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生産性を気にして『熱中できること』を見失った女の話。

自立して生活し、モノを大量に手放して服や雑貨などの物欲も失ったことにより、今の私は『熱中できること』を研ぎ澄ませる環境になった。

研ぎ澄まし先の尖った私だけの『熱中できること』を温めてみようと思ったら、いくら掬い上げても目を凝らしても砂のようにさらさらと流れていくものばかりで、

ふと「あれ、私がやりたいこと、熱中できていたことあんなにあったはずなのに、どこ行った?」

となった次第である。

もしかして、断捨離ついでに捨てちゃったのかな?


学生時代には確かにあった。

学生時代から私の熱中の先にはいつも創作と芸術活動があった。

 5歳から続けたピアノ。
生まれた時から片時も離れない読書、大好きな小説たち。
小学生から愛してやまない漫画やアニメとその創作。

文字通り寝食も忘れ支出も気にせず食らいついていた。

そこから「デザイナーになりたい!」と拳を握ったのは10年と少し前の話で、その目標は家庭環境と経済的事情で呆気なく崩れ去り、今は医療職に従事している。

しかしどうやら10代後半で医療という「自分がヨシとは思っていない道」に進み始めてからというものの、徐々に無意識のうちに『熱中できること』を心から削り落としていたようだ。

社会人になり、自分を攻撃するあらゆるものから自らの意思で距離を取り続け、自分を心から大事にできるようになった今「あれいつの間にどこに何を置いてきた!?!?」と『熱中できること』を何もかも見失ってしまった。

歴代の3日坊主達から分かること

『熱中できること』を見失ってからは、その手がかりを掴もうと色々なことに手をつけては来た。
いわゆる『熱中できること探し』。

●ピアノが好きだったから持ち歩ける楽器でクラシックを演奏出来たらもっと楽しいと思ってバイオリンを習った。
→音感がそれなりにあるから簡単な曲はすぐ弾けた。教室に行って時間内で「これ弾いてみて、ハイいいね次。」を繰り返すだけの授業に毎月ウン万円も払うのが悲しくなり辞めた。

●文章を書くのが好きでブログをやってみた。
→発信できるものが医療関係の経験しかない気がして、そのうち結局「アフィリエイト」とか「収益」「pv」とかが気になりだして辞めた。

それ以外に、第二種電気工事士も、オンライン日本語教師も、副業の飲食店バイトも、3DCG制作も、粘土造形も、プログラミングも全部手をつけて1ヶ月くらいでスッとやめた。
最初から「利益になぁれ」「実用性あるでしょ」と思ったものがほとんどで、心が踊らなくて継続できなかった。

こうして振り返って分かったことがある。
社会人になってから手をつけたあらゆることが結局『熱中できること』になり得ないのは、そこに「利益」や「実用性」を求めていたからだ。

要は『熱中に生産性を求めるようになったから楽しくなくて続かない』のだ。

きっとこれは学生時代、諸事情により家庭環境で命の危険があり速やかに実家を出なければならなかった私が、
「奨学金を背負わず、すぐに自立できる職につける道以外の選択肢は私にはない。」
と自分に言い聞かせたから。

その時にはまだあった私の『熱中できること』に蓋をして隅へ隅へ追いやって見ないことにして、
「利益」や「実用性」だけを意識して生きてきたから、
ついぞ追いやった私自身ですら気づけない奥深くへ『熱中できること』が埋まってしまったんだ。

自分の心のリハビリを。

私はここ1か月前から、『熱中できること探し』を辞めた。

無理やり「私はこれが好きな”ハズ”だからこれをやったら熱中できるかも!」とか言って始めて、それだけに集中しようとしても、『熱中』を取り繕うだけで続かないことがわかった。

なので仕事以外の時間は、自分の欲求のままに過ごすことにしてみた。

また心を踊らせてワクワクするには、深く追いやった自分の気持ちが時折ふっとその姿を見せるのに、気づいてあげる必要があると思う。

心のリハビリをしたい、と思った。
最近は以下のような過ごし方をしている。

●寝たければ寝る。
●読書をしたければ読みたい本を読むけれど、終わりたくなれば途中でも閉じる。
→手元に有るのは生物学の分厚い本達と、何度も読み返している数冊の小説にエッセイ、デザイン関連のビジュアルブック。Kindleも活用するようになった。
●ドライブに行きたい時は車を出す。
→深夜の風をひたすら浴びながらYUIの歌を熱唱したい時がある(MD&ウォークマン世代)。
●絵を描くなど制作をしたい時は作りたいように作って、やる気がなくなったらやめる。
→最近再びグラフィックデザインのトレースをしたり(勿論どこにもアップなどしない) 、Webデザインやバナーのまとめサイトを凝視して美しさに浸るようになった。
●気が済むまでYouTubeを観る。
→レインボーとジェラードンは3年ほど前から応援しているが、新作を楽しみつつ同じものも何度も観ている。昔から大好きなよゐこのNintendoのチャンネルを5時間くらい観ている時もある(無人島生活世代)。

今後はスパや日帰り温泉に通うのも再開したいし、暖かくなってきたのでトレッキングも再開したい。
どちらも長い趣味だが、ここしばらくは以前ほどワクワクした「やりたい」の気持ちに満たされてはいなかった。
「生産性がないからなぁ。」とスパやトレッキングの計画に時間を割くのをやめていた。

こうして書き出して思うのは、
「少しずつ『生産性のないやりたい』を取り戻せているな。」ということ。そして、
「あぁ、私の心のままに過ごすと、結局これまでの人生でやってきたことを引き続き楽しんでいるな。」
ということ。
これが

新たなものに手を出す必要なんてなくて、
これまで積み上げてきたことの中に既に私の「ワクワク」はあって、
これまでの「ワクワク」にも新たな「楽しい」の視点や経験はいくらでも生まれるもので、
心からの「楽しい」に利益や実用性、生産性は無くて良い。

これからも、この構えで心のリハビリを続けていこうと思う。



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