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大好きな人が亡くなった

2023年9月1日、15:35に私たちはその報せを受けた。

元Laputaのヴォーカル、akiさんの訃報だった。
8月21日頃に今のサポートメンバーの人時さんがakiさんが8/18に体調不良で緊急入院した旨と、8/26のライブは中止となる旨をツイートしてくださっていた。(現在ツイートは消去されています)

わたしと母は1999年頃からLaputaを追いかけている廃人(※Laputaファンの呼称)で、それは2023の現在も変わらず続いていた。母とLaputaを追い始めたのがわたしが中学生頃のときだったため現役で通っていた廃人のなかではわたしがほぼ最年少だったということもあり、皆さんには本当に良くしていただき、格好いい暴れ方やマナーをたくさん教えていただいた。
特に母はakiさんの存在が生き甲斐、と言えるほどの「aki廃人」で、akiさんがソロになっても仕事の都合が許す限りはライブに通っていた。娘のわたしから見ても強火のファンだと思う。(余談だがわたしはギターのKouichiさん廃人)わたしも母に誘われて年に1回~程度のペースでソロのakiさんを見る機会があり、廃人の皆さんには「ママン(母)と瑠維ちゃん(※わたしの過去の名前)」と呼ばれてよく構っていただいた。
コロナ前は終演後にサイン会や握手会などがありその度に「むすめ~!」と言っていただいたり「(撮影が趣味のため)カメラ頑張ってね!」と優しい言葉をたくさんかけていただいて、温かいふかふかの両手で緊張して冷たくなっているわたしの手をいつも包むように両手で握手してくれた。
そんな人が、2023年8月29日に、亡くなってしまった。

Kouichi廃人のわたしから見たakiさんは常にムードメーカーで、パワフルなステージ、そして多趣味でとても気のいい「大好きなお兄さん」という感覚だった。自宅には母が飾ったakiさんの写真などがたくさん飾られている一角(通称:祭壇)があり、

このような廃人親子の中にはもうどうしようもなく、何をしても、どこを見ても、Laputaやakiさんが深く深く染み込んでいて、一報を見た瞬間に何も考えられなくなったわたしは会社に早退届けを出して自宅へと急いだ。(会社には家族の緊急事態、と伝えた)

幸か不幸か、母は8月31日から本日9月2日までたまたま三連休で自宅にいた。自宅へ急ぎながらLINEや電話をするが母からの返信はなく、帰宅中も嫌な汗が止まらず酷い腹痛を起こした。
会社から飛び出して約1時間で帰宅すると母は能面のような顔でワイドショーを見ていた。
「…別に帰ってこんでよかったのに。」とこちらも見ずに母は言ったけれど、わたしは荷物を投げ出して汗だくのまま母に抱きついてもう本当にわんわんと泣いた。母も堰を切ったようにわんわんと泣いた。あまりに泣きすぎて過呼吸になるかと思うほど泣いて、このほぼ脱水状態の身体のどこからそんなに涙か出てくるのか、不思議なくらい泣いた。
akiさんは私たち親子の人生を優しく見守ってくれた、本当に大好きな人だった。

まともなお別れも出来ないまま届かない場所に行ってしまったakiさんへ。わたしはまだあなたに「母をずっとずっと支えてくれて本当にありがとう」と一番伝えたかったことが伝えられていません。
わたしひとりでは母を支えきれないと思うことが今まで生きてきてたくさんあったけれど、その度にLaputaやakiさんに親子ともども奮い立たせてもらって生きてこられたんです。大げさではなく本当です。

手紙をもっと書けばよかった、ライブにももっとたくさん行けばよかった。後悔は本当に涙とともに尽きることなく溢れてくる。コロナ禍が日本を襲い、akiさんにはファンレターやプレゼントを未だ渡すことができず(これはakiさん側のルールです)、aki廃人のみなさんもきっとずっと歯痒い思いをしている最中の訃報で、気持ちのやり場や向ける先が見つからず、わたしは今これを書きなぐっている。

仕事上でも時折、訃報に触れる。
詳細は書けないが、ご家族からの要望でグリーフケアの簡単な紹介やリーフレットを渡すこともあった。
職場にあるグリーフケアのリーフレットの内容を思い返しているが、この喪失感を受け止めることなんてまだ出来ない。これからも出来そうにない。自分が喪失側になって初めて、このリーフレットは欲しくないなと思った。

母は泣いたり怒ったりぐったりと宙を見ていたりしている。
昨晩は「akiちゃんのこと一生呪ってやる」と号泣しながら絶叫していた。
正しい感情だとわたしは思った。
入院という予兆はあったにせよ、急死はやはりあまりにも衝撃が大きすぎて、しばらくはLaputaに関わるものやakiさんの歌声はわたしですら聞けそうにない。
「もうライブに行くこともないし、服も靴も全部捨てる」と言う母にかけてやれる言葉がわたしにはなかったよ、akiさん。あなたの言葉しか届かないファンがたくさんいるんだよ。いつかの握手会のときみたいに「も~!ママは飲み過ぎ!」って、アルコールばかり飲む母のことを叱ってください。

どうせいつかは忘れる
思い出すこともないさ

Kiss in the clouds/Laputa

今年の9月5日で、Laputa無期限活動停止から19年。
来年は20年になる節目だった。

この先一生、忘れられるわけがない。

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