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どうでもいい記憶

あちこちオードリーのオンラインライブ以降、若林さんのnoteを購入して、初回から少しずつ読み進めている。
私がオードリーのラジオを聞くようになったのも、若林さんの著書を読むようになったのもここ数年のことなので、最近のテレビやラジオで話されていたことの補足やより深く掘り下げた話に触れられて嬉しい。毎日少しずつ読み進めながらとても贅沢な気持ちになっている。
傷ついたことや納得がいかなかった話等に対して大いに共感させてもらってもいるのだけど、それ以上に内省されてるから学ぶことがたくさんある。私の頭の中はいつも怒りや恨みつらみが渦巻いてて、noteはそれを吐き出す場所になっていて(それが思考の整理やストレスの発散に繋がってはいるのだけど)考えて考えて考えまくっているようで結局自分のことを省みてなかったな、と思った。色んな内容のことを書かれているし、その都度書いているテンションも違うのだろうけど、どれも言葉が温かく感じる。冷たい冬の夜空の下で焚き火にあたっているような気持ちになって、少しずつ冷め切った心の温度が上がっていくのを感じる。
テレビの温度とラジオの温度と文字から伝わる温度は同じ人からの発信であってもみんな違う事もとても面白いと思った。それぞれから受け取る印象の違いもその多面性もすごく面白い。


一対一で会話するのは良いのだけど、3人以上の集まりになると途端に苦手意識を持ってしまう。なんとなく同調圧力のようなものを感じてしまうからだろうか。
楽しかった会話というものは意外と覚えていないもので、あの時のこの話題嫌だったんだよなーって事はよく覚えている。その嫌な記憶が複数人での会話や飲み会や女子会に対する嫌悪感を助長させてる気がする。
でもそんな記憶の出来事からも数年経ったせいか、最近心の温度を少しずつ上げてもらったせいか、今となってはあれってこういうことだったんじゃないか、なんて別の角度からの気づきがあったりもする。

一つは、昔勤めてた職場で若手の社員をやたら弄っては笑い者にするいい歳したガキ大将のような上司がいた。その上司が私と別の女性社員に「○○が昨日飲み会の後に風俗行ったらしいぞ」と本人のいないところで話してきたのだ。一緒にいた子は「やだーーきもーーい」と恐らくその上司が期待した通りのリアクションをしていたが、私は心底どうでもいいと思っていた。
性風俗をどの様に捉えるかは人それぞれだと思うし、そう言う場所に行くこと自体が理解できないと言う人がいてもそれはそれで仕方ないと思う。でも自分の稼いだお金でプライベートな時間に何処へ行こうとその人の自由だ。別に誰に迷惑をかけているわけでもないのにその人の話が勝手に噂される意味がよく分からなかった。
ただ、今思うとあの上司は何でも良いから笑い物にしたりネタにしたり粗になりそうなことを探してそれを影でも日向でも喋ることで優越感に浸っていただけなのだろうな、と思う。

話は脱線するが、芸人さんが風俗の話やネタをしてる時にめちゃくちゃ面白いと思える時と、その話の何が面白いんだろうと先程の上司に対して感じたのと同じ冷めた感情になることがある。
私はたりないふたりの風俗の話のくだりは腹を抱えて笑ってしまう。こういう話題の時に(主に男性同士で)共有されている空気や共通言語感は正直分からないし想像するしかないのだけれど、日頃の不満や鬱屈した気持ちや他のどこでも発散できない何かをそういうお店で爆発させている様子が分かるほど笑ってしまう(ただ、実際風俗に行くことに対して理由があってもなくてもそれは別にどちらでもいいと思ってる)。上手く説明できないのだけど私の場合はそこに切実さを感じてたまらない気持ちになる。そこに行くまでの過程も、店で思うようにいかなかった時のハプニングも、身も心も何かから剥がされていく様子も、ここでしか出せない自分がいると言う鬼気迫った熱量に笑ってしまうのかもしれない。そこには性別とか、風俗を利用するしないに関係なく、行き場のない自分を抱えた時の切実さを感じたことがあるからなのかな、と思う。

一方で、大人数のトーク番組等で唐突にあいつは舞台と舞台の合間に風俗に行ってたとか、物凄い性癖を出したせいで店を出禁になったとか、そういう暴露だけの応酬を見てるとそれをテレビで話すことに何の意味があるんだろなぁと思ってしまう。多分事実だけが明かされて、それ以上言うなーと慌ててる様子を見るだけではそこを巡る何かが見えてこないから共感も驚きも面白さも感じないのかもしれない。


話を戻して二つ目。
職場の女性社員と4人で女子会をした時だった。A子が、後輩の男性社員に交際して3ヶ月近く経つ彼女がいるらしいのだが、ちっともやらせてもらえないらしいと話始めた。そこから3ヶ月も彼氏にやらせないってあり得なくない?と言う話題で終始盛り上がっていたのだがこの時も心底どうでもいいと思っていた。恐らく私はその中で一番恋愛経験も乏しく交際人数も少なかった。当時交際していた彼は私にとって人生で初めての恋人だった。当然そういう関係になるのにも及び腰だったし怖かったし、どれだけ相手のことが好きで一緒にいて居心地が良くても、関係を持つのは怖かった。それは自分の身体を守る為にも、段階を踏むことで相手の態度が変わってしまうのではないかと言う不安も含めて。
だからそんなもの人によるだろ、としか言えない事をありえない女だと言い続けるA子にも、まじでやばい女だと同意し続けるB子とC子の気持ちも理解できずその場は笑ってるしかなかった。

それから数年経ったA子の結婚パーティーの帰り道、A子夫妻の馴れ初めを全て見てきたB子が感慨深げに話していた。A子とその夫となった人は職場でとても仲が良い先輩後輩の関係だったが、正式に交際に至る前に肉体関係をもった。A子は遊ばれているのかもしれないと不安になりB子に相談した挙句、世話焼きのB子から男性の方に付き合うのかどうかはっきりしろとはっぱをかけたらどうにか交際したと言う話だった。色々あったんだね、でも結ばれたんだし今日は本当に幸せそうだったし良かったね、とその時は話していたが、今思うとあの日の女子会でA子が彼氏にやらせてあげない見ず知らずの女の子をやたら叩いてたのはそうすることで自分の恋愛を肯定したかったのかもしれない。交際前に肉体関係を持つのは不埒だとか、純愛じゃないとか、そんなことも一概には言えないと思うし、パートナーとどの段階でどういう行為に及ぼうとも結局は信頼関係だったり本人同士の問題なわけで正解なんてどこにもない。でもあの時のA子は結局不安を抱えている1人の恋愛中の女の子だったんだなと今となっては思う。


三つ目はパートで働いていた時の職場の話で、そこでは私が入社する約1年近く前に辞めた元従業員のことをいつまでも弄り続ける空気があった。その人はかなり太っていたらしく、食生活も偏っていて、朝から揚げ物食べるって言ってたよなー信じられなーいとか、売れ残った商品をたくさん持って帰っていたとか、あんなだからいつまでも太ってるんだ等の話が毎日のように繰り返されていた。本人の人柄を知らない私からするとシンプルに悪口を言われ続けてる気がして、皆に嫌われてる人だったのかな、とも思ったが、辞めた後も飲み会に誘ったが都合がつかなくて彼女が来れないらしい、残念だと言う話を何回も聞いてどういうことなのかがよくわからなかった。
愛と弄りは紙一重という事なのだろうか。会ったことも一緒に働いたこともない人だったので想像しようにも限界があったので毎回頭に疑問を抱えたまま本人不在の話を聞き流してたが、最終的にはそんな話題で盛り上がる雰囲気そのものが嫌になって私も辞めてしまった。
悪口を言わない信用できる先輩にその話をしたら「彼女は愛されキャラだったからね」と笑っていたが、本当にそうだったのかは甚だ疑問だと今も思っている。どちらかと言うと、弄りやすい人物をみんなでつつき合うことで連帯感や共通意識を育んでいたのではないかと思うし、そういう軽薄な笑いで繋がってるような職場だったなら辞めて正解だった。
(余談だが、その元従業員の方は別の仕事に移ってからとても痩せられたそうで、みんなそれを知ってるのにずっと昔の彼女のことを話題にし続けるのもよく分からなかった。よっぽど他に話す事がなかったんだなとも思う)


思い出してみると本当にどうでもいい話題なのにどうでもよすぎて呆れたことほど意味が分からなくて記憶に残ってたんだな、と思う。本当忘れていいと思うよ、私。脳味噌の容量がもったいないよ。
色んな気付きもあったけどタイムマシンに乗って同じ時に戻ってもあの頃よりちょっと上手く笑えるようになるぐらいでやっぱり苦笑いしてるしかないだろなぁとも思う。
でも未来でも同じような現場に出くわした時は、もう少し話題を変えてみるとか、阿呆なふりして完全に聞いてないふりをするとか、回避できる挑戦をしてみてもいいのかな。せっかく今の今まで無駄に覚えていたのだから。

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