広島、平和とアイドル

先日、山口遠征への行きがてら、行程的に前晩は広島に宿泊した。
広島自体は結構何度も来ている街なので、原爆ドームも、平和資料館も、既に行った事もある。
宮島も2回行った。1回目の時は大潮で干潮だったから大鳥居の根元まで歩いて行けたな。
まぁ今回は夜着翌早朝山口へ、なので広島では飯を食うぐらいしかやれることはなかったのだけど。
それと、街の各所での厳戒態勢の雰囲気をちょっとだけ肌で触れた。

今、ハローで広島といえば段原瑠々である。
地元への愛を幾度となく語り、マツダスタジアムで国歌独唱をせせていただく機会にも恵まれるなど、広島への愛も縁も強い。
段原が、広島について、デビューから毎年欠かさず行っていることの1つ。

8月6日に、ブログで平和を祈念するメッセージを綴る事。

広島で行われている平和教育は、目を見張るものがあると聞く。
というか、広島・長崎・沖縄の3県以外は、平和教育をやってもやはりどこか当事者意識が薄い感がある。
最近は、原爆の日を知らないだとか、第2次大戦で「日本はアメリカと一緒にドイツと戦った」と思ってるだとか、そんな人が少なくないというのだから開いた口が塞がらない。
一方、平和教育での死者や負傷者などの画像・映像がトラウマだとする声もある。しかし、戦争は恐いものだと具体的に知っておかなければならないと思う。だからこそ、教える側も“正しく恐れる”ようにする為の一考が必要な場合もあると思う。

段原は、家族のエピソードも幾度となく語っているが、とても良い関係なのが窺える。
家族と、広島と、平和と。優しくも芯の強い今の彼女を形成した、大事な要素だと感じる。

また、ハロー初の長崎出身者となったのが福田真琳。
 ※Bitter&Sweet田崎あさひも長崎出身だがHello!Projectではない
ウクライナ侵攻が始まった日、ブログにとても自然体な言葉で今自分が平和でいられることへの感謝を綴ることで、平和を祈念していた。
“怒りの広島”に対して“祈りの長崎”と言われる街。
祈りの心が、日常から根付いているのだなぁと思った。


一方で。
ある「歌姫」メンバーは、自分の音楽の力で世界を平和にしたいという旨の事を、ウクライナ侵攻のずっと前から事あるごとに口にしているのだが。
立派な志だとは思うけれど。マクロスかよっていう。
ウクライナの事が毎日のように報道されている今、理想と現実を、どのように折り合いをつけているのだろうか。

私が中学生の時からずっと好きなバンドは、2001年の同時多発テロ、2003年のイラク戦争の生々しさを経験し、それでも僕たちは声を上げ続けなければならないという姿勢を示した。
反戦の歌を作り、全国紙に意見広告を出したりもした。
この時の反戦歌は、今年行われているツアーで20年ぶりに演奏されている。

で、歌姫さん。
貴方は、ブログでも何も言ってないじゃないか。貴方の志はその程度のものだったのか。
デビュー半年ほど(当時)の子が即日で祈っているのに、10年目を迎えた(当時)貴方がそんなことでは。
まさか、立派な言葉を口に出してる自分に酔ってただけじゃああるまいと思いたいが。


それから、広島で思い出されるのは。
現在はもう芸能活動をしていない、ある子のこと。

あるツアーの広島公演。アンコールでの1人ずつのMCで。
「広島は、原爆ドームで、1945年の、8月6日の、8時15分に、原爆が落ちたじゃないですか。」

宮島が世界遺産じゃないですか。とか、
お好み焼きが有名じゃないですか。とか、
そういうご当地豆知識のような調子で話し出した。
当然、空気が凍った。
その後、次に話すメンバーが広島弁に挑戦して、たどたどしくて可愛い広島弁でなんとか空気を変えた。

この彼女は、撮影の空き時間に鎌倉まで行ったりするとか、歴史的な雰囲気を好む子であった。
ただ、あくまで雰囲気が好きなのであって歴史に興味があったわけではなかったのだろうなと。
原爆ドームも、お城とか寺社仏閣とか、あるいは東京駅だとか、そういったものと同じようにして歴史的な雰囲気の面しか見てなかったのかなと。

彼女は、中3の3学期からデビューの為に上京してきた。
中学の社会科は地理・歴史・公民の3分野があったのは覚えていると思う。
しかし、全国全ての学校が同じ授業の進め方をしているわけではない。
想像だが、地元と東京とで進め方が違って、近現代史の学習がすっぽり抜け落ちてしまったのではないだろうか。
(地元では3年生で歴史と公民を平行して学習していたが、東京は3学期にはもう歴史を終えて公民だけだった、とか)

そうだとしたら、可哀想なことである。

そして彼女は、アイドルとしてもある部分がすっぽり抜け落ちた行動によって、そのままファンの前に出てくることなく芸能活動を終えた。
そうなった一因として、スタッフがろくに教育をしていなかったのもあるのではないかと思っている。


学習というものは、学ぶ側も、教える側も、それなりの意識を持たなければ、と感じる。



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