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私を救ってくれたように、私も誰かを救えるように。

中学生のころ人間関係に悩み、もがいていた。
クラスでの居場所が突如として消えた。

別に私は友達がいなくたって、学校とは勉強をする場であるのだから大丈夫

あの頃はそう思って生活していた。
というよりも、思いたかったのかもしれない。

こんな時、学校に行かないという選択肢も十分にあるのだろうが、わたしは一日としてこの事を理由にして欠席することは無かった。
ただ1日1日を同じように生きていく。
おかげで自分の心が壊れていくことに気づけずにいた。

平然を装っていた中で、少しずつ自分の身体をコントロールできなくなっていく。

体育委員を担っていた時、クラスの先頭に立ち、まとめることができない、怖いと感じる。
教室でふと気を抜いた時、涙が一筋流れる。
数人のグループを作るよう言われた時、体が動けなくなる。

それまで当たり前にできていたことができなくなる自分自身に苛立ち、悔しさが生まれた。

クラス内のそれまで友達だと思っていた人たちも次第に距離を置くようになり、
それを感じ取った担任との面談でろくに会話もできず、涙だけがあふれ出し止められなかった。

ギリギリの状態で過ごす中、”修学旅行”という学校行事が近づく。
これに私は 参加しない そう決めていた。

ユニバーサルスタジオジャパンでの自由行動、
京都の班行動、奈良のクラス行動をこなすことはできないと考えた。
その気持ちを家族は理解してくれ、担任とも話をして参加しない方向で話を進めていた。

こんな状況をどこから知ったのかわからないが、中学に入学して最初のころに友達になった他クラスの人から一通の手紙をもらった。
「ユニバの自由行動は私と過ごそう!修学旅行行こう!」
こう書かれた手紙を見て驚いた。
思い返せばその人は中学に入学してクラスに全然友達もいなくて友達作りを頑張っていた頃に、よく声をかけてくれて中学生活のスタートを支えてくれた人だ。
この手紙と内容が急な話だったためすぐに返事はできず家族と先生と相談することにした。

結果、この人の優しさに甘えることを決め、修学旅行に参加することを決めた。

もちろんクラスでの環境は全く変わっていないが、そんな中で声をかけてくれたことが何よりも嬉しく、救われた。

無事に修学旅行を終えて日常が戻ってきた。
二泊三日を共に過ごしたことも何の解決にもならなかった。
無論、クラスの環境は全く変わらない。

しかし、心の変化が多少あった。
生活している世界はこのクラスという狭い世界だけではないこと。
一歩教室を出れば、誰かの話し声、笑い声が聞こえてくるし、部活動に行けば仲間や後輩、何より頼れる先生方がいる。
もちろん、学校という狭い世界だけではない。

自分に巻き起こっている現状は他の誰でもなく自分自身でしか変えることができない
そう考えていたわたしはとてつもなく狭い世界で生きていることに気づくことができた。

私自身も頑固になり、他の誰に頼るでもなく、他人と分厚くはるか高い壁を自ら隔てていたあの頃の自分から、周りには数えきれない繋がりがあること。

視界を狭め、自ら生きずらい環境を形成しないように
でないと、周りで手を差し伸べてくれている人にすら気づけない

そして、
手を差し伸べることすらもできない人を見つけ、光のある方へ手招きできるような人間になりたい


わたしを暗闇から救ってくれたのはたったひとりのたった1通の手紙だった

些細なきっかけかもしれないが、きっとあの手紙が無ければわたしはまた心を壊し続けていたかもしれない。

そんなきっかけと経験をくれた中学時代もたまには思い出して
記憶から消さないように。 そう思う。

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