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書きたいときに書きたいことをかくかくしかじか

書きたいときに書きたいことを書く。
心からこのスタンスでいたら、1000字くらい書いたところで集中力が切れたり、思うように書き進められなくて諦めたりで、投稿までいたらない日が増える。では翌日に続きを、と思って下書きの編集を開くものの、その日の僕の気分はまた違ったりする。
つまり結局2023年そこそこ日は経つが、まだ一つもnoteを投稿できていなかった。それで早くも3カ月近くが過ぎてしまった……。

これは野球でいえばフォアボールだろうか。打席には立つものの「まだ、この球じゃない」「もっと甘い球がくるはず」「あぶねえ明らかに振っちゃいけない球やんけ」「んーラストのは、振るべきだったかも……」と首を傾げているうちに、審判から四球とジャッジされる。
見送っているうちに打席が終わっていたという点で、僕の対noteも四球に近い3カ月だったなと思うわけである。

……いや違う。冷静に考えると全然違うことがわかる。だってフォアボールならちゃんと出塁するわけで、チームにとってはチャンス。チームを勝利に導くためのピースとして重要な役割を果たすことになる。
他方noteの投稿は個人プレイなわけで、僕が投稿を見送ったところで誰のチャンスにもつながらない。もとより出塁すらしていないわけで、四球ともまったく異なるのが現実である。

では僕がこの3カ月でしてきたことは、野球でいうところのなんだろう。
四球にも当てはまらないことはわかった。
となると素振りだろうか?いや、一応noteの投稿画面とは対峙してきたので、打席に立ってバットは振っている。そう信じたい。
でも全然当たらない。しっくりこない。だから静かなる(ドロップ)アウトが3カ月も続いた。
ほほう、これは野球でいうところの「凡退」だと腑に落ちる。打席には立つものの、結果を残さず去ってゆく。チームへの貢献はない。そこいらの点が合致するので、僕の対noteは「凡退」という言葉でまとめられそうだ。ダサいかもしれないが、言葉にすると納得感が生まれてすっきりしてくる。

んー、でも凡退かあ。言われてうれしい言葉では全然ないなあ。その立場になって初めてそう感じてくる。
ただきっと、同じ凡退でも、ヘルメットが浮くようなフルスイングの凡退であれば場内はそこそこ沸くかと思う。つまり同じ凡退でも、人々の記憶に残る凡退もあるということ。
ただやはり、ただの凡退だと、静かにダッグアウトに帰る以外はないわけで、誰の記憶にも残らないだろう。

…………なるほど、早合点してはいけない。より冷静に考えると、僕の3カ月間は四球でもなければ、凡退でもないのではないだろうか。

WBCの準決勝、メキシコ戦。
開幕以降ずーっと凡退続きだった村上選手が、ついに9回の裏。すでにみなさんご存知のように、逆転サヨナラヒットを打った。
翌日アメリカとの決勝戦でも。すでにみなさんご存知のように、完璧な快音を響かせてアメリカに追随した。
一般人は、やはり彼が神様だと再認識したハイライトかと思う。まさに日本中が沸いた、感動の瞬間である。

「やっぱり村上は神様」
「やっぱり村上が決めてくれると思った」
実際に、このようなセリフを放った人も多いことだろう。
聴衆は好きなことを好きなように言える立場なので、まるで自分が村上選手を育てたかのような妙な上から目線でジャッジし、語るもの。それは健全なことだと思う。

他方で僕が気になるのは、「やっぱり」という枕から臭ってくる凡退性である。すでにみなさんご存知のように、WBC前半の村上選手は凡退続きだった。誰が見ても明らかに不調だった。緊張か?経験不足か?野球ではなくベースボールの日本代表として送り込むにはまだ時期尚早だったのではないだろうか……。
ところがすでにみなさんご存知のように、批判や不安の声が聞こえてくるムードの中、当の本人が一番きつい精神状況の中で、村神様はぶった切った。

「やっぱり村神様がやると思ってたよ」
このような調子のいいことを聴衆が放言できるのは、それまでの村上選手が「凡退」を見せてくれていたからであろう。そこまで踏まえると、「凡退」というプロセスを見せることはドラマに欠かせない気がしてくる。

ただ野球選手にとって、きっと「凡退」は恥ずかしいこと。
でも「凡退」を、恥ずかしい姿を見てもらうからこそ、いずれの「やっぱり」へと繋がってゆく。感動が生まれるはずである。

その点で僕の対noteは、誰の目にもふれず、「やっぱり」とも言われない3カ月間を過ごしてきた。打席に立ったとはいえ、大事なのはやっぱり、ひと目にふれさせることなのだろうと思わされた。そんなWBCだった。


野球でもサッカーでもフィギュアスケートでも、結果さえわかればOKとはいかなくて、途中でハラハラしたり負け越したり、でも「勝てる!」と祈ったりする中に、スポーツの本質があるんだよなあ。
そんなことを思いながらの第一投目。
やっぱり僕は今回のWBC祭りに影響されているようだ。(大谷選手のこともめちゃめちゃ放言したいけれど、まあここいらで止めておく。)

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