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(小品)専門家とクライアントとか、上下関係がある場合とか、非対称な当事者間で信頼を醸成する「オープンでフラットな」コミュニケーションってどうやんの?を学んでみる。

コミュニケーションについて断片的に考えるシリーズ。

『わかりやすいコミュニケーション学:基礎から応用まで』という本を読んだ。各分野の専門家が各章を執筆し、それぞれの分野での議論を伝えている感じのわりとテキストっぽい書籍だ。

これに収録されている、「第7章 健康コミュニケーション」で取り上げられている内容が、会計士のような専門職とクライアントとのコミュニケーションみたいな場面で役に立ちそうな気がしたので、少し紹介したいと思う。

「健康コミュニケーション(helth communication)」とは何か、そこでは何が考えられているのか、という話は、今日言いたい本題とは少し離れるので、関連しそうな概要部分だけ自分のノートを載せておくことにする。

「健康コミュニケ―ション」
健康情報を求め、処理し、分かち合う方法(Kreps & Thornton)
→パブリック、マスの健康関連情報の普及から、対人レベルまで

対人レベル
★患者(ないしは家族)と医療従事者間のコミュニケーション
・患者とその家族や友人間
・医療チーム内

(関心が高まった理由)
死亡原因の変化
感染症から生活習慣病へと人類の死亡原因が移り変わって来た。生活習慣が原因の疾病は、罹患後の治療よりライフスタイルの改善による予防がコスパに優れる。→本人の意欲や知識が重要

インフォームド・コンセントの重要性が高まる
 ・患者自身が「自己決定」する価値観の高まり。
 ・医療事故訴訟の増加。

その他、具体的な臨床現場でのコミュニケーションの他に、カウンセリング等の活動も増加。

EBM(Evidence Baced Medicine)だけでなくNBM(Narrative Based Medicine)への注目。
→患者の「病の体験」をナラティブ(語り)を通じて理解し、対話も治療の一部であると考える。

生物医学モデル(身体という物理)から生物心理社会モデル(心と身体)へ。

医療現場でも、患者に自己の状況を開示してもらったり、協力体制を整えたりとコミュニケーションが重要と考えられるようになっている。
→患者をpatientではなく、clientと捉えることで、医療のPROと患者といった不均衡な関係から、サービスプロバイダーとクライアントという対等な関係と捉える動き。クライアント(つまり患者)は、自ら希望する医療サービスに、参加していく、と考える。

(医療現場での対人コミュニケーションから生じる問題)
医療のPROは、患者に適切な治療を受けさせるべく様々な説明・説得を行うが、患者は不安を感じたり、怒られているといった被害者意識を感じる例もある。患者は、自分が決めたことの結果を自分で受け入れたいと感じながら、医療従事者とコミュニケーションするが、納得にいたらず、結局代替療法を選んでしまうこともある。
→医療従事者が良かれと思ってとった行動が患者を追い込む例もある。患者の防御的反応を回避し、両者の信頼を増すコミュニケーション行動を採る必要がある。

信頼が構築できないケースでは、両者の関係形成において何がマイナスとなっているのか?

最初は、ぶっちゃけ医療コミュニケーションとか興味ないんだが?と思いながら読んでいたが、読み進めるうちに、これは、一般に他のプロフェッショナルとクライアントの関係においても言えるのでは?と気付かされる。

ここで紹介されていたのが、相手との信頼を増す協調的コミュニケーション(supportive climates)と逆に不信を増す防御的コミュニケーション(defensive climates)という考え方だ(訳語は本から、climateは気候、風土、雰囲気といった意味になる)。

この話の源流をたどると、Jack R. Gibbという人物のやや古い(1961)議論に辿り着く。Gibbは人と人が関わる様々な場面において、関係が出来ていない場合には、恐怖や不信感から、防御的態度をとりがちであると指摘した。そして、この防御的な態度を強化するコミュニケーション行動を、defensive(防御的)とし、信頼を醸成するコミュニケーション行動をsupportive(協調的)と区分し、以下の6つのカテゴリーを提示している。

防御的と言っているので若干わかりづらいが、わかりやすさを重視して乱暴に言うならば、攻撃的ないしは批判的なコミュニケーションと理解すればいいだろう。こうしたコミュニケーションは、クライアントに防御的な反応をとらせやすい、ということだ。要するに、話を聞き入れる体制じゃなくならせてしまうと、信頼関係構築どころではない、という話だろう。Gibbの理論は、チームが高いパフォーマンスを発揮するには、信頼関係が重要である、という考え方をベースとしている。

調べた限りでは、少なくとも日本ではあまりメジャーな議論ではないようだ。以下に、概要を記載する。各カテゴリーの前者は防御的な行動を誘発しがちで、後者が協調的な行動につながりやすい、とされている。なにぶん原典に当たれないので、ちょっと内容は不正確だったりふわっとしているかも知れないが、本筋にはあまり影響しないと思うので、ご容赦願いたい。

Gibb の6つのカテゴリー

Wikiの簡単な説明-Gibb categories
https://en.wikipedia.org/wiki/Gibb_categories

もうちょい詳しめな解説
https://textbooks.whatcom.edu/cmst245/chapter/7-3/

Evaluation と Description(評価と記述)
話の内容や態度が聞き手を評価したり判断したりしていると受け取られる場合、聞き手は防御的になりやすい。個人の能力や社会的立場が対等で無い場合(ex.親と子ども、教師と生徒)、話し手が発する言葉が実質的に評価を含むことが多く、それが受け手に抵抗感を与えることがある。
誰かに対する判断ではなく、考えや状況を記述的に伝達することが協調的な関係を作るためには必要となる。

問題が発生したときに、最初から、「それは私のせいじゃない」みたいな話が始まるようなことでは先が思いやられる。まず何が起こっているかを整理する段階で、誰も咎められていないような感じにするのは重要だが、実際、結構神経を使うところだろう。

Control と Problem Orientation(コントロールと問題志向)
話し手が、聞き手がとるべき行動やソリューションを提示するような場合、聞き手がどうしたいかに関わらず話し手が決定をしてしまうこととなり、抵抗感を生みやすい。問題にフォーカスし、両者が協働して解決策を見いだすようなあり方がより協調的である。

専門家がクライアントを指導するケースは、通常コントロール的である事が多い。そうではないと思ってもらうことは難しく、丁寧に説明すればするほど、「なんだかこいつはおれをうまいこと言いくるめようとしているな」などと受け取られやすい。組織やチームでのコミュニケーションは、結局は、誰かがアクションをとるために必要となるものであり、多かれ少なかれ参加者の行動のコントロールが目的に入りそうだが、それに「やらされ感」や「変化を求められている感」が感じられると抵抗を生みやすい、ということだろう。問題がこれってことは、解決しないといけないよね!と、メンバーが自発的に感じられるようなやり方を考えないとイケないということ。ムズイ。

Strategy と Spontaneity(戦略と自然発生性)
人の行動を操作するようなコミュニケーションは人を恐れさせる。信頼が無い関係では、丁寧な説明を試みても、その裏に話し手にとって都合の良い動機があるのではないかという疑いを招く。対照的に、話し手の動機が複雑でなく、率直かつ誠実だと感じられる行動を自然発生的、即興的にとっている、と感じられるようなコミュニケーション行動は、防御反応を引き起こし難い。

さっきと話は似ている。ここでいう戦略は「策略」と言い換えてもよさそう。誰かが練りに練ってきたアイデアがあって、その情報の一部を効果的に小出しにして人を操ろうとしている、みたいな気配が感じられると、何かノセられてる感を感じて不信につながりやすい、というのはそうかもしれない。

Neutrality と Empathy(中立性と共感性)
話す内容を中立的にしようとして、聞き手のにとってのハッピーみたいなものに対する関心が薄いように聞こえる場合、聞き手は防御的になりやすい。人は、特別な価値を持った存在として関心を持たれたいのであり、ハンドリングされる対象物のように扱われたくない。話し手による聞き手への共感や尊重を含むコミュニケーションからは、安心感が生まれやすい。

顧客が抱えている悩みに触れることなく、今から結局やるべきことを言います、みたいなのがウケなさそうなのは間違いない。仕事でそこまで気にしないといけないのかという気もしないではないが、誰だって、客観的に正しいことを言われるより、自分に向けられた言葉を欲しがるだろう。ただそれを、これまで挙げられていた「評価」や、「コントロール」を回避しながら行うのは結構大変な気もしないではない。他者の感情に対する洞察が必要となる。

Superiority と Equality(優越性と平等性)
優越的立場にある者からの言葉は防御反応を引き起こしやすい。問題解決に共に参加する気配がなかったり、フィードバックを望んでいなさそうであったり、助けを必要としてなさそう、という態度は、優越性を感じていると思われやすい。

自分も胸に手を当てて考えてみているのだが、専門家の立場だと、あるPJを成功させるために、「クライアントに助けてもらう」をあまりプランに入れてないケースが多そうではあるように思う。(実際には度々必要になるが。)要は、我々はイケてるサービスでクライアントを導くのだと。確かにそういうスタンスは、フラットで互助的な関係を築き、共に問題解決に取り組んでいる、というようには感じられなさそうだ。クライアントを圧倒してこそプロ、みたいな、意識の高い人ほど陥りがちなワナな気がする。自分が医者にかかった時にそういうムーブを繰り出されたらどういう気持ちになるかを想像してみると、ムムムとなりそう。

Certainty と Provisionalism(確信と仮定主義)
答えを知っている、という立場は警戒を招きやすい。話し手が確信をもって話す場合、聞き手が劣等感を感じたり、協働して解決策を探るのではなく、論争で優位に立ちたがっていると感じられたりして、防御的反応を引き起こす可能性がある。これを避けるためには、自身のアイデアについて、ひとつの仮定として共有するような提示の仕方が必要となる。

これはアリがちな失敗のひとつ。真剣に問題について考えて、これが答えだ!と思ったときにやってしまう過ちのように思う。チームプレイで大事なことは、自分が優れていることを示すことでは無く、構成員のパフォーマンスを引き出し、チームとして成果をあげることであることは忘れないようにしたい。

ここから得られるヒント

見てきたように、若干カテゴリー間の重複があるような気がするし、まだまだ洗練させる余地がありそうではあるが、いわゆるオープンなコミュニケーションとはどういうものか、その敵は?ということはイメージできるものだと思う。Gibbの理論がそこそこ引用されつつも、あんまりメジャーでないのは、若干磨き切れていなさそうに感じられるところと、直ちに実践できるようなシンプルさが無いことだろう。とはいえ、コミュニケーションがうまく行かない、信頼関係がうまく構築できないといったケースにおけるNG行動例としては、なかなかイケてると思う。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」 ではないが、基本的に、人は他人のいう事を聞きたがらないものなので、考えるべきことは無限にある。Gibbの議論を頭に浮かべるとよさそうなのは、不安を感じるような立場に置かれている相手とコミュニケーションをする場合だろう。例えば、後輩を指導する時とか。

コミュニケーションにおいて重要なことは、正しい情報を、分かりやすく伝えたとしても、相手に聞く気がなければ特に意味がない、というところだ。組織の内外を問わず、立場に差があり、自分が強い立場にある場合には、何でそこまで歩み寄らなければならないのか、と思う事もあるかもしれないが、そこを怠ると、結局は人を動かせないやつ、という評価が自分に下されることになる。

あからさまに、聞いてもらって当然というスタンスの人はそう多くはないと思うが、知らないうちに、聞き手を防御的にさせる行動をとっていないか、時たま反省してみてもいいのではないかと思う。

もっとシンプルな話として自分が日ごろ思ってることを言うとすれば、自分たちがアドバイザーとして人の役に立ちたいと思っているのと同じくらい、立場上サービスを受けるクライアントも、やっぱり自分が主人公としてことを成し遂げたり、誰かの役に立って認められたいみたいな気持ちを持っているものだろう。その思いを含めてサポートしてこそ、良きアドバイザーなのかなと個人的には考えている。なお、道はけわしい。

まあ、ビジネスの最前線で頑張ってる人に指導できるほどおれはエラくないので、「何の行きがかりかわかりませんが、一緒に戦う事になったのでよろしく!」という感じでやって行きたいものです。

誠にありがたいことに、最近サポートを頂けるケースが稀にあります。メリットは特にないのですが、しいて言えばお返事は返すようにしております。