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たぶんあまり参考にならない監査法人スタッフの頃のおれの過ごし方の話

監査法人を5年ぐらいで早々に逃亡し、以後、ストリートで泥水を啜りながら糊口をしのいできた「とうこん」だ。このnoteを開くとはおまえも物好きだな。礼を言うぞ。

おれは今日、楽しい監査法人ライフについて思い出話がてらおれなりのサヴァイバル術の話をしようと思っているが、その前に断っておくべきことがある。


■ はじめに

最近、とある勉強会&交流会*1に気まぐれに参加してみたところ(やけに面白い会だった)、また新たなリース基準が導入され、実務がてんやわんやらしいという事がわかった。前に言った気もするが、おれは基本的なサービスをいろんな場所で提供することを旨としており、会計以外の分野もある程度わかる代わりに、ぶっちゃけ専門性は高くない。従って、解説を新鮮な気持ちで聞いた。そして、わかりやすく解説されているにも関わらず不可解な、最新鋭のリース基準に度肝(モツ)を抜かれながら、ふと、考えていた…こういう話、なんか昔もなかったっけ…

*1 本記事公開後、関西ファイナンス交流会界隈が一瞬ザワついたとのうわさをキャッチしております。ご参加の方々に、ここがどの程度知られているかを本人はよく把握しておらず、なんかすいません。また、機会があればよろしくお願い致します。(2023/10/9)

万物は流転する。

そう、すっかり忘れていたが、昔は所有権移転外ファイナンスリースをオンバラするというのは、一部のマニアックな好事家がやることであって、大体の会社はなんかそれっぽい注記とかをして、お茶を濁していたものだ。ちゃんと調べてないが、多分おおかたそんな感じだろう。時代は変わるものである。恐ろしいものだ。

ちなみに、当時のことを回想すると、デカい所有権移転外ファイナンスリースみたいなものは、基本的にちゃんとしたリース会社が貸手なので、賃貸借処理の注記用資料として、オンバラした場合の数字を提供してくれたりしていた気がする。ゆえに、当時はそもそも影響額がだいたいいくらだっけ、みたいな話はそこまで盛り上がってなかったような記憶がある。もちろん、おれはそこまでクソ程デカい会社には関与していなかったので、あんまりよくわかっていなかっただけかもしれないが。

今回は専門のリース会社から借りている以外のものも相手にしないといけなさそうだ。そりゃ件数が多い会社は大変だろうなとのんきに思った。

古き良き語りと割引率

さて、話は変わるが、おれはよく昔のBIG監査法人は牧歌的で面白かったという話をしてきた。マジで結構楽しい場所だったと思っている。しかし、今はあまりそうではなさそうな話をよく耳にする。

おれにはまだ早いと怒られそうだが、ロートルに差し掛かってくると、古き良き的な話をしがちなのは、人間の常である。しかし、思い返してみると、おれはヤングな頃、そうした歴戦のジジイたちの話を聞きながら、内心思っていた。

「お話としては面白いが、今と違いすぎて、参考にはならんな・・・」

リース基準一つをとっても、前述の有様である。次々と開発される奇抜な会計基準、現場に導入されているテクノロジー、労働人口、景気、働き方、どれ一つとっても今と同じものは無い。

そういうわけだから、年寄りからの仕事に対する姿勢とか考え方みたいなアドヴァイスというものは、基本的に割り引いて考える必要があることが一般によく知られている。

ここで問題になるのは、いったいそいつの話は何%割引けばいいのかという、割引率の設定に資する情報が非常に乏しいケースがあるということだ。特にネットの片隅で、どこの誰だかわからない人物が述べていることは、背景情報が欠落していることが多い。あるテーマについて、どういう背景でそう言っているのかわからないことで生じた些細なすれ違い、みたいなものが論争に発展するケースも、中にはあるのではないかと思っている。

つまり、おれが監査法人は悪くなかったよ要はやりようだよ、みたいなことを言ったところで、それがどんぐらい今nowに妥当するのかはサッパリわからないということだ。実のところおれにもわからない。

そういう観点から、こと監査法人ライフに関しては、おれがいかに過ごしていたかという事も含めて説明しておかないと、ちゃんと伝わらないのではないかと思い至ったわけだ。

まあ、話半分で読んでほしい

まず今、書くべき内容をざっと眺めてみて思った結論を先に言っておこう。結論を先に言うのは思春期を過ぎたイケてるビジネスパーソンのたしなみである。そんなことをまじめに信じているのは日本人だけという噂を以前インターネットで見かけたことがあるような気がするが、イケてるビジネスしぐさみたいなものは、何も考えずに浅薄に取り入れていくのがおれの中ではモダンなのだ。

今回は、

「基本的におれの言うことはあまり真に受けてはいけない。」

これが結論だ。

では、昔の話を始めよう。なお、昔の話というのは大抵美化されたり盛られたりしているものなので、そこはうまいこと割引いてもらいたい。おれはおれの記憶のままにしか書くことが出来ないからだ。

要するに、今日は合格してから監査法人での数年間をどう過ごすかという話について、おれの体験だけを話すというやつだ。こうすればいいよ、ということは・・・結局多少言っていることにはなるわけだが・・・前面には押し出さないつもりだ。時代が違うからな。

昨今は、Newbieに手ほどきする系のビジネスみたいなのもそれなりに需要があると聞いて、すわ!と身を乗り出しかけたわけだが、おれにはマネタイズする方法もないし、そんな〇年前の話をしてもなあ、という感じなので、いつものとおり適当に垂れ流しておくことにしよう。

ちなみに、めちゃくちゃ長いので、最後まで読んだ人は、それだけで忍耐力があるということが保証されるであろう。せめて読み物として楽しげに仕上がれば幸いである。

■ 合格~1年目

インターネットで監査法人の悪評を知る

おれはNEET期間も含めてインターネット暮らしが結構長かったので、ネットサーフィンを通じて、監査法人という組織がいかに腰抜け揃いでイカれているかといった情報(為念、おれが言っているわけではない)を受験時代から死ぬほど集めていた。会計士補リクルート裏情報・・・インチキ会計士の監査マニュアル・・・他にもなんかあったような気もする。一瞬ゲンナリしたが、先人たちの怪文書は面白かった。当時のネットというのはそういうものだった。(偏見)

もう当時の記事は読めないような気がするが、要するに、監査法人は階級社会でありスタッフは奴隷である、代表社員を先頭に行列をなして監査部屋まで行進するのだ、とか、会計士は奇人変人だらけでどうしようも無いとか、仕事はエンドレスで家に帰れないといった、いかにもおれの大好物のダメそうなエピソードが山ほど紹介されていた。

当時ヤングだったおれは、どうも組織と仕事の内容にはあまり期待できなさそうだと素直に思った。しかし、とりあえずある程度軍資金を貯めないと、おれの人生はもっとどうにもならないのだから、カネのためにしばらく辛抱しよう、みたいな感じで監査法人に入ることにした。嫌ならそれなりに仕事を覚えたらさっさとやめて、独立して気ままな暮らしをしようと思っていた。当たり障りの無いことが書いてあるパンフレットとかも一応もらったが、そんなものは1ミリも信じていなかった。

ちなみに、当時のパンフレットみたいなものは、確か、今ほど若者に訴求する感じのキラキラしたものではなかった。何でかというと、合格者の平均年齢が、おれの時でおおかた25歳程度であったため、もう他に行くとこがないやつがリクルートの対象だったからだ、とおれは思っている。なぜなら、おれがそういう立場だったからだ。リーマン直後ほど悲惨ではなかったが、景気もあんまいいほうではなかった。

もちろん、当時も在学中から合格するようなイケてるやつはいたし、転職組なので年齢が高いという、むしろレベルが高いやつらもいた。ただ、なんかぶらぶら生きてて、このままじゃまっとうな社会人になれなさそう、みたいなおれのようなタイプが結構いたのは間違いないと思っている。おれはわりとそういう連中(というと怒られるかもしれないが)とつるんでいた方だったからだ。

楽しかった予備校

ちなみに、予備校時代は、毎日決まった時間になるとみんなでゲーセンに繰り出したり、夜はネトゲで遊んだりと、とにかく楽しかった。自分が何者でもないモラトリアムな期間というのは、振り返ってみると色々と学びがあって貴重な時間だ。もちろん、それは受かったから言えることだろう、とは思っている。

ちなみに、受験勉強法みたいなものを書くというのも、監査法人1年目の過ごし方バリによくあるやつだと思うが、おれには、昔の短答式試験の制限時間(たしか3時間だ)で、短答の理論問題を2回分、全ての肢の正誤を答えながら、簿原の1時間総合問題を一問ずつ解くというスーパー答練という訓練法を開発し、布教活動に勤しんだ結果、それを忠実に実行した連中が次々と体調不良で倒れたという、やや狂ったエピソードしかないのでやめておこう。当時と試験が変わってしまったので、実際何の役にも立たない。なお、おれはマジでやってた。

さらに余談だが、おれは一時、朝守衛室経由で予備校に行き、夜守衛室経由で予備校から帰るというこれまた狂った受験生活をしたことがあるが、ほどなく高熱で倒れ、3週間ぐらい貴重な時間を無駄にし、まじめになど生きるものではないという間違ったサトリに到達する結果に終わった。過労ダメ、絶対。

そんなこんなで、ネトゲのやりすぎでおれは1回試験に落ちたが(親にはマジで悪いことをしたと思ってる)、心を入れ替えてなんとか無事に試験に合格し、若干歳は食っているものの、フレッシュなふりをして監査法人の奴隷階層とやらに紛れ込むことにした。

入所してすぐの雑感

最初のどうでもいい気配しか感じない数日の研修が終わったのちに配属先に連れていかれた。ちなみに、研修では、PCが貸与された瞬間、普段通り高速化のために設定を変えまくったら二度と起動しなくなり、速攻で情シスめいた部門のいかにもGEEKな見た目のやつに「もっとおとなしく使え!バカモン!」(そのあとも何回かPCを壊し、またお前かという顔をされた、スマンかった。)と説教された後、再設定のために取り上げられたので、PC研修の間はぼーっと座っていた。

業界ではスタッフ席などと呼ばれるフリーアドレスの長机ゾーンで、いろんな人に挨拶をしたが、確かに、奇人変人割合はなかなか高そうだった。ちなみに、おれの同期は全体的にはわりとまともな方だったし今でもたまに付き合いがあるぐらいいいやつらだが、おれの部門の同期はちょっと変わったやつだったので、おれはとりあえずまともそうなパイセンと仲良くする作戦で行こうと心に決め、以降、在職中は同期との関りをあまり持たなくなった。当時おれが配属された部門は比較的小さい規模で一つのユニットとなっていたので、新人が少なかったのだ。

まあ、他の部門の同期は部門の同期同士、共通の話題で楽しくやるだろうし、いずれはバラバラになるものだと思っていた。もちろん、大きくて同期が多い部門を多少はうらやましくも思ったが、もともとあんまり監査法人には期待していなかったので、特に気にもならなかった。今にして思えば、同期には申し訳ないが、合格したからといって浮かれているような連中とつるんでる場合ではないぐらいに思ってる部分も少しあった。おれは年齢が上の方だったし、同世代はめちゃくちゃ優秀な前職アリのやつらだったからだ。トンガっていた。振り返ると人生には恥が多いものだ。

おれはハイスイ・ポジションだった

そんなことよりも、入社時におれ名義の口座に5千円しかカネがなくなっていたことの方が深刻だった。まあ、入用なものを買うのは親に助けてもらったので、小遣いがとにかくない、というだけだったが。

今から思えば、仮におれの息子が会計士試験に受かって、もの入りだからとか飲み会で交流を深めたいからとかでカネをくれと言われれば、(多少説教はするかも知れんが)喜んで出してやるだろうなと思う。ただ、さすがにもうこれ以上迷惑をかけるのは嫌だと思っていたから、おれは監査法人がいかにトンチキな組織であろうともそこで何とかサヴァイヴし、最低限自活できる道を切り開くしかないと思っていた。仮におれが業界で全く通用しなくても、しがみつく以外の選択肢はないと思っていた。今と比べれば当時は全然若かったし、何とでもなったように思うが、貧すれば鈍するとはよく言ったものだ。

仮におまえが監査法人の新人で、同期に少し世代が違うやつがいるとすれば、そいつはおまえと全く異なる想いでそこにいて、全然違う世界を見ている可能性がある。そういう事を話す機会もあまりないだろうから、一回話を聞いてみるといい。身近な人が色々な葛藤みたいなものを抱えていることを知っておくのは、きっとためになる。

働き始めておれはすぐなじんだ

そういうわけで、一般的にはどうなのか知らんが、おれは部門配属されるとあっという間に現場にぶち込まれ、基本的に隙間なく日程を埋められていたので、なんかよく知らないおじさんたち(今から思えば若手だ)に連れられて、日本全国様々な場所に行った。当時これがおれにとって有難かったのは、出張代の立替が時たまカードの限度額を超えたりして厳しい面はあったものの、昼飯はクライアントに奢ってもらえるし、晩飯はパイセンに奢ってもらえるし、とにかくCashを使わずに済んだことだ。それと、奇人変人の類は確かにそれなりにいたが、いざゆっくり話してみると、やはりちょっと変わってるなという気はするものの、基本的にいい人たちで、中には信じられないぐらい頭のキレそうな人もいて面白かった。部門内で3番目を争うぐらいの奇人(超賢い)ともおれはまもなく仲良くなり、めちゃくちゃ良くしてもらったが、逆に邪悪な闘魂が善良な奇人さんを手なづけたなどと、良からぬ噂を立てられたりもした。ともかく、おれはすぐにこのシステムに味をしめた。

基本的に事務所からそんなに遠くない仕事の場合は、夕方にいったん事務所に帰るという事が多かった。持ってくるのを忘れた調書があったり、繁忙期には残確を回収したり、調書用紙とか文房具が不足したりとか、スタッフがやるべき雑用が多かったのもあるが、おれはそんなことは関係なく、私的な用事がない限り(貧乏人に基本的にプライベートな用事などない)とりあえず事務所に帰ることにし、やるべきことがあろうがなかろうが、残業してみたり勉強してみたりすることにした。もちろん、タイムチャージは本当に必要だった時間だけにしておいた。

おまえいつもいるのに実チャージ時間が少なすぎないかなどと、たまに追及されたが、適当にごまかした。ちなみに2年目ぐらいからは、休日は事務所に人が少なくて快適だという事に気づいたので、空いてる日は土日も基本的に事務所に出ていた。いつもいるやつとして顔を覚えられ、他部署のセンパイにも良くしてもらった。

金欠対策のための飲み会が奏功する

おれの目的はただ一つで、誰かが「メシでも行くか」というのをひたすら待っていただけだ。なぜだかわからないがおれの部門の連中は22時ぐらいから居酒屋に繰り出すのが大好きだった。もっと早くいけばいいのにと何度も思った。酒好きのパートナーは多少違って18時から行きたがったので、事務所で当該パートナーの姿を見かけた場合は、その日の残業を諦めるのが常だった。ちなみに、おれはデビュー3現場めぐらいでそのパートナーと飲みに行き、新人にとってはわけのわからない話を聞かされていったんは辟易したが、一緒に出張したりしているうちに徐々に仲良くなり、3年目ぐらいからは、毎週朝方まで飲みに行くようになった。そして、今でも良くしてもらっている。

そういう行動をルーチンにしていると、こいつは誘えば来るやつだなというのがわかるので、どんどん飯代が浮いて、どんどん仲良くなった。瞬く間にカネもたまり実家を出ることもできた。飲み会の立ち振る舞いみたいなのも色々と教えてもらった。おれは今でも、自分が下っ端になるコミュニティがあるので、適当に水割りを補充したりしているのだが、なんとなく気の利くやつだと思ってもらえるなど、意外と役に立っている。なお、おれの水割りはちょいちょい濃すぎると怒られる。さっさと酔わせて後は適当にバックレようと思っているのがいい加減バレ始めているのかも知れない。

いろんな人に人となりを知ってもらうと仕事はバンバン回ってくるので、1年目はつたないなりに、かなりまじめに仕事をした記憶がある。仲良くなって、一緒にたくさん仕事をするようになると、誰だってスタッフを囲い込みに走りたくなる。おれは1年目は文字通りの奇人変人が仕切ってるような、あまり行きたくない現場にも結構行かされたが、スタッフ不足という市場環境と築き上げた立場を利用し、うまいこと言って2年目以降ヤな現場はほとんど外してもらう事に成功した。まあ、きらいなシニアに調書を投げつけたりしたというのも多少はあるが…今は申し訳なく思っている。

1年目で覚えたことが仕事の基本となった

よく考えたら、人となりを知ってもらえば、仕事は勝手にやって来るというのは、今と言っている事が変わらない。信用を貯金しておけば、ちょっとぐらいのミスやワガママは許してもらえるというのも、今の仕事のやり方と同じだ。

おれは最初から黙ってやっておれば法人がおれを守り育んでくれるとは全く思ってなかったので、理不尽な目に遭いそうなことを極力回避して快適な監査法人ライフを構築するためには、ある程度うまく立ち回ることは必要だと思っていたし、もらったカネの分働くのは当然だが、どうせなら中身のいい仕事(優秀なやつが仕切ってる現場だ)をした方がいいと考えていた。給料はどうやっても突然増えたりしないので、組織内で顔と名前を売って、いい仕事を回してもらい、仕事内容を充実させることで実質的なワリを良くするしかない。

おれは1年目の経験から、サラリーマンといえども商売は商売だと強く思うようになり、1年目はなんとなくやっていたが社内営業に当たる諸活動が大事だと2年目ぐらいで気付きはじめ、3年目ぐらいでは、完全に「事務所内でおれは何を売っているか」という観点から自分の仕事を考えるようになった。ただ、極論、単にいろんな人と仲良くなってまじめに働けばいいだけなので、こりゃ簡単だと思った。

あと、社内に味方を増やし、うわさ話等に精通して影響力を持つことは、何か知らないけど得意で好きだった。これも年次が上がるにつれて大いに役立った。

おれは、銭勘定に関わらない公務員の家庭で育っているし、大学もビジネスとは縁遠い専攻だったので、なぜ自分がそうなったのかは未だにサッパリわからない。

■ リクルート裏情報は正しかったか

案外面白おかしかったレジェンド

ちなみに、リク裏だったかどうかは忘れたのだが、当時ネットでは、くだらないスタッフジョブの一つに、監査部屋で上位者の座りそうな席には予め調書用紙と筆記用具をおいておくみたいな感じの仕事がある、などと噂されていたが、ほとんどの現場ではもはやそういうことは必要では無くなっていた。たまに、ソロバン世代のレジェンドが現場に来るとなったときに、ジャーマネぐらいの世代がびっくりするぐらい気を使っていることはあったが、当のレジェンドたちは大して何も気にしていなさそうだった。

なお、おれは、
「〇〇さん、議事録閲覧願います!調書用紙こちらです!」
「ウム、くるしゅうない」
みたいな遊びが大好きで、面白半分でよくやっていた。

今のパートナーがよく働くことは広く知られているのであまりピンと来ないかもしれないが、当時はそもそもパソコンをあまり使えませんといった人も沢山いて、おれはよく代表社員の個室に呼び出されて、エクセルの使い方とかを密かに伝授したものだ。なぜおれがそういう役回りになったかというと、当時の代表社員はそんな具合なので、バリバリの若手の中には、露骨にもう現場に来なくていいよ、みたいな空気を醸すやつもいたのだが、おれは、森林と海の豊かさの関係についての話とかグローバリズム(時代だなあ・・・)がどうしたみたいな話が出来たので、雑談担当として比較的仲良くしてもらっていたほうだったからだ。

その分、「ぼくが〇十年前に海外トレーニーに行った頃はね」みたいな真偽不明の武勇伝を聞かさ・・・せてもらったものだ。読み終わった本とかもいっぱいもらった。多少年次が上がってからだが、会社法が始まったころには「闘魂君!ちょっと来たまえ!」と部屋に呼ばれて出会い頭に説教を食らいそうになったものの、すかさず六法片手に大先生の間違いを指摘してやって、2人で大笑いしながら、新しいことって難しいよねえみたいに頭を下げられた思い出もある。

おれは、どうしてこんなおもしれーおっさん達にみんな冷たくするんだろうと不思議に思ったものだ。おれ達だっていずれそうなるのにさ。

おれが辞めるとなったとき大先生には、「ぼくには闘魂君のスケールが正直よくわからない。でも君ならきっと大丈夫だと思うよ」という過分なお褒めを頂いた。これは本当にうれしかった。実際には結構大丈夫じゃなかったりしたが、今日はその話はしないでおこう。

そこまでツラくはなかったがカバンは重い

そんな感じで、おれが1年目に実際この目で見た監査法人の世界は、表面的には確かにリクルート裏情報みたいな感じもあったが、もっと深く潜ると、面白くて魅力的な人間がわいわいやってる世界が広がっているのが垣間見えて、全然嫌じゃなかった。

しかし、調書カバンだけはマジでクソほど重かった。ただ、リク裏で言われていたのと違って、結構みんな新人がケガとかしないようにちゃんと手伝ってくれてたし、そもそも1人で運ばせることは余程のKUSOチームじゃない限り絶対にしなかった。まあ、本人が事故っても調書が事故っても困るしな。

ちなみに、あまりに重いスーツケースを転がしていると、摩擦熱でキャスターがめっちゃ熱くなるとかいう無駄知識が増えた。

■ 2年目

おれは1年目の活動を通じて、監査法人ライフを楽しくするのに必要な基礎的な地盤とメソッドを得て、2年目以降、大いに調子に乗った。

パルプ調書時代と雑務

少し脱線するが、当然昔は調書を紙で作っていた。何をいうと、微妙に出身がバレて粛清(今更だが)されてしまうかわからない昨今なのでふわっと言うのだが、今のBIG監査法人は、いろんな事務所がくっついたり、提携ファームがくっついたり変わったりしたという経緯があったため、昔は、極端な場合部門によって母体となった事務所が違ったりするようなケースもちょくちょくあった。

そこで問題となるのが、あるべき調書作成法みたいな、実にくだらなく、実に興味深いカルチャーの違いである。それは作法であり調書道といってもよい。つまりワビ=サビがある。おれはそういうものが大好物だ。例えば、ジョブによっては何を見ても「Con.問題なし。」しか書いてないような、おや、誰かk(ry

もちろん、いうまでもなく監査調書は古の完秩明正経のような調書たるべき要件を備えたものであるはずだから、大枠はさほど変わらない。ただディティールに関してはもう調書用紙の呼び名からして、一連、二連だったりシングル、ダブル(A4用紙に開く部分が作られているもの、ちなみにトリプルもある。トリプルはさすがに貴重だったので、おれは密かに事務所の消耗品置き場を行脚し、トリプルを無意味にコレクションした)だったりと違うし、どの用紙を多く消費するかも部門やチームによって結構違った。

となってくると、誰と仕事をするかによって、用意するべき消耗品の割合が違ってくる、という問題が発生する。他にも、頑丈な水のりをメインに使う人とか、スティックのり派とか、ホチキス派とか、結構人によって好みがあった。何しろ、当時の調書作成は図画工作である。誰だって、自分の手になじんだアイテムを使いたいに決まっている。我々スタッフには、チームメンバーの流儀を把握し、現場に応じた適切な消耗品ミックスを用意するという重要な任務が与えられていたわけだ。

捏造された「秘伝」事件

2年目になって、後輩を迎えたおれは、この点に目を付けた。スタッフが足りなかったので、おれが1年目と同じ現場になることはあまり多くはなかったのだが、チャンスがあると見るや、ここぞとばかりに適当な事をさも重要事項であるかのように教えた。

「いいか〇〇。真の監査人の調書はダブルが基本だ。一連二連とかダサい用語は使うな。シングル、ダブルだ。いいな?書いてあるコメントは長ければ長いほど迫力があっていい。次から、現場にはダブルを大量に持ってこい!」
「ハイッ!闘魂さん!気を付けます!」
「なっ!貴様、資料をスティックのりで張り付けるとは何事だ!調書ナメてんのか!」
「え、ダメっすか!?使いやすいじゃないっすか!」
「いいか〇〇。真の監査人たるもの、もらった資料を張り付けるときに使うのは水のりだ。たっぷり使えば使うほど頑丈になる。スティックのりなど一瞬ではがれておまえの手続きは闇に葬られることになる」
「な、なるほど、、、??」
「おれは軟弱な調書はきらいだ。そんなもので合理的な保証など到底得られん。いいか、水のりをふんだんに使った調書をファイリングして翌日開けるとな、パリッと音がするんだ。わかるか?パリッ。その音を聞いたとき、おれは積み上げてきた手続きが強固な心証に変わるのを感じる。おまえにもいずれわかる日が来る」
「は、はぁ」

といった具合だ。なおこれはほぼ誇張ではない。おれが勝手に編み出した「秘伝」のせいで何人かのスタッフは現場で軽く怒られ、おれにも多少のクレームが来た。そんな時、おれはこう言って難を逃れた。

「そんな話を真に受けるようなことでは、やつに監査人は務まりませんね」

こうしておれの後輩たちは懐疑心のなんたるかを体得したわけだ。

何度かそういうことがあって、後輩たちの何人かはおれを危険人物だと認識し、同時にめちゃくちゃ古参なオーラをまとっているのに実は年次が一個しか変わらないことに驚愕した。演出は重要だ。

弟子を増やしていくのは楽しく有効だ

監査法人ライフは、後輩が出来てから圧倒的に楽しくなる。おれは何しろ部門唯一のJ1(Jゼロ?どっちだっけ)としてパイセンたちに揉まれまくって1年を過ごした猛者だ。ちょっと変わった同期はすぐにいなくなったのだ。こないだまで受験生だったやつなどおれの前では赤子に等しい。

新人も何人かいると、中にはそういうのが楽しくて仕方のない馬鹿なやつが出てきて、おれの忠実なフォロワーとなり始める。そう、2年目以降、監査法人ライフを充実させるためにおまえが取り組むべきことは、軍団づくりだ。

およそ全ての組織には派閥が存在する。誰が誰の子飼いであるとか、誰は誰にひっぱりあげられたとか、そういうのは組織人ならではの楽しみだ。組織で影響力を持とうとした場合、フォロワーの数は重要なファクターになる。

キュートなキャラをしているのに、太いパトロンがいないために上に上がれないみたいなことは、実力があるのに一生出世できないみたいに極端ではないにしてもちょいちょいあることだ。人がまとうオーラの正体とは、その人に集まる目線の数である、という説もある。ともかく、我々は民主的な社会に超慣れているので、多くの人の支持を集めるというのは非常に重要なことなのだ。

三つ子の魂100までという言葉もある通り、ひよっこに対して初手で一発かましておくというのが、軍団形成において非常に効率が良いに違いないとおれは考えた。2年目は不幸にしてあまりチャンスが与えられなかったが、このおれの戦略は3年目以降、下にスタッフがつくようになってからは大いに役立った。つまりこうだ、

「闘魂さんと一緒に現場に行くと、めちゃくちゃだけどなんか楽しい」

おれはとにかく楽しさをジェネレートすることが好きでたまらなかった。後輩をだましたり、センパイをいじったり、数多の遊びを生み出して、数々の楽しい現場を生み出したが、結果、最終的に後輩から以下のクレームを受けた。

「闘魂さんは、すげえ普段適当な感じのキャラのくせに、手続きをレビューするときとか、講評メモを作るときとかになると、急に、てにをはレベルで超細かいっすよね?どっちかにしてもらえませんか?」

どうやらおれも、着実に不可解な奇人変人ルートを走り始めてしまったらしい。

ちょうどいい感じのジョブもあった

仕事面でいうと、おれが1年目からアサインされていた2部上場ぐらいの小ぶりなジョブから、マネージャーが異動で消え、担当シニアが退職し、パイセンスタッフは昇格し他事務所へ移動となった。そういう事情があり、しょうがなしに、おれがいわゆるインチャ・・・おっと混乱を招く用語はいけない、シニアワークを担当することになった。

日程と人繰りと報酬交渉はジャーマネがやってくれるが、何しろジャーマネは他のもうちょっと大変な現場もやらなければならないので、おれには現場仕切りのほぼ全権限が与えられた。とはいっても、半分以上の調書は結局おれが書くので、人を使う面では特に難しいことはなかった。

大事だったのは、この段階から、小さめの会社の数字を概ね独りでみるという経験が出来たところだと思う。これは、後のキャリアを考えると非常に良いことだった。おれは、もともと独立志向だったから、独立後はたぶんあまり大きくない会社と仕事をするのだろうとなんとなく想像していたので、あんまり難しい会社でも無かったし、嬉々として仕事を引き受けた。

その結果、翌年ぐらいにいわゆる定期的検証には当たるわ、そのあとにはその定期的検証がグローバルのレビューに(なんでこんなジョブがと思ったが)当たるわでまあまあつらい目にあったが、監査ツールというものが大体どういうものかわかり、それを自分で作ってフィードバックをもらう経験が早いうちから積めたのは幸運だったと思っている。

レビューの評価に対して納得いかない部分については、生意気にもレビュワーと直で議論(こんな手続きそもそもやんなくていいだろ!とゴネた)させてもらったりもしたし、なるほど品質管理ってこういう感じなんだあ、ということとか、やたらと監査の基準に詳しいやつってやっぱいるんだな、とか色々と素朴な感想を持った。

会計以外のビジネスマンに触れる

監査手続きでも、滞留債権、滞留在庫、売上といった主要勘定に係る論点は結局全部おれがやることになるので、本社だけでなく、全国の営業所を周り、営業所長とか物流センター長とか現場のビジネスマンと話す機会もいっぱいあった。正直、興味本位の域を出ない稚拙なヒアリングだったと思うが、みんな自分の担当業務について嬉々として色々教えてくれた。

「先生!営業ってのはこうなんですよ!」みたいな話もあったし、売れるかどうか怪しい新商品について、営業マンが実にうまいこと説明をするのを聞いて感心した。

かと思えば、「いやー、これはねえ。〇〇支社から一回出荷したあとに返ってくるけど、返品はあげるなって言われてましてぇ。倉庫に入れると管理上在庫にする必要があるので、今この事務所に置いてるんですよぉ」というような、現地でないと絶対わからないようなダメな情報がポロっと出てきたりとか、面白いことがいっぱいあった。

大きな会社が相手だと、経理部門の人とコミュニケーションをとることが多いと思うが、小さい会社では、担当と直で話してくれみたいなことも多く、これも後々考えるといい肥やしになった。経理のフロアに立ち入る許可をもらい、その辺に座っている気難しいと評判の古株財務部長とか、ややたぬきの海外事業部長とかと色々話をした。みんな気さくでとにかく勉強になった。

そうしてスクスクと育っている面がある一方で、おれの勤務態度は、どんどん悪くなった。

■ 3年目~

法人もおれもいい加減だった

おれがしばらく法人で働いてまず気付いたことは、案外みんな誰が今どこにいるかということを把握していない、ということだった。ここに目を付けたおれは、まず1年目後半の段階で事務所勤務日を勝手にフレックスにした。要するに、適当な時間に出社して、8時間ぐらい働いたら残業をつけずに帰るというやつだ。しかも結構堂々とやっていた。それでも許された。ていうか、これは割とやってるやつが沢山いたように思う。まじめな奴に聞くと、いくら当時でもスタッフなのにそんなことしてるの闘魂さんぐらいでしたよ、とか言われてしまうのだが、たぶんイメージで適当に言っていると思っている。

次に、おれが目を付けたのは、そんなに沢山行かなくても仕事が終わってしまうジョブだ。これはさすがに3年目以降ぐらいの話だが、ちょくちょく酒好きのパートナーと飲みに行ってタクシーで帰るという生活を続けていると、だんだん朝起きるのがおっくうになってくる。そこで、別に朝から行かなくても仕事が終わりそうな現場については、適当な時間に現場に行って仕事をするようになった。これは完全にNGだと当時も今でも思っているのだが、不思議とあまり怒られなかった。行くと言って全く誰も来なければ客も怒るだろうが、一応誰かは行っているので特に問題にはならなかった。

考えてみたら、チームの誰かが途中から来たり、途中で帰ったりするのはよくあることだ。ただし、そういうのは大体えらいやつがやることであって、スタッフが途中で現れるのは、まともな日程を組んでいる法人であれば、何か特別な用事がある場合に限られるだろう。なお、なんなら、現場主任的なポジションのやつも結構適当な時間に来てた。牧歌的だったのだ…たぶん。

ちなみに、飛行機に乗り遅れて、現場になかなか行けなかったときは、さすがに土下座をして謝った。なぜなら、調書カバンのカギをおれが持っていたからだ。あれはひどかった。

経費精算も鬼門だ。ある日、事業部内で数か月経費を精算していないやつみたいなリストが公表されたが、おれとあと1人ぐらいしかいなかった。当然「闘魂君!ちょっときたまえ!」と呼び出しをくらい、じっとりとお説教された。その後、おれは事務局への付け届けをこまめにするようになった。大ごとになる前に教えてもらうためだ。

おれは結局時間にルーズなのはあまり怒られなかったのだが、おまえはそれでもちゃんと仕事を終わらせられるからまだいい、しかし、仕事を終わらせられない奴まで、定時を無視し始めるととんでもないことになるから、時と場所を選んでくれ、ということは言われた。今は反省している。

遅刻とおれ-正直スマンかった

まあ、遅刻は別に問題にならないときと、すごく問題になるときがある。経営者ミーティングのような肝心な場面に遅刻したマネジャーがプロモーションで落ちたというような話もあった。おれは遅刻してはいけないときには基本的にめったに遅刻をしない(まあそれでも失敗はもちろんある。しない人は本当に全くしない)が、組織人として、肝心な時以外は常に自由にしていて良いということでも当然ないわけだ。ていうか、結局定時相当の時間は働くわけだから、わざわざ遅れていく理由も別にないと言えばない。

思えば、日程を守らずどこで何をしているかわからない奴というのは、ちょくちょくいたが、そういう連中は気が付けばいつの間にか法人からいなくなっていたものだ。おれが長く組織人を続けるのは無理だなと思った理由のひとつに、自分で働く時間を決められない、というのは確実にある。まあ結局クライアントの都合があるので、独立したとてそんなに自由には働けないのだが、なんというか、本当に意味のないときに定時から事務所に行くというのはどうにも解せないところだった。トンガっていた。ともかく、おれの勤務態度は最悪レベルだったが、自由にやらせてもらっていたのはとてもありがたかった。今は反省している(再)。

ちなみに、遅刻に関しては監査法人を辞めてから手伝ってた仕事でやらかして、めちゃめちゃ怒られた。帳尻というのはどこかであってくるものなのだろう。深々と頭を下げて、晩飯はおまえ持ちな!と許してもらった。多分、おれの悪いところだから敢えてめちゃめちゃ怒ったのだろう。恥ずかしい話だがそういうありがたいこともある。その人には今でも良くしてもらっている。

軍団を次のフェーズに

一方、おれの軍団づくりは3年目ぐらいで、2年目で開発した様々な手法をブラッシュアップした結果、着実に成果を上げつつあった。

配下を4人ぐらい増やしたおれは、そのうちの1人が、あちこちで指導された内容をすぐれたメモにしていることに気付いた。キャラはチャラいが優秀なやつだ。おれはすぐさまそれを取り上げ、内容を確認し。この内容を盛り込んだチラシを次の合格者が入所するまでに作成しておくよう命じた。そう、おれが思いついたのは、事務所の目を盗んで勝手に新人研修をやることだ。

前文は自分で書くことにした。初期バージョンの内容は忘れたが、確か、合格したからと言って偉くなったと思うな、監査法人のスタッフというのは、要するにサラリーマンでサラリーマン社会の中では最下層の生命体だ、口を開く前と後にSir!と言え、みたいな内容だったはずだ。要するに心構えから洗脳してしまおうという作戦である。

おれのイカれた前文とは違って、後輩が作った内容は優れたものだった。往査の段取りから、出張の手配方法、持っておくといいもの、役立つwebサイト、タクシーやエレベーターのマナー、裏リクの精神的ではない後継ともいうべき、どうでもいいといえばどうでもいいが、その辺がうまく出来ないとそれはそれで監査法人では暮らしにくくなる雑務や作業手順の数々がまとめられていた。

雑務を制するものは監査を制する(持論)

ただ、おれはそういうのはそもそもチーム全員で分担するべきだと思っていたので、基本的には経験を活かして新人より迅速に雑務を処理することに命を懸けており、大いに迷惑がられた。その代わりおれの下についた新人は現場雑務がめちゃくちゃ早くなった。

ちなみに、おれが好きな言葉は、「バラしを制する者は現場を制する」だ。バラしとは、片付けの事である。もともとは、PA業者でバイトをしている時に社員が言っていた言葉なので、何かをセッティングする系の現場で使われる言葉だと思われるが、なんか気に入ってずっと使っている。

観察していると一理あるなと思うこともあって、片付け時にまごまごして自分の荷物を迅速にまとめられなかったり、借りた資料を奇麗に揃えられなかったりするやつは、大体、間違ってもらっちゃいけない資料を持って帰ったり、会社の備品を持って帰ったりというミスをするし、なんなら監査もあんまりできない。

極まれにカバンの中身がめちゃくちゃ汚いにも関わらず、妙に仕事ができる天才肌のやつもいるにはいるが、大体カバンが散らかってるやつは考えていることも散らかっていて、要領を得ないことが多いとおれは思っている。デスクトップも大体散らかってる。

ファン化施策と行き過ぎたファンサ

ともかく、この辺の自主活動を通じて、おれは仕事は意外とまじめだが、ちょっと頭はおかしい、という評判を確固たるものとして、多くのファンを獲得することに成功した。その弊害として、おれがつぶしてない新人もおれが酒を飲ませたことにされたし、必ずしも(少し弱気)おれが壊していないカラオケ機材もなんかおれのせいになっていたりと、色々困ったことにもなった。

ただまあ、そのあたりは、事実として、後輩のホテルの部屋でシャワーを出しっぱにして湿度で携帯か何かを壊してしまったようなこともあったはあったし、悪戯が過ぎる(パワハラで訴えられたら昨今では無理かも知れない)こともあったりしたので、自業自得というべきなのかもしれない。もう会わない人も多々いるだろうが、本来謝罪すべき人は沢山いるのだろう。申し訳ありませんでした。

小さい組織内のことではあっても、フォロワーから期待されると、ついついやり過ぎてしまうことはある。なんとなくおれは、行動がエスカレートしていくインフルエンサーみたいな人の気持ちもわからないではない。お調子者は用心して生きていかないと行けないという事を今書きながら改めて思い直した。一歩控えよう。

楽しい思い出は山ほどあるが、今となっては、なんであんなことしちゃったのかなあといった反省も多々ある。

しかし、思い返してみると、今パートナーとなってムツカシイ顔をしている人たちの中にも、結構ひどいことをしてた人がいたりしたような・・・まあ、そう考えていくと、大手企業でも結構無茶苦茶なことがあったりしたような気もするし、昔はそれでもなんとなく許されたけど、今となっては完全アウト、みたいなことは世の中に多々埋葬されているのだろう。

若気のなんとやらみたいな過ちは遡って無くなりはしないが、反省することと繰り返さないことはできる。せめてそこを頑張ろう。

仕事は地味に改善しただけだった

3年目以降の仕事についてはあまり覚えていない。ということは、正直惰性でやっていたんじゃないかという気はする。ただおれは、もともと一方的にああしろこうしろとは言わずに、クライアントの話を聞いて、だったらどうするのがいいんでしょうねえ、みたいなタイプだったので、その辺の技術は少しずつ向上していて、客受けはなんか知らないうちに結構良くなっていたみたいだった。それは上から何回か「前の拠点往査、喜んでもらえたみたいで、また来てよ、だってさ」みたいなフィードバックをもらったのでよく覚えている。

■ そして退職へ

多分おれはちょっと疲れてた

仕事は相変わらず面白かったが、もともとおれはずっと組織に勤める気はなかった。素行はかなり悪いし、勝手気ままにやり過ぎていた感もあったので、そのうち壁にぶち当たるだろうとも思った。おれは部門異動もしなかったので、だんだん飽きてきてたというのもある。

あとは、仕事して、遊びに行って、バカ騒ぎして、みたいなサイクルがだんだんエスカレートしてきてるな、みたいな嫌な予感もなんとなくあった。

自分がちょっとおかしくなってたかもな、ということに気付いたのは、法人を辞めたあとのことだ。ちょっと昔の友達に仕事を手伝ってもらっていた時に、無意識にすごいキツイ言い方をしてしまってたことがあって、それを悲しそうに咎められたことがある。その瞬間ふと気づいた。アレ?おれいつからそういう奴になったんだっけ・・・マジで持つべきものは友人だ。その一撃以後、人に腹を立てることが如実に減った。本当にありがたい。

辞めるときはなにやらもっともらしい不満みたいなものも述べていたような気もするが、なんだかんだ言って、それなりにストレスや不安があったのかもしれないな、という事を今は思う。

『辞めたい』は必要ない『辞めます』だけでいい

ともかく、おれは商売人としてもらっている金額分は(素行は置いといて)忠実に働くことをポリシーとしていたので、実は退職を申し出る直前ぐらいまで、超楽しそうに仕事をしていて、ある日突然退職ラッシュシーズンに、辞めます、と言いに行った。そう、組織を辞めたいと思ったら、その瞬間には既に辞表をたたきつけていなければならないという信条を忠実に実行したわけだ。そして、若干怒られた。

「闘魂君、そういうのはね。もっとこいつ辞めそうかもみたいな雰囲気を予め醸すもんなんだよ!」

マジかよ知らねえよ。辞めもしないのに、辞めてやる辞めてやるみたいに言ってるやつの方がよっぽど問題だろ。

この件は、理不尽だと思ったが、あまりに面白かったのでよく覚えている。とりあえず、監査法人を抜けようと思ったら、辞めるタイミングの半年ぐらい前から、忠誠心がゼロになったふりをするべきだ、というが今回のおれの唯一の助言だ。

とにかく突然だったらしく、いやおまえに言っても無駄だろうとは思うんだけどさという人も含めて、何人もの面談をクリアする必要があった。ちなみに、タイミングとしては、ちょうどおれがいないとできない仕事みたいなものが(そもそも、ないはずだが)ちょうどなかった時期なので、何ら問題なくスムーズに抜けられたはずだとおれは思っている。

ちなみに、辞めた後のことは何も考えてなかった。おれは、そういうのは辞めてから考えたほうがいいと思っている派だ。辞めたと言えば誰かがチャンスをくれる、それをこなしていけば自然と道は開ける。当時も普通にそう思っていたし、辞める前に「あれやりたい」「これやりたい」みたいに言ってたやつが全然違うことになる例も多々あるので、今でも辞める前にあれこれ考えるのは大して役に立たないという考えは変わっていない。

遅かれ早かれそうなったような気はする

ナゾに下からの支持がアツいのと客受けが良いので素行に問題があってもたぶん咎めづらい雰囲気もあったろう。言われはしなかったが、まあ扱いに困る前に抜けてくれて良かったという面も多少あったのではないかとおれは疑っている。

辞めたタイミングが良かったのか、結局なんやかんやと古巣の人には仲良くしてもらっているし、あとから辞めた人と一緒に仕事をすることもある。結局、そうやって時を経てもつながったりするのは、法人にいたときにおれを面白がってくれた人たちだ。

■ おわりに

スキルもいいが人望には気を遣え

せっかく監査法人に入るのなら、技術を学ぶのはもちろん一生懸命やったほうが良いと思うが、やはりおれの一押しは軍団作りというか周囲のファン化を推進することだ。

おれみたいに少々はみ出してるキャラで売ると次第にファンの期待は重くなってくると思うし、組織でずっとやっていくのが逆にしんどくなってくる可能性もそこそこ高いと思うので気を付けたほうが良いと思うが、そこらへんはなんか賢いやつならもっとうまいコントロールの仕方もあるんじゃないかと思う。

どんな仕事であっても結局自分を売る

結局、結論はいつもと同じになる。人となりを良く知ってもらい、仕事ぶりをきちんと見せることだ。これは、個人で商売をするときにも全く変わらない。やり方は、自分なりの持ち味みたいなものを活かせればどういう方法でもいいだろう。あと、時間は守って、人には悪いことをするな。できるだけ。

おれは自分を売るという事はそこまで難しい事ではないと思っている。大体、誰かの良いところが見えるときというのは、そいつが何かを楽しんでたりリラックスしてたりする時だ。どんな仕事や物事にも興味深いところや面白おかしいところはあるものだ。おれはいろんな物事に興味を持ちやすいタイプだし、ちょっと能天気なところもあるので、仕事でも飲み会でも楽しい雰囲気がたぶん出てる。自分ではよくわからないところもあるが、その辺で、得をしている部分はあるかもしれないと思っている。

大体こういう話をすると、そういうのに向いてる人はいいよな・・・みたいなリアクションが結構多いのも事実だ。そういうわけで、今回は背景みたいなことも含めて実体験をストレートに書いてみたので、思い思いにエッセンスを抽出してもらえれば幸いである。

今読み返してみたが、再現性のなさそうな話だ。時代も違いすぎる。やはりおれの言うことは真に受けるべきではないという結論に違いはないだろう。

以上だ。


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