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打ち上げ花火

数ヶ月前に唐突にtwitterをやめた。
そもそも日常生活で友達と言える人がおらず、初めての育児を経験する中で孤独を感じ、好きなものが同じ人達と繋がりたいと言う欲求が抑えきれず始めたのだった。
新曲が公開されたり、番組が放送されるタイミングを誰かと共有して盛り上がれるのはとても楽しいことだった。自分だけでは知り得ない情報もどんどん流れてくるし、自分もそれを提供することで仲間意識のようなものも芽生えていった。
その一方で、所謂TLの空気に水を差してしまうようなことが言いづらくなっていくのも感じた。自分の場所だから自由になんでも話して良いはずなのに、顔も知らない人達の顔色を伺うようになってしまった。言葉が強い人もいれば読んでてきつくなることを呟く人もいる。同じものが好きと言う理由で繋がってるはずなのに聞きたくもないそれぞれの自論が聞こえてきて、悲しさが楽しさを上回るようになった時に、やっぱり私はこの小鳥とは相性が良くないなと思ってある日突然手放してしまった。

結論から言うとそれから大分楽になった。最新の情報が追えなくても、取りこぼしがあっても別にいいやと思えるようになった。またひとりぼっちに戻ってしまったし、楽しさを分かち合える人はいなくなってしまったけど、よく知らない人の鋭利な言葉に傷付けられることがなくなったことでシンプルに息がしやすくなった気がする。

そんな事が関係あるかどうか分からないが、お腹に赤ちゃんを授かった。2人目が欲しいと思いつつこれまで1人の子供を見るのに手一杯で、それ以外の時間はtwitterを見るのに忙しかったんじゃないかとすら思えてくる。日頃の孤独を埋めようと思って小鳥のアプリをそっと押せばよくも悪くも色んな人の言葉が常に流れていて、それを全部読んで飲み込む事で淋しさを埋めていたのかもしれない。よく分からないけど、ぼーっとしたり何も考えない時間が出来た時に、私の中の空白に新しい命が授かったような気がした。

とは言えコロナ禍である。
ここ数週間の感染者の増え方を見ているとめちゃくちゃ不安だ。先週夫が風邪を引き、それが私に移り、娘も高熱を出した時はどうしようかと思った。幸いにも普通の風邪だったが、薬が飲めない、のど飴一個舐めるのにも医師の判断が必要なのかと思うと妊婦はなんて不便なんだと感じた。悪阻、頻尿、鼻づまりで呼吸がし辛い、便秘なのにお腹を下す等の数々の妊婦あるあるを体感してると通常時の何のトラブルもない健康な身体がありがたく思えてならない。ただ、身体に不調がある時は大概の悩み事はどうでもよくなった。早くこの辛さから解放されたいと祈るのみ。あとは予定日まで元気に大きくなって生まれてきてほしい。お母さんも頑張るからさ。

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あちこちオードリーのオンラインライブを見た。過去2回開催された年に一度の真夏の祭典、ずっと気になっていたけど今年初めて購入した。
数年前の出来事でもあの熱量で話してることにに勇気づけられた。
だって「絶望」だもの。そんな簡単に忘れられたり供養されたり昇華できるものではない。私のような人間でもそんな出来事がいくつもあってずっと心の片隅に亡霊のように居座っているから、この人達もそうなら私が忘れられなくても仕方ないかと思えた。

テレビでは放送できないような話や暴露が聞けたから楽しかったわけではなくて、どちらかというとそんな重い火薬を幾つも抱えたままこの人達は日頃仕事をしているんだなと言う事に胸がいっぱいになった。
それが大輪の花となって空に咲いた花火大会だった。きっとあの小鳥に触れたら燃え盛ってる場所もあるんだろうなと思いつつ、一夜の出来事なんだから綺麗に上がったねって言ってそのまま忘れてあげようよ、ともうどこにも届かない声をここに書くのでした。
だってあなたも私もみんな絶望してるじゃない。日頃からどれだけ小爆発繰り返してたか私はよく知ってるよ。

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