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飛び立つときには

息子さんが飛び立つときが近づいているということを前回の交換日記で読んで、今回はそれについて思ったことを書いてみました。

福島から東京への上京は、私にとって新しい人生の扉を開く一歩でした。大学進学という名目の下、期待と不安が入り混じった心境で、生まれ育った地を離れました。

しかし、その背後には、言葉にできないほどの悔恨が残されていました。それは、親孝行をするという約束を果たせなかったことです。

私の母は、震災関連死という形でこの世を去りました。その知らせを受けたとき、私はただただ悲しみに暮れることしかできませんでした。母の死は、私にとって、親孝行を果たす機会を永遠に奪い去るものでした。

母が生きている間に、私がしてあげられることはたくさんあったはずです。しかし、その多くは実行されることなく、時は過ぎ去っていきました。

上京する際、私は成長するため、そして将来を切り開くためには必要な一歩だと自分に言い聞かせていました。だが、母の死を経験して初めて、子どもが親元を離れる上での親孝行の重要性を深く理解しました。それは、単なる形式的な行為ではなく、私たちの成長の証でもあったのです。

私は東京での生活を通じて、多くのことを学びました。新しい友人との出会い、知識の獲得、そして自立への歩み。これら全てが私を形成し、成長させてくれました。

しかし、そのすべてを母に見せることができなかったのです。私の成功も、失敗も、日常の小さな発見も、母と共有することは二度とありません。

母の死後、私は深い悲しみと共に、情けなさを感じました。自分が母に対して何もしてあげられなかったという事実と、もう二度と母と話すことができないという現実が、私を苛み続けました。

そして、この悲しみは時間が経つにつれて薄れることはありませんでした。むしろ、それは私の中で、より大きなものへと成長していきました。

親孝行は、子どもが成長する上で重要な一部であることを、私は痛感しています。それは、私たちが社会に出る前に、親に対して感謝の気持ちを示す方法でもあります。

親が私たちを育て、支えてくれたことへの最小限の恩返しです。そして、それは時間が限られているため、先延ばしにすることのできない責任でもあります。

この経験を通じて、私は一つの教訓を得ました。それは、悔いのないように生きることの大切さです。私たちが飛び立つとき、親への感謝の気持ちを忘れずにいること。そして、可能な限り親孝行をすること。これらは、成長の証であり、人生を豊かにするための重要なステップです。

母への悔いは、私の心の中に永遠に残ります。しかし、この悔いを胸に、私はこれからも前に進んでいきます。そして、母が私に教えてくれたことを生かし、人生を全うすることで、せめてもの親孝行を果たしたいと思います。

「飛び立つときには」、私たちは多くのことを背負っていきます。その中には、悲しみや後悔も含まれるかもしれません。しかし、それらを乗り越え、学び、成長していくことが、私たちができる最高の親孝行ではないでしょうか。

さぁ、私には何ができるかな。今からでも遅くはないはず。


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