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素敵な小説、ありがとうございます

みなさん、verdeさんの1000本目の投稿読みました?まだ読んでない⁉️リンクはこちらですよー

タイトルから藤井風さんをモチーフにした小説かとばかり思っていたのに、全然違った。ワインを中心とした人間模様、そして「推し活」というワードを巧みに使った小説でした。これ以上言うとネタバレになるから言えないけど、これはverdeさんの新しい扉を開けた小説ですよ。必読ですよ。

noteという場所は本当に不思議だ。これだけのクリエイターがいて、それを無料で堪能させてもらえるなんて。本当にお金払わなくて良いの?と思わされる小説、コラム、マンガがゴロゴロあるのは本当にありがたい限り。

私はクリエイターではないから、この状況、凄すぎて言葉にならないですもん。読み専の私からすれば、みんな頭が良い意味でおかしいと思う。だって、無料ですよ!(何回でも言う)今回のverdeさんの小説だって、ちゃんと販売できるでしょ⁉️

あぁ、「インターネットなんて便所の落書き」なんて言われていたころからネットに触れている私からすれば、今は夢のようなコンテンツに溢れていて「ここはパラダイスなの?」と言わんばかりの状況。素敵すぎる💓

ここら辺で昔を回顧するのはやめておきましょうか。未来の話をしましょう。もうネット通販も普及して、いまやAIが物を売る時代。そこにさらにメタバースという空間が待っている。現在のメタバース活用は教育関係やライブをやる空間になっているけど、これからは商業もどんどん参入してくるだろう。個人の販売販路としても活用されていくのは、目に見えている。そうなれば個人のクリエイターの活動も活発になるだろう。いやー、楽しみだなぁ。

クリエイターさん万歳🙌、そして、verdeさん1000本note投稿おめでとうございます㊗️次の小説も楽しみにしてます!

そんな楽しい余韻が残っている中、プチ・フランス語講座もお楽しみくださいませ。今日はアルベルト・カミュの『異邦人』です。


今回はアルベルト・カミュが書いた『異邦人』"L'étranger"(レトランジェール)の冒頭2文を発音して、文法を見ていきましょう。

アルベルト・カミュ

先ずは 1文目。

Aujourd’hui, Maman est morte.
(オジュルデュイ ママン エ モルトゥ)

aujourd’hui は「今日」、Maman はフランス語で「お母さん」の親しい呼び方。つまり、「今日、お母さんが」。はい、どうなった?実はest morte が複合過去なのです。前回やった複合過去は、avoir を活用しました。今回は est という être の活用を使って、複合過去を作ります。

être の活用表

ほんの少しですが、助動詞として avoir ではなく être 使う動詞があって、今回の『異邦人』の冒頭で使われているのです。

助動詞 est のあとに来ている morte(モルトゥ)は、mourir (ムリル=死ぬ)という動詞の過去分詞 mort (モル)の女性形なのです。

またしても面倒な規則が出てきました。être を助動詞にして複合過去を作る動詞の場合、あとに来る過去分詞は主語の男性名詞・女性名詞、単数・複数の区別に従って変化します。例文で見てみましょう。

il est mort (イ レ モル 彼は死んだ)
elle est morte (エ レ モルトゥ 彼女は死んだ)
ils sont morts (イル ソン モル 彼らは死んだ)
elles sont mortes (エル ソン モルトゥ 彼女らは死んだ)

こんな感じになります。

複合過去を作るとき助動詞 être を使う動詞は、対になって、場所の移動を意味する動詞がほとんどです。

aller(アレ 行く) と venir(ヴニル 来る)
entrer(アントゥレ 入る) と sortir(ソルティル 出る)
partir(パルティル 出発する)と arriver(アリヴェ 到着する)
monter(モンテ 上がる)と descendre(デサンドゥル 下りる)
naître(ネトゥル 生まれる)と mourir(ムリル 死ぬ)

なぜ、「生まれる」と「死ぬ」が場所の移動かというと、あの世からこの世に来るのが「生まれる」で、この世からあの世に行くのが「死ぬ」だからです。

これで1文目の意味と文法が揃いました。Aujourd’hui, Maman est morte.
(オジュルデュイ ママン エ モルトゥ)の意味は、「今日、母さんが死んだ」という意味です。

次の文章はこちら。

Ou peut-être hier, je ne sais pas.
(ウ プテトゥル イエル ジュ ヌ セ パ)

ou は「あるいは」という接続詞、peut-être 「たぶん」、hier は「昨日」という意味です。
次のju ne sais pas は、動詞が否定のne 〜 pasで挟まれている形ですね。sais は savoir(サヴワル 知る・分かる)という je に対する活用形です。これで訳す材料が揃いました。「あるいは昨日かもしれないが、私には分からない」となります。1文目と2文目を続けて見てみましょう。

Aujourd’hui, Maman est morte.
(オジュルデュイ ママン エ モルトゥ)
Ou peut-être hier, je ne sais pas.
(ウ プテトゥル イエル ジュ ヌ セ パ)

「今日、母さんが死んだ。あるいは昨日かもしれないが、私には分からない。」

ふ〜、たった2文だけでしたけど、新しい文法も出てきて長かったですね。でも、謎解きみたいで楽しくなかったですか?次回も有名な作品の文章を見ていきますので、お楽しみに!それでは〜。


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