團菊祭五月大歌舞伎

夜の部を観劇。伽羅先代萩はご存知、御殿の場と床下の場。今回は飯炊きがいつもより長く感じた。
政岡は菊之助、一子千松は丑之助。
そして、私にとっての白眉は歌六丈の弾正妹八汐の憎ていらしさ。悪党をやらせても歌六丈は素敵である。

隣席に稲穂の会のメンバーの品がよい、美しいお召し物の白髪の女性がいらっしゃって、二人で「歌六さんの声がほんとにいい」と共感しあった。
もちろん、米吉丈の冲の井もいい。眉なしの役がだいぶ人に合ってきた。

床下の團十郎がよかった。近くで見られたこともあって仁木弾正の妖しさが十分に出ていた。花道に引き込む時に、團十郎の前後を照らす蝋燭の灯によって、團十郎が鳥屋口に近づいていくと、その影がだんだんと大きくなって幕に映るのは計算しているのだろうか。印象的だ。

今まで團十郎はあまり評価していなかったが、見直した。こういう役が合っている。

ところで、伽羅先代萩の通し狂言は記録によれば2009年に行われたようだが、見ていない。
ほとんどの見取りで御殿と床下だが、一度は通しを見てみたいところ。
まずは山本周五郎の「樅の木は残った」を読んでみようか。
仙台伊達藩という地域の特徴にも繋がっているのだろうし。

もう一つの四千両小判梅葉は、河竹黙阿弥らしい五七五七の流れの良い台詞。
ただ、いささか深みがなく平板に感じられた。

筋もいささかぶつ切りな上演なので、松緑も苦労したのではないか。
また、見取りとしても、その場その場の感興が深まらない。これは筋に潜在した流れが見えず、歌舞伎らしい「実は」「実は」という多層性がなく、表面に表れている通りに読むしかない、というためだろうか。

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