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ナナメの夕暮れ

少し前に、私はある事に気がついた。それは自分の人生の中で、母について考える時間があまりに長すぎるということだ。
母は一度怒りの感情に捉われると機嫌を直すのが下手な人だった。どんな理由であっても、私を叱るとその後1週間近く目も合わさず口もきいてくれない事がよくあった。幼い頃、物凄い剣幕で叱られることも怖かったが、どちらかというとその無視され続ける数日間の方がとても辛くて悲しかった。母の不安定な情緒も、ヒステリックな気性も、他の家も同じなのかと思っていた。だが、他県の大学に進学して実家を離れたものの、必ず毎日連絡をするという約束を課せられた私は、そこまで過干渉で過保護な親はうちだけだと言う事に初めて気がついた。社会人になり私と妹が暮らす家に母も住む様になり、結局私は長い間物理的にも精神的にも自立することが出来なかった。離れられるのならば、離れたかった。
過去を振り返ると苦しかった記憶が蘇り、今に目を向ければ、自分が他者や社会とうまく折り合いがつかないのは母に原因があったのではないかと考えてしまい、結局何について悩んでもずっと母のことばかり考えてしまっている事に気付いたのだった。

その違和感や怒りを母に伝えることもできなくなってしまった。10年近く前に急性の精神障害を患った母はそのまま入院し、退院する頃には全く別の人間になったかのように穏やかな性格になっていた。人格が変わってしまった母に昔の恨み辛みを伝えても仕方がない気がして、何も言えなくなってしまった。本来、母はこういう優しい人だったのかもしれない。寂しさとか悲しさとか怒りとか苦しさとか過去とか古い傷とかそういうものから薬という力で解放された母は私が幼い頃に求めていた、話を聞いてくれる穏やかで優しいお母さんだった。今も電話をかければ母は朗らかに話を聞いてくれる。孫が可愛いと言ってくれる。母が楽に生きられるようになって本当に良かったと思っている。

ただ、私はというと、傷ついた心の置き所が分からないままずっと悲しみを抱えている。娘を授かってからは特に幼かった頃の記憶が蘇ることが増えてしまいその度によく泣いている。あの頃の私と今の私は地続きであるはずなのに、今はもう誰も住んでいない昔の実家の自室の片隅で泣いている6歳の私が、母に怒鳴られ叱られ反論する力もないまま疲れて空き地をとぼとぼ歩いている16歳の自分が、今もずっとその場所に置き去りのままな気がしていた。迎えに行ってあげたいのに、自分でもどうしたら良いのかがわからなかった。

でも、こんなに考えてばっかりいるんだなってふと気づいて振り返れただけでも大きな進歩だな、と思った。それと同時に、もう飽きたな、とも思っていた。いつまで考えているんだろう、とも。母が祖母のようになりたくないと言っていたように、私も母のようにはなりたくないと思ってる。こんなことが何世代にも亘って続いてるなんて地獄のようだ。負の連鎖はこれで終わりにするという強い使命を、私はどうにかして果たしたい。

若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』の文庫版をやっと読んだ。やっと、と言うのは本当はハードカバーも持っていたけど読めなかったのだ。数ページ読んだけど読み進められなかった。それはきっと、私がナナメの真っ只中にいたから。苦しみながらもきっと居心地が良かったのかもしれない。いや、分からない。泣いて泣いて苦しみ抜く時間が必要だったのかもしれない。ナナメで居続けるための時間が必要だったから、あの時は読めなかったんだと思う。
今この歳になって、ナナメの夕暮れを迎えた若林さんの言葉は驚くほど心に染み渡った。私も自己の悩みを内に内に持ち続ける体力を失いつつあるのかもしれない。老いることが一つの解放であるならば、この本に書かれた生々しい記録は希望であり頼もしい道標だった。「ナナメの殺し方」なんてご丁寧に表題までつけてやり方を教えてくれるなんて、従わない選択などあるだろうか?
ここに!!ここにやり方が書いてあるよ!!!と一分一秒でも早く読むように過去の私に教えたい。きっと聞く耳を持たないだろうけど。

著書の中で、スヌーピーの「持ってるカードで勝負するしかないんだよ」と言う言葉が出てくる。私はこの言葉をずっと前から知ってたはずなのに、理解してなかった、と言うより認めたくなかった。きっと若林さんや私やたりないひとたちは、自分が持ってるカードが何のカードなのかを理解するのに時間がかかるのだ。何枚持ってるのかも分からないし、そもそも捨て札だらけだと思ってる。このゲームのルールを知らないし、それを学んで理解するまでにも途方もないぐらい時間がかかってる。生きるのが上手に見える人は、きっと感覚的にそのあたりのことを理解するスピードが早いんだろなぁ、だからそこと比べても嫉妬してもしょうがないんだな、と気づくまでに私も35年かかったと言うことだ。ああ、そうなんだ。そうだったんだなぁ。

2年前、産院ですやすや眠る生まれて数日の娘の顔を見ながら私はこの子に何をしてあげたらいいかまだ何もわからないなぁと考えていた。まだ自分の身体の感覚も曖昧で、お腹が空いたら泣く、眠くなったら寝るだけを繰り返してる娘に、それ以外の何かを与えたくても与えようがなかった。
この子は何が好きになるんだろう。好きな食べ物は?好きな色は?好きな花は?好きなテレビは?本は?キャラクターは?音楽は?映画は?芸能人は?まだこの世界にどれほどのものが溢れているのかも知らない彼女には、何かを好きになれる無限の可能性があるんだな、と思った。その一つ一つを、できれば私にも教えてほしい。一緒に探して、見つけていきたい。そしてその好きが一つでも多く見つけられるといいな、と思った。それはきっとあなたがこの世界で生きることの理由になり得るだろうから。

「ナナメの殺し方」で若林さんが自分がやっていて楽しいことをノートに書いていったとあって、私はその時の事を思い出していた。そんなに生きてることが楽しいと思ってなかったし、悩んでばかりの私でも、人間がこの世界で生きてくためには楽しいことや好きなことを見つけることが大事だと分かっていたのか。それは娘の為でなく、私の為に必要な一つの答えだったのだ。若林さんが見つけた方法と、偶然にも一致してたことが嬉しかった。
私も書いてみます、肯定ノート。来月36歳になるいいおばさんですが始めてみます。あなたが格好悪くも生々しく血を流して生きてきてくれて、書き記してくれたから、共有していただいた以上はそれに応えることが感謝の示し方だと思っています。

私はあなたがネクタイを締めてテレビに出ている時、第一ボタンを外したままネクタイを締めてるんだろうな、と首元を見ていつも少しだけ嬉しくなります。この世界ではそうやって時には人目には分からないように自分が自分らしく生きていく方法を見つけていくことが必要なのかもしれません。誰かの言葉が、たった1日で人生を変えてくれるわけではないことを私も35年間生きてきて知っています。この本を読んでどれほど共感して泣いたとしても、明日の私はまた落ち込んでるのかもしれない。それでも、悩んで悩んで泣いて泣いて過ごした私はあなたの著書を見つけ出してくれました。きっと明日の私もまた未来の私をどこかへ導く礎となるのでしょう。とりあえず、肯定ノートの1行目には、テレビで第一ボタンが締められない若林さんを見つけた時、と書きたいと思います。

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