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座右の銘

 座右の銘とは自由なものである。つまり、その個数も内容も、自分の好きなように決めればいいのである。精神的な座右の銘、態度的な座右の銘、日常における座右の銘、勝負の場における座右の銘…。それらはまるで優れたキャッチコピーのように、自分の懐に深く刻まれて消えない。座右の銘に自覚的にならなければ、芯のある人生は歩めない。

刻石流水

 「受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流す」という言葉。その語源を仏教典に持つ(『懸情流水 受恩刻石』)。情景がイメージしやすい言葉で、内容も立派なのに、認知度は低い四字熟語だと思う。

 「受けた恩を石に刻む」ことは、心がけ一つでなんとかできる。相手のことを顧みるという心がけを持つだけでよいからである。しかし、「かけた情を水に流す」ことは、簡単に見えて難しいことである。人はどうしても見返りを求めてしまう。

 そして、この言葉には落とし穴があると思う。それは「刻石流水」を座右の銘にするという心理が既に、見返りを求める姿勢を表していることである。エセの善意者が「刻石流水」的な他人本位の行動を取るのは、やはり心のどこかで「名誉」や「利益」といった見返りを求めているからであろう。

 「刻石流水」はたしかに素晴らしい言葉である。しかし、これを座右の銘だと言っている人は信じるに足らない人間である。本当の善意者は不言実行、つまりこの言葉を座右の銘にせずとも、本来の「刻石流水」的な行動が取れるはずである。

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