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とある親子のポケカ日記

ポケカ仲間の皆様、こんにちは。
お会いしたことのない方、はじめまして。

チーム横須賀線というローカルポケカチームでマネージャー(雑用係)をしているシンゴと申します。

このnoteは神奈川の片隅でポケカと向き合った親子の備忘録として、息子のジュニア時代〜現在までの足跡を綴ったドキュメンタリーです。

・親子の紹介
・ジュニア編
・シニア編
・父親の想い

という構成になりますので、よろしければご一読ください。

あくまで自身の振り返りとして書き出した文章ですが、皆様にとって少しでも参考になれば幸いです。

【補足】

私は所謂「良い父親」ではありません…💦

家のことはあまりやりませんし(全くやらないわけではないですが…)、ポケカが無かったらここまで息子との繋がりがあったかは疑問です…

母親はポケカの活動に協力的で、大好きな息子の活動は概ね認めてくれました、感謝。

現場には主に父親が同行していて、母親は温かく見守るスタンスでした。

家族としてポケカは「習い事」や「部活動」のように考えていました。

それだけの労力をかけて家族でポケカに取り組んでいたと思います。

それでは、ここから本編をご覧ください。

【息子】

小学校の半ばにポケカに触れ始め、小4の冬にトレリデビュー、3回目のトレリで初優勝を果たす。

その後もジュニアのトレリ・シティ・JCSにも参加してポケカに勤しむ。

小6の秋にシニアに上がり、この時期に結成したチーム横須賀線の仲間と共にポケカの活動に力を入れる。

我らチームの代表であるコロ助氏とのつながりでチーム東横線のリーダーであるガエン氏と出会い、そのガエン氏が早くから検討していたミュウVMAXデッキに強い関心を持つ。

そこからミュウを握ると才能が一気に開花、2022シーズンはシティシニア優勝2回、CL愛知シニアではTOP32入りを果たす。

2023シーズンはシティS1シニアで優勝するも、その後の大会ではトナメ一没・予選オポ落ち・CL予選4-3など最後の壁を超えられない苦しい状況が続く。

2023CL宮城では5-3と一矢報いるも、WCSまであと一歩というところで2023シーズンを終了する。

なお、父親よりスリムでシュッとしている。

【父親】

息子の相手役でポケカを始めたポケカよわよわおじさん。

ポケカが下手過ぎて環境デッキも回せず、目立った戦績も特に無し。

時々思い付きでオリジナルよわよわデッキを構築するエンジョイ勢。

コロナが流行して思うように活動できなかった時期、偶然の出会いが重なってチーム横須賀線にマネージャー(雑用係)として参加。

そこからチームメイトやポケカ仲間に親子共々支えられて現在に至る。

なお、最近は内臓脂肪レベルがなかなか下がらなくて困っている。

【ジュニア編】

「大会に出てみたい」

ある日突然、息子からの申し出があった。

普段は親子で対戦、時々お友達と対戦することもあったが、父親やお友達との対戦ではどこか物足りないようだった。

大会に関して無知だった親子はすぐにネットで検索、比較的近隣でジュニアのトレリを開催しているショップを発見し、親子で緊張しながら向かった。

会場は伊勢佐木町のトレカE(R.I.P)、当日は息子を含むジュニア3名が参加、初トレリの結果は0-2の3位であった。

しかし、そこで負けても本人の気持ちは折れること無く、次のトレリに向けて家で練習を続ける。

その後のトレリの帰り道、親子でこんな話になった。

「あのギラティナ(やぶれたとびら)が強い…」

「どうしたら勝てるんだろう…」

当時、息子はネクロズマGX&カラマネロ(サイコリチャージ)のデッキを握っていた。

それまでは家にあるカードの中であれこれ考えながらデッキを組んでいた親子はここである重大なことに気付く。

「こっちもギラティナ入れればいいんじゃね?」

そう、我が家のポケカの扉が大きな音を立てて開いた瞬間である。

当時のギラティナは1枚千円以上。

「R1枚が千円か…これは家族会議だ…」

その日のうちに家族会議を実施、母親は頑張る息子の姿を見てギラティナの購入を了承してくれた。

そしてギラティナを入れて臨んだ3回目のトレリ、この日は当時のジュニアには珍しく6名と多数の参加、そこで3連勝すると…

全勝1名で優勝決定。

そう、人生初の「トレリ優勝」である。

その日は車で駅まで迎えに来た母親と地元のケーキ屋さんでお祝いのケーキを買って帰り、家族で喜びを味わった。

それからはトレリ・シティ・大型大会で経験を積み、特に2020CL東京では予選4連勝でトナメ進出に王手をかける(当時のジュニア予選は現在と異なりガンスリンガー方式での実施)も、先シーズンのWCSジュニアチャンピオンと激突した5戦目ではサイド5-6の惜敗…

ジュニア時代は目立った実績こそ無いが、練習の場が限られる環境で息子は息子なりにポケカと一生懸命に向き合っていた。

ここまでポケカに取り組む息子の姿を見て、父親はそのままシニアも大会を楽しんでほしいと思っていたが、ジュニアで一区切りついたことに加えてコロナの流行も相まって、息子のポケカに対するモチベーションが下がっているように見えた。

「もしかしたらポケカは卒業かな…」

そう思い始めた頃、運命の出会いは訪れる。

【シニア2021シーズン編】

コロナの流行によりしばらくイベントが開催されない中、近隣で非公認ながら他店より早いタイミングでジムバトルを再開するショップがあった。

それが後にホームグラウンドとなる「TSUTAYA横須賀粟田店」である。

2021CL横浜シニアを視野に入れながら細々とポケカを続けていた親子は、粟田ジムバにちょくちょく顔を出すようになる。

ある日、粟田ジムバに向かうとそこには見覚えのある顔が。

「あっ!あれはトレリで対戦したときに抜群のタイミングでメタルコアバリアを貼られたあの人だ!」

コロナ流行直前に父親一人でトレリを巡っていた時期、藤沢ホビステで対戦した相手が記憶にしっかりと残っていた。

勇気を出して声をかける父親。

「あの…以前対戦しましたよね…?」

それが我らがチーム横須賀線の代表、コロ助氏との運命的な出会いであった。

当時、三神を握っていたコロ助氏に父親は全く歯が立たなかった…

(もちろん今でも立たないが…)

息子のCLが近づいてきたある日のジムバ、父親はある作戦を決行する。

「息子のCL用デッキを三神に変えよう大作戦」

当時、息子はマホイップVMAXとポリゴンZのクレイジーコードを組み合わせた、ほぼオリジナル構築のデッキを握っていた。

このデッキはジムバで楽しくポケカするには良いデッキであったが、CLシニアで戦うには難しいデッキパワーに見えた。

ジムバが始まる直前、父親は先日のジムバで優勝していたコロ助氏を引き合いに出して、

「コロ助さんとほぼ同じ構築の三神があるからそれでジムバ出てみれば?」

と息子に声をかける。

そう、コロ助氏を思いっ切り出しに使う作戦である。

この作戦は見事に成功、ジムバ開始直前の5分足らずで三神の回し方を確認して出場すると、息子はそのままジムバで優勝。

その流れで三神を握った初のCLシニアでは小6ながら3-3と善戦し、その後も前向きにポケカに取り組んだ。

この時期にはチーム横須賀線が結成され、コロ助氏・よっしー氏・息子を中心に、途中からはマイク氏も合流して活動する。

すると、チーム結成後間もなく開催されたシティでコロ助氏が初優勝!

これはチームのポケカ熱を一気に高める大勝利であった。

ここからは憧れも含めてシティでの上位入賞が息子の目標となり、練習の場を求めて親子で活動の幅を広げることになる。

ポケカ仲間が少しずつ増えていく中で、特にこの時期にお世話になったのはコロ助氏の紹介で顔を出すようになった綱島のショップ「ゼロワン」に集まる強者たち。

綱島での経験は息子のポケカ人生を確実に変えた。

親子でブルーレシリザを握っていた時期、強者だいなり氏にあらゆるデッキでボコボコにされ、CL予選完走者の強さを体感する。

(この後だいなり氏はJCSのDay2でTOP32に入賞、シティや大型大会の度に練習や調整にご尽力いただいた)

そして、デッキをテンタクルに握り変えてシティの最終調整で訪れたある日のゼロワン、ジムバで親子ともに散々の結果で意気消沈の中、奇跡的な出会いを果たす。

同日のジムバにはコロ助氏も師匠と慕うベジータ氏@チーム東横線がたまたま参加していた。

「コロ助さんのご縁もあるからご挨拶だけでも…」

と思い、別卓で談笑していたベジータ氏に声をかけると

「良かったら対戦しませんか?」

とのお返事が。

ここで父親は藁にもすがる気持ちで

「シティが近いので息子と対戦していただけませんか…?」

とお願いすると快諾してくれた。

そこからはベジータ氏は持ち前のコミュ力を存分に発揮、1時間程で「対戦→デッキ診断→対戦→Twitterフォロー→参考レシピ提供」と怒涛の神対応。

ベジータ氏の熱のこもったアドバイスに真剣に耳を傾ける息子の姿を見て、父親はこの日が本当の意味で

「息子のポケカが始まった日」

だと思った。

だいなり氏やベジータ氏のサポートを経て迎えたシティシニア、トナメ進出は逃すも息子はモチベーションを下げずに次の舞台へ向けて走り続ける。

そんなこんなで週末はポケカの練習であちこちに出向き、楽しみながらも真剣にポケカに取り組む。

そして、2021JCSが近づいてきた。

握るデッキは発売時すぐに気になったジュラルドンVMAX、多少の参考資料はあったかもしれないが、このデッキ(通称「純ジュラ」)は息子がほぼ自力で組み上げ、本番まで磨き上げた力作であった。

この頃には息子はこれまでの経験を活かして自身でデッキを構築・調整できる素養が身についていた。

いよいよJCSが目前となり、練習がてら親子はチームメイトのよっしー氏と藤沢ホビステのジムバに参加すると、そこには湘南台の札市などでも見かけたことのある強者マシュマロ氏の姿があった。

この機会を逃すものかと父親はここでも勇気を振り絞りマシュマロ氏に息子との対戦をお願いすると、突然の申し出にも関わらず快諾してくれた。

ジムバで下位卓に沈んだ父親とよっしー氏(ちなみにこの日の優勝はマシュマロ氏、準優勝は息子)がそのままフリーで対戦していると、息子との対戦とデッキ診断を終えたマシュマロ氏がわざわざこちらまで挨拶に来てくれた。

「いやー、デッキ特に変えられるところが無くてすいません…」

「自分で考えてエネルギーの枚数を決められるのはとても良いと思います!」

という趣旨のコメントをいただいた。

謙虚な姿勢の強者からいただいたお褒めの言葉、本当に有難かった。

マシュマロ氏の帰宅後はたまたまバイト休みで遊びに来ていたホビステのスタッフさんがレックウザで息子の対戦してくれたのだが、その時の息子は今までとは見違える程の力強い手捌きであった。

父親はこの日を

「息子が覚醒した日」

だと認識している。

そして、様々なサポートを受けてジュラルドンと迎えた2021JCS、たまたま当選していた父親(人生初の大型大会)とともにその舞台へと向かう。

息子は同じくJCSに当選していたコロ助氏とともに前日昼移動で愛知入り(父親は仕事終わりから単身で夜に愛知入り)すると、そのJCSで準優勝するネバ氏をはじめとするチーム東横線メンバー、後にハピミルを握ってCLトナメに進出する蓮くん、その他にもたくさんの仲間と出会って練習する機会を得られた。

様々な仲間のサポートに支えられた息子のJCS当日、初戦は不戦勝という想定外のスタートだったものの粘り強く戦い続け「5-2完走TOP64入り」という大健闘を見せる。

このJCSでは仲間内でコロ助氏とネバ氏がDay2へ進出、コロ助氏は惜しくも初戦敗退であったが、ネバ氏は前述の通り準優勝という見事な成果を収めた。

このDay2の入場前、親子は会場入口で記念撮影をしていた。

Day2に向かうコロ助氏の見送りで会場まで来たところに、タイミング良くネバ氏が通りかかる。

Day1に参戦していたマイク氏を含めたチーム横須賀線4名とネバ氏が横一列に並んだ写真、それを見ると今でもあの時の興奮が思い出される。

マイクさん・コロ助さん・父親・息子・ネバさん
2021JCSDay2会場入口にて

そんなこんなで親子の2021シーズンは終了、息子が急成長を遂げたシーズンであった。

【シニア2022シーズン編】

2022シーズンの幕開けとなるCL京都に向けて準備する親子。

フュージョンアーツの情報が徐々に解禁となる中、訪れた綱島ゼロワンでチーム東横線リーダーのガエン氏がミュウVMAXの研究を進めていた。

息子はそのガエン氏のデッキ構築やプレイングを見てミュウVMAXに強い関心を抱く。

これが後に息子のメインデッキとなるミュウVMAXとの運命的な出会いであった。

そこから息子はミュウの研究を開始、ガエン氏にも見ていただきながらデッキ構築・調整を続ける日々。

そこでガエン氏の協力もあって辿り着いたのが格闘道場などを絡めた通称「闘ミュウ」であった。

(これを機に親交が深まったガエン氏は息子にとって師匠的な存在となる)

満を持してミュウで臨んだ2022CL京都、不戦勝のJCSとは打って変わって初戦からドラスタのゲームシャツを着た鋼軸ミュウとバチバチの対戦で惜敗、結果は4-3で予選完走を果たしたものの、ミュウに手応えを感じていた息子にとっては悔しさも残る大会であった。

闘ミュウの力を信じていた息子、シティに向けて基本のコンセプトは変えずに鍛錬を重ねる。

そして磨き上げたミュウと迎えたシティS4シニア、予選全勝でトナメに進出すると勢いそのままに3連勝、遂に悲願のシティ初優勝を果たす。

当日はコロ助氏やガエン氏からお祝いの電話もいただき、親子で優勝の喜びを噛み締めた。

「デッキが応えてくれたでしょ」

電話越しのガエン氏の問いかけに嬉しそうに「はい」と返事する息子、仲間の支えで成長する姿がそこにはあった。

その後、息子がミュウの練度を磨き続ける中、今やミュウには必要不可欠なカードと出会う。

そう、「ウッウロボ」である。

まだ「ウッウロボ」の存在が世間にそれほど注目されていない頃、綱島で出会ったポケカ仲間のおーちゃん氏(主に父親と趣味デッキで対戦する仲間)が冗談混じりに

「私は未来から来た、今のうちにウッウロボを買っておきなさい」

という趣旨のツイートをした。

「おーちゃんが言うんだからちょっと集めてみるか」

興味本位で調べてみると、たまたま遊々亭で「ウッウロボ傷有り特価¥780・在庫3枚」の出物を見つける。

その時、我が家のウッウロボ在庫は自引きの1枚のみ。

「ちょうど4枚になるから試しに3枚買っておくか」

おーちゃん、本当に有難う。

父親、グッジョブ。

ウッウロボという強力な武器を得た息子はミュウを極めるべく更なる鍛錬を積む。

この頃にはチーム東横線界隈の練習会にも呼んでいただき、素晴らしい環境で腕を磨くことができた。

そして迎えた2022CL愛知、初戦勝利に続く2戦目の開始前に父親は貴重な体験をする。

当日は保護者同伴の対象は小学生まで、入場できない父親はsakura氏@チーム東横線と会場の入口付近にあるテーブルに陣取って仲間たちの動向を見守っていた。

息子の2戦目のマッチングが発表され、父親が対戦相手の名前を検索すると、そのお相手は過去にCLでトナメ進出を果たしている強豪プレイヤーであった。

「うわぁ…」

父親から何とも言えない声が漏れると、隣のsakura氏が声をかけてくれた。

「どうしました?」

「次の相手…CLトナメ経験者だ…」

そこでsakura氏は落ち込む父親など気にもせず笑顔で言い放つ。

「じゃあ、勝ったら上行けますね!」

父親はデカいハンマーで頭をぶん殴られるような衝撃を受けた。

sakura氏は過去にCLでTOP32に入る程の実力者。

そんな強者の言葉は平々凡々な人生を歩んでいた父親にとって本当に目から鱗だった。

「そうか…上に行くためには強い相手に勝たなければいけないんだ…」

考えてみれば当たり前のことである。

上を目指す以上は強者のメンタリティで戦いに挑まなければならない。

強者に勝てばオポネントも上がり、上位に食い込むことができる。

そう、強者との対戦はピンチではなくチャンスなのだ。

本当の意味での気付きがそこにはあった。

sakura氏の言う通り、強者に競り勝った息子の卓番は同じ勝敗の選手間でも終始上位に位置していた。

その後、父親は予選を3-2からの2連勝5-2で完走した息子の順位発表を固唾を飲んで待っていた。

「2022CL愛知シニアTOP32入賞」

ポケカを始めた頃には考えられないような高みに息子は辿り着く。

父親は我が事のように喜ぶとともに、自分には到底辿り着けない高みを見せてくれた息子を誇らしく思った。

2022CL愛知シニアTOP32入賞の記念撮影

息子はその後も勢いそのままにポケカに注力する。

そして迎えた2022シーズン最後のシティS6、WCS出場の可能性を残すには優勝しかないという状況であった。

相棒のミュウと挑んだこの舞台、トナメでは前回のシティS5で敗れた「ミュウメタ雪道4積みインテレオン」の高校生と対戦しリベンジを果たすと、決勝では高校生のレジギガスにも勝利して見事に優勝。

息子はこれまでポケカに取り組む中で「追い込まれた状況を跳ね返す精神力」を身につけていた。

シーズンを締め括る2022JCSは普段より攻めに出たキャッチャー2枚という構築で自身初の予選8戦に挑み、6-2と善戦してTOP64入りを果たすも残念ながらDay2進出には届かなかった。

そして2022シーズンが終了、結果的にはWCSへの出場は果たせなかった(CSP5pt足りず)ものの、あと一歩のところまで迫った息子はポケカを始めた頃には想像もできない成長を遂げていた。

【シニア2023シーズン編】

加速度的に成長を続けた2022シーズン。

しかし、それとは対照的に2023シーズンは息子にとって苦しい展開が続くシーズンとなった。

シーズン最初のCL横浜では3-3のイーブン、運良く当選したルカリオHR争奪戦も予選敗退と、不完全燃焼な結果が続く。

その中で迎えたシティS1シニア、WCS経験者や’綱島の神童’yoshiharaくんなど強豪も参加したポケセンメガトウキョーで3-1予選通過から優勝を果たす。

父親はここで復調できるのではないかと考えたが、浮き沈みの激しいシーズンはその後も続いた。

京都CLでは夜行バス当日会場入りの影響か人生初のCL予選負け越しを喫する。

シティS2は抽選の結果オープンで参加、予選5-1でトナメに進出も残念ながら一没のTOP16で終了。

シティS3シニアは逆風を感じていたミュウからロスギラに握り変えて臨むも、初戦のミライドンにジェネレーター2エネ加速2回を浴びて敗戦、そこから予選3-1も9位でトナメ進出ならず。

愛知CLでは予選4-3で惜しくもプロモバクフーンVに届かず。

いま振り返れば息子はこのシーズンをいろいろと悩みながら進んでいたのだと思う。

その後もチームの練習を欠席するなどなかなかモチベーションが上がらない。

いよいよCL宮城が近づく中、思うような準備ができず一時はキャンセルの様相であったが、妻との旅行も兼ねて母子でCL宮城に参加することに。

ここで息子は悩んだ末にデッキをミュウに戻すのだが、当時1つの勢力となった雪道ミュウがどうも手に馴染まない様子で、なかなか構築が定まらない。

そんなある日、珍しく息子が父親に声をかける。

「ピオニー、どこにある?」

ここに来て開き直った様子の息子は「キャッチャー3枚&ピオニー1枚」というクセ強めの構築を選択した。

息子はピオニー2枚採用も考えていたが、ピオニー愛好家である父親から経験(過去のJCSでピオニー2投のアーマーガアVMAXデッキを持ち込んだ)を踏まえて1枚採用を提案。

ピオニーはミュウ最初期に息子が採用を検討していたカード、キャッチャーは過去のJCSで2枚採用したカード、思い返せば彼らしい選択だったのかもしれない。

クセのあるミュウで挑んだCL宮城の結果は5-3、意地のプロモバクフーンV獲得であった。

ピオニーとキャッチャーの使用感

このプロモ獲得で一息ついた息子、この時にはいわゆる「燃え尽き症候群」だったのかもしれない。

そして、2023シーズンの最後は息子がいろいろと考えた末にシティS4・JCSともに不参加という形で自ら幕を下ろした。

【父親の想い】

2023シーズン終盤の本心は息子本人から何か話すわけでもなく、父親から話を聞く雰囲気でもないと感じている。

父親の本音としては、2023シーズンは最後まで駆け抜けてほしかった。

WCSに届かなかったとしても、それを目指して最後までやり切ることに意義があると思っていた。

そのやり切った経験が息子の人生の支えになると信じていた。

しかし、いろいろと考えながらこの記事を書き進めているうちに

「息子はポケカで十分に戦い、大きく成長した」

それと同時に

「息子はポケカを通じて父親にかけがえのない経験を与えてくれた」

と考えるようになった。

ポケカを通じて息子自身はもちろん、父親もこれからの人生の糧となる経験を十分に得られたと思う。

父親としてはWCSの舞台に立つ息子の姿を見たかったが、これはもう単なる父親のエゴなのだろう。

WCSに最後まで挑戦するかどうか、これはその時を全力で生きている彼自身が決めることである。

これまで息子は父親の力だけでは見ることのできない景色をたくさん見せてくれた。

その景色は彼のセンスと努力がなければ決して見ることができなかったのだ。

父親はそのセンスと努力を信じてこれからの彼の人生を応援しようと思う。

【最後に】

これまで私達親子を支えて下さったポケカ仲間の皆様、本当に有難うございました。

チーム横須賀線のメンバー、チーム東横線メンバー&綱島の仲間たち、蓮くんをはじめとするチームこぐまメンバー&矢向の仲間たち、それ以外にもたくさんの方々に助けていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

皆様とポケカに取り組んだ日々はこれからも私達親子にとってかけがえのない宝物です。

ポケカの活動はこれで一区切りとなりそうですが、親子はこれまでの皆様からのご支援を忘れずにこの先へと歩みを進めます。

最後になりますが、このnoteをお読みいただいた皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

シンゴ@チーム横須賀線マネージャー

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