目をつぶって思い切って
3日間風邪で寝込み、ほぼ一週間noteから遠ざかっていた。
「病気の親戚のサポートであっちゃこっちゃしてるのは、ほんとにお前のやるべきことなのか。そこは正しい持ち場なのか」
こう言われて。。。
頭を殴られた感じがした。
〜というのは、前回書いた。
知らんふりで逃げれば手に入ったいろいろなチャンスや利得を、バッサリ捨てた。
その取り返しのつかなさを、自分自身がドキドキするほど後悔してるからだろう。
ドキドキするほど後悔してる。
けど、そこを誰かに全部押しつけて知らんふりをして、仕事に一生懸命になっちゃってた人たちが、この国からこどもの育てやすさを、事情のある人の働きやすさを、なくしてしまったんじゃないのか。
そこを誰かに押しつけて、長時間会社で仕事してる方が偉いと主張したやつらが、人口構成のひずみ緩和をし損ねて、その尻拭いを僕が今まさにしてるんじゃないのか。
と、茫然自失から反論を思いつけるところまで戻ってきたのが、やっときのう。
さて今日はとうとう、今までの自分のしゃべりにメスを入れはじめた。
業務中の自分の声の録音を聞く、ということを、ついにやりはじめたのだ。
お客さんと話をしたり、 説明をしたりしている自分 の録画録音を 見たり聞いたりするのがいやだ。
録画録音って、他人のは平気だが、自分のは…とても思い切らないと「見る・聞く」できない。
「 電話をかけるのがとても嫌だ」というのと、ほぼ同じ気分だ。
お客さんからの聞き取りと、ペーパーと、話のかけあいとが、自分のさまざまな商売道具のひとつひとつだ。ならば当然、早い時期にガサ入れをしておくべきであって、嫌だからと言っている自分はちょっと意味不明だ。
呼吸がひそむくらい未解決のストレス。正体のわからないものが足を前に出させない。
声の聞き取りにくさとか、
的確な発話ができているかどうかとか、
どの手がかりからどういう目的で、この質問をしたのかとか、
お客様とのかけ合いの様子とか、
しゃべりが迷走していないかとか、
落としどころに対して 一体どう近づいてるか、
地図がわりになる整理をどう入れて補助してるか、
一時的に迷走した部分があるなら、何が原因で、やり直しがきくならどうやるかとか……
あれこれと分析しはじまる前に、
えいやっ!
と目をつぶって、
録音がBGMみたいに流れている状況に持っていく。
あーーー
ハードル高かった。
「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!