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アリスに赦されるまで

嬉野ゆうさんからご縁を頂いて、「衣裳箪笥のアリス」の千秋楽の撮影&観劇、打ち上げにまで誘っていただいた。ゆうさんとはちょっとしたきっかけで知り合ってもう何年になるのだろう。カメラが共通点にもなって仲良くしていただいている貴重な友人の一人で、役者さんだ。

わたしは思春期をヴィジュアル系の世界で揉まれて生きてきたので、ロリィタとの出会いは早かったように思う。更に母が少女趣味だったために、わたしが人並み以上に愛らしければシャーリーテンプルを着せて育てたかった、と事あるごとに言っていた。
しかし、現実は外見も中身も限りなく少年のように育ち、ごくごく最近まで私服でスカートさえも忌避していたので、子猿のような顔をしたオタクに落ち着いた。幼い頃から自分の外見に関しての自己肯定感は呪いのような言葉で踏み潰されていて、わたしは猿回しの猿だった。わたしはずいぶん長く母のトルソーにはなったけれど、本当はどんな服が着たいのか、どんなふうに生きたいのかはずっとわからないまま。とにかく自分の顔や身体と向き合うことから逃げ続けていた。
「可愛い服」は「可愛い人」にしか赦されない、そういうふうに思っていた。

「衣裳箪笥のアリス」は川野芽生さん(https://twitter.com/megumikawano_)の短歌に合わせて物語が紡がれていく。短歌以外のセリフはほぼない。いわば短歌のミュージカルで、主人公はリボン、フリル、模造宝石に導かれて、薔薇模様のドレスへと優しく、鮮烈に包まれる。

会場に入ってすぐ、壁一面を彩るロリィタ服に目を奪われる。そしてリボンやフリルが天井からふんわりと垂れ下がっている。オルゴールの音に合わせて、リボン、フリル、模造宝石が会場を染めてゆく。その中に突然主人公が「帰宅」して、物語のネジがキリキリとギターの音とともに巻かれた。
ロリィタにまつわる朗読劇でエレキギターの音がかき鳴らされるとき、きっと見ているみなさんの少女性も波打って溢れて、そして凪いだりしたと思う。なぜならわたしがそうだったから。
不安定な少女性、大人になりたい、大人になりたくない、少年になりたかった、薔薇をずっと愛でていたかった、美しく気高いものが何より好きだと魂が叫ぶ。

金の花びらはこの場全員への祝福だ。おめでとう、おめでとう。
今日この場にたどり着き、目撃した全ての人よ、おめでとう。
年齢も性別も関係なく、皆の少女性が包まれるように肯定された瞬間だった。

ここ数年、やっとスカートを私服に選ぶことができるようになったわたし。
自らと向き合って、自分の呪われた手足を切り落とし、瞼は埋没法で二重に留めた。達磨のような姿でも、前よりずっと自由で、一面の花畑に好きなだけ転がることもできる。
衣裳箪笥の中のアリスは、抑圧されてきたわたしの中の悲しみにリボンを掛けてくれたのだ。それがあまりにも嬉しくて、わたしは千鳥足で帰った。

これは肉親からだけではなく、匿名の場所でも容姿を揶揄されたことのあるわたしの素直な感情でもあり、叫びでもある。
美人でもなくて、可愛くもなくてごめんなさい。
でも、わたしはわたしを、それでいいと赦そうと思います。
そしてこれからも美しい生と死を見つめて、可愛い魔女になろうと思います。
ほら、ちょうどよく近くに黒猫もいることですし。

それってぼくのこと?

そんな衣裳箪笥のアリス、配信があります。
ロリィタのこころを少しでも感じる人は、ぜひ見て揺さぶられてください。


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