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足るを知る精神、ハングリー精神の両立はできる?

「ないものばかりに目を向けず、あることを認識して感謝しなさい」と言われる。これが「足るを知る」であり、古代中国の思想家、老子の言葉だ。一方、ハングリー精神とは強い意志を持って願望実現を目指しなさいという意味で英語圏でも使われている言葉だ。最も有名なのがスティーブ・ジョブズ氏のStay foolish, stay hungryであろう。

世の中、見渡してみるとどちらか一方の主張に偏っていると感じる事が少なくない。ある人は「足るを知る、いつまでもまだ足りないと物質的、精神的充足を求めるようではいけない」というし、またある人は「日本人はハングリー精神を失っている。貪欲に向上意欲を持って上を目指しなさい」などという。まるでアクセルとブレーキのような違いに感じる。

だが個人的にはこの2つの精神は両立できるし、自分自身が両立を目指していきたいと思っている。あまり論じられることがない話だと思い、記事にまとめることにした。

物質的に下を見ろ、人格的に上を見ろ

結論的にいうと、「物質的に下を見ろ、人格的に上を見ろ」ということだと考えることができる。これはどちらか片方の精神では成し得なかった理想形ではないだろうか。具体的に深掘りしたい。

足るを知る精神、すなわち物質的、精神的についていえば今ある水準より下を見るのである。「下」という言い方をするとまるで誰かを見下しているような印象を受けるかもしれないがそうではない。過去に今より下だった自分と比べてもいい。

筆者の場合は上京したばかりの頃はとにかくお金がなくて大変な思いをしたのでとにかく経済的な豊かさを渇望していた。その時に比べて今は豊かになった。過去の自分と対比して良くなった今はいたずらに資産増大を追求したいとは思わなくなった。物質的、精神的には十分充足しているのだから、今手の中にある幸せを噛み締めてましょう。「もっともっと資産を増やしたい。タワマンの最上階に住んで羨ましがられたい」などといった永遠に終わらない充足を求めて自ら苦しむ真似はやめようということである。

一方、人格レベルで言えば、たとえ経済的に充足した後でももっと高みを目指すべきというハングリー精神と両立できる。マズローの5段階欲求で言う「自己実現欲求」に到達した人物は、人に見せびらかしたいからもっと富を得たいとか、そういう世俗的、欠乏的欲求とは無縁である。そうではなく自分のビジネスや作品でより良いものを作りたいとか、世の中や人類全体をより良くしたいという意欲で努力する段階となる。

同じ自己実現欲求段階でも、より高次な技術や影響力を持つことでできることや与えられる影響力は拡大できる。成功したビジネスマンが自らの資産をいたずらに増やすことに興味を失い、その代わりに世の中を良くするために政治や教育の世界に飛び込んで世の中やより良い社会づくりに貢献するために頑張る、みたいな話である。これは「もっと高次のレベルに行きたい」という現状に甘んじることなく、人格的な高みを目指すという意欲が原動力になっている。

物質的、精神的には十分満たされて満足したから、今度は社会や世の中に返していきたいという人物はこの両立が実現しているケースと考えられる。


「自分自身は十分満たされている。次は世の中や人類の発展に役に立つ活動を頑張ろう」実際にこうした人格の持ち主は世の中にいるのだ。

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