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ものごとがゆっくりしか変わらないという現実を許容できるか

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明晰さへの抵抗


弱小ながら日々たくさんの人にお世話になりながら会社をやっていて、それが「公共領域にソフトウェアを導入しましょう」(いわば、DXというものです)というものなので、なかなか簡単にはいかないこともある。

自治体や中央政府で働いている人、1人ひとりはものすごく優秀なのに、(何人かであれば顔も知っているような距離感)最終的に公式に公開される方針については頭を抱えることも多い。

イノベーションのジレンマ、官僚制、そういった今までは意識しなかった巨人に対して挑む中で、色んな構造上の課題を考えたりした。それらは「政治による度量衡(法律)の決定」だったり、「意思決定と構造」など、今までスタートアップのなかのデザイナーとして従事していた自分には初めてのことが多かった。


今をときめくイケイケのスタートアップだったとしても、「それは自分が過去に描いたビジョンにそっているのか?」という限りなくエネルギーのいる問いをし続けられているかどうかは全く別だと思う。

「イノベーション」と銘打って進められる創造的破壊をしていくのは意外と簡単だけど、それらの構造を再設計し、健全に(私はこれを「ヘルシーに」というワードを使うことが多い)競争を進めるのは難しい。


最近でいうと、ciotanこと塩谷舞 氏や、(個人的には)ヘルシーさとは何か?をホテルという手段問いかけた 龍崎翔子 氏。歌って(設計できて)踊れる(実装できる )デザイナーの fladdict 氏などの思想と実装の人たちが各領域で"健全さ"を構築しようとしたり、ポストモダンでいうと妥当で王道な 東浩紀 氏などを追っていたりしている。

("ヘルシーさ"とは対極な)カロリーの高い破壊的創造、前提のインセンティブ設計がそもそもうまくいってない設計の政治、複雑なことを無理やり簡単に説明したがるポピュリズムなど、そういう大衆への迎合というか、今までのスタイルを続けるのか、という諦めがある。

人新世の「資本論」では現代の前時代的な創造的破壊の高名を並べた後に、ここぞというタイミングで加速主義を参照するあたりなかなかセンスあるな〜と思ったり、在住府である大阪の吉村知事の非科学的(反証可能性)の言動や、メディアの切り取り方などをみて、Trump氏の言動と重ねるなどをしてものすごく諦めがある。

そもそも全体としては少子高齢化が進んでいる中で、経済力もどんどん落ちてるのにいつまでこの怠惰を続けるんだ、みたいな行き場のない怒りみたいなのをいつも感じる


「役に立つもの」だけしか有難がれない危うさに警鐘を鳴らすのもめんどくさい。なにが無印女子だ、ダイソーのスタンダードプロダクツだ。

別に冷笑したいわけではない、ニーチェとキルケゴール先生がその諦めすらも無駄なのだ!という地獄ストイック村の住民でもびっくりなテキストを数百年前に書いているので、この気持ちすらも新規性がないんだな〜と悲しい思いをしている。


それでも、私はまだこの国だったりの何かを諦めきれないんだな〜と思ってしまう。多分この深度の絶望であれば、また繰り返す。思想がある限りどれれだけ暗くても、いい意味でも悪い意味でも生き残れてしまう、死に至る病とはなんなのかを考える。

フラクタルなのです ☆〜(ゝ。∂)


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