位がポジティブの独り言でした。

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抽象的な言語であればあるほど人は、自分の解釈したいように読みます。

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