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家族が増えて、私自身の人間らしさに気がついた

しばらくぶりのnoteになってしまった。

前回の記事で、「毎日更新やめます!」宣言をして早一ヶ月が経とうとしている。

あの頃は本当に余裕がなく、時間的にも精神的にも追い詰められながら毎日過ごしていた。時間的な余裕のなさは今も続いているが、気持ちの余裕はだいぶ戻ってきた。あの時、毎週のようにボロボロ泣いていたのをときどき思い出す。一ヶ月も経ってないけれど、生活スタイルを変えるだけで追い詰めることもリラックスすることもできるのだということを学んだ。

さて、そんな気持ちの余裕が生まれながらも時間の余裕は全くない私。なぜ時間がないのかというと、我が家に新しい家族がやってきたからだ。

ミニチュアシュナウザーのペッパーくん。実は年が明けて早々にうちに来た。いや、来てくれた。右も左も分からないまま我が家に連れてこられ、一所懸命に遊んであらゆるモノを齧って、生きている。そして私たち夫婦のことを信頼し、愛情を伝えてくれる。そんな命の尊さを教えてくれるペッパー。

私は昔から犬と生活したかった。いつの時代に立てたライフプランにも、「犬と生活する」といつも書いていた。犬との友情というか、愛情というものを私も感じてみたかったからだ。そんな私とペッパーの出会いは昨年末。たまたま立ち寄ったショッピングモールで、たまたま出会った。抱っこしたとき、あまりの小ささと愛おしさに衝撃を受けた。が、命をそう簡単にお迎えするわけにはいかず、夫と数日間協議。お迎えの体制を整えたうえで我が家に来てもらった。

それからは犬育ライフのスタートだ。楽しいことも大変なことも、あらゆることを経験した。もちろん困り果てることもあるけれど、懸命に遊んだりご飯を食べたり、生きている姿を見るだけでなんとも言えない愛おしい気持ちになった。夜泣きもあったし、トイレもまだまだ間違えることもある。誤飲しないかいつもソワソワ見ている。散歩中の拾い食いを阻止するのも大変だ。それでも、いびきをかいて寝ている姿を見るだけで、この子が生きていることを実感できる。小さな心臓で鼓動を打つ体に触れることに安心感を得る。

彼が我が家で一緒に生活することになって新たに気がついたことは、私がここまで生き物に愛情を注ぐことができるということだ。かつての私は、結局のところ人間は一番自分が可愛いと思っていた。その考えは夫と出会い覆され、自分を犠牲にしたとしても愛情を伝えたいと思える存在に出会えた。私は生涯、この感情は夫以外には感じないのではないかと考えていた。しかしながら、ペッパーと出会い、生活し、この命を守りたいという感情が生まれた。ペッパーのお腹の調子が悪そうであれば夜中もソワソワしてしまう。いびきがあまりにも大きいだけで「何かの病気なのではないか?」と気になってしまう。自分こと以上に心配で気にかけたい存在がまた増えてしまった。家族が増えるということはこういうことなのだ。

犬とずっと一緒に生活したかった。しかし、私が犬をここまで愛せるとは思ってもみなかった。そして犬が私をここまで好いてくれるとはもっと考えていなかった。家族というものは心臓の大きさに比例せず、どんな存在であっても常に100%の愛を全力でぶつけ合うものだと知った。ペッパーが来てから、ペッパーにも手を焼いたし、夫とぶつかることもたくさんあった。自分自身が嫌になってしまうことも。でも、そういった衝突を乗り越えることが家族の愛を深め、私自身も強くなっていく。

ペッパーが来てくれて良かったな。ペッパーと出会わなかったら、絶対に知らなかった愛。多分、この2ヶ月で私も夫も人間的にかなり成長したはず。ペッパーは幸せだろうか?私はこの子にとびきりの幸せをあげたい。

みんなで幸せになろうね、ペッパー。愛してるよ。

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